祝辞の価値
2005年3月27日一夜明けて。
とりあえずどの企業が怪しいかとか、そういった問題は選考が進んでから考えようかと。ついでに本気で怪しいと思ったら、真偽が判明するまでOB訪問をしようかと。
それはそれとして、サークルの友達が某高級ホテルの内定をゲッツしたらしい。
その娘はとても笑顔が素敵で、誰にでも優しくて、一見非の打ち所が無い。いや、実際性格も良い。多分。
(なんかこの書き方、実は嫌ってるみたいな書き方だな。)
そして某ブライダル企業の一次面接で出会った、かわゆいお友達がいる。その子もホテルとブライダル関係を攻めてるらしく、私が一次であっという間に消えていった会社の一次、二次、筆記をクリアしてどうやらそろそろ最終だよ、みたいなメールが来た。
私は最近気付いたのだが、どうやら相当嫌な奴のようだ。
人の幸せが素直に喜べないというのは、結構人として致命的な気がする。
昔、「のび太の結婚前夜」というドラえもんの映画を見た事があるんだけど、のび太とドラえもんが結婚式前日のしずかちゃんの家を訪ねたシーンがあり、今でも強烈に覚えている。
しずかちゃんのパパはとても人間のできた人で、マリッジブルーに悩むしずかちゃんにこう言うのだ。
「のび太君を選んだ、君の選択は正しかったと思うよ。あの青年は人の不幸を悲しみ、人の幸せを願える人だ。それが人間にとって一番大切なことなんだからね。」
藤子先生の人柄が伝わる台詞だと思う。
私は性善説を信じていない。
「人の不幸は蜜の味」なんてとんでもない言葉が一般化している以上、やはり人間、童話に出てくるような聖人であり得るはずがない。
それは納得できる。でも本当に少数ではあるかもしれないが、やはり限りなく聖人に近い人もいるのではないだろうか。
私は性善説は信じないが、輪廻転生&カルマの法則のようなものは信じる。(盲信しているわけではないが。)
魂にはきっと成熟した魂と、新参物の魂があって、成熟し解脱できる魂になるまで何度も生まれ変わるのだろう。現世で修行をするために。
この場合、現世においてとても人間のできた人というのは、限りなく解脱できそうな(多分もう生まれ変わることは無さそうな)人。もしくは今回が初めての現世体験で、最近生まれたばかりの魂の人。このどちらかではないか。
生まれたばかりの魂は、汚れたほかの魂たちに囲まれ影響され、どんどん嫌なものになっていく。そうしてだんだん嫌な人になって殺人とかもするんだけど、途中で気付き罰を受けるために生まれ変わり、苦しみ、今度は逆にどんどん良い魂になっていくのではないか。(仏教系の専門知識は無いまま語ってます。)
確実に言えるのは、私は多分生まれたばかりの魂ではない。
そして今回で解脱できる魂でもなさそうだ。
たまにものすごーーく純粋で、ばかで、世渡り下手なんだけどとても人に好かれている人がいる。私のサークルにも一人いるんだけど、そういう人を見てると「ああ、この娘は生まれたばかりの魂なんだなぁ。」と本気で思ったりする。
私は結構ずるくて、付和雷同、八方美人という表現がぴったり嵌りそうなタイプ。圧倒的に長いものには巻かれている方が安心するし、大抵の場合、争ってる二派があったらどっちにもつかずに中立を保って、どっちにも良く思われそうな事を言ったりするタイプ。どっちにも嫌われたくないのだ。
私の彼氏は嫌われる事もあるけど、必ず自分がどっち派(もしくはどちらでもない)という意思表示をするタイプ。とても格好いいと思う。
そんな嫌な奴は、人の幸せが恨めしい。
一応表面上はみんなと同じように「おめでとう☆」なんて文字を打ち込んだりするけど、本当は嫉妬の鬼になっているのだ。
私は現在恋人がいるからいいけど、もしいなかったら、果たして人の幸せを毎日心から祈るはめになるような、ブライダルの職業に就けるのか?
私を落としたあの面接官がそこまで見抜いていたかどうかはわからない。
でも私は人の不幸が多分大好きで、それなりにうまく世間で生きていけるけれども、映画化されたらヒロインにはなれないのだ。ヒロインに意地悪をするような、きっと嫌な役に回される人間なのだ。
心から人におめでとうと言えるなら、それはきっととても尊い事で、私は内定を取るよりもまずそのような人になるべきなんだと思う。心の底から思う。
とりあえずどの企業が怪しいかとか、そういった問題は選考が進んでから考えようかと。ついでに本気で怪しいと思ったら、真偽が判明するまでOB訪問をしようかと。
それはそれとして、サークルの友達が某高級ホテルの内定をゲッツしたらしい。
その娘はとても笑顔が素敵で、誰にでも優しくて、一見非の打ち所が無い。いや、実際性格も良い。多分。
(なんかこの書き方、実は嫌ってるみたいな書き方だな。)
そして某ブライダル企業の一次面接で出会った、かわゆいお友達がいる。その子もホテルとブライダル関係を攻めてるらしく、私が一次であっという間に消えていった会社の一次、二次、筆記をクリアしてどうやらそろそろ最終だよ、みたいなメールが来た。
私は最近気付いたのだが、どうやら相当嫌な奴のようだ。
人の幸せが素直に喜べないというのは、結構人として致命的な気がする。
昔、「のび太の結婚前夜」というドラえもんの映画を見た事があるんだけど、のび太とドラえもんが結婚式前日のしずかちゃんの家を訪ねたシーンがあり、今でも強烈に覚えている。
しずかちゃんのパパはとても人間のできた人で、マリッジブルーに悩むしずかちゃんにこう言うのだ。
「のび太君を選んだ、君の選択は正しかったと思うよ。あの青年は人の不幸を悲しみ、人の幸せを願える人だ。それが人間にとって一番大切なことなんだからね。」
藤子先生の人柄が伝わる台詞だと思う。
私は性善説を信じていない。
「人の不幸は蜜の味」なんてとんでもない言葉が一般化している以上、やはり人間、童話に出てくるような聖人であり得るはずがない。
それは納得できる。でも本当に少数ではあるかもしれないが、やはり限りなく聖人に近い人もいるのではないだろうか。
私は性善説は信じないが、輪廻転生&カルマの法則のようなものは信じる。(盲信しているわけではないが。)
魂にはきっと成熟した魂と、新参物の魂があって、成熟し解脱できる魂になるまで何度も生まれ変わるのだろう。現世で修行をするために。
この場合、現世においてとても人間のできた人というのは、限りなく解脱できそうな(多分もう生まれ変わることは無さそうな)人。もしくは今回が初めての現世体験で、最近生まれたばかりの魂の人。このどちらかではないか。
生まれたばかりの魂は、汚れたほかの魂たちに囲まれ影響され、どんどん嫌なものになっていく。そうしてだんだん嫌な人になって殺人とかもするんだけど、途中で気付き罰を受けるために生まれ変わり、苦しみ、今度は逆にどんどん良い魂になっていくのではないか。(仏教系の専門知識は無いまま語ってます。)
確実に言えるのは、私は多分生まれたばかりの魂ではない。
そして今回で解脱できる魂でもなさそうだ。
たまにものすごーーく純粋で、ばかで、世渡り下手なんだけどとても人に好かれている人がいる。私のサークルにも一人いるんだけど、そういう人を見てると「ああ、この娘は生まれたばかりの魂なんだなぁ。」と本気で思ったりする。
私は結構ずるくて、付和雷同、八方美人という表現がぴったり嵌りそうなタイプ。圧倒的に長いものには巻かれている方が安心するし、大抵の場合、争ってる二派があったらどっちにもつかずに中立を保って、どっちにも良く思われそうな事を言ったりするタイプ。どっちにも嫌われたくないのだ。
私の彼氏は嫌われる事もあるけど、必ず自分がどっち派(もしくはどちらでもない)という意思表示をするタイプ。とても格好いいと思う。
そんな嫌な奴は、人の幸せが恨めしい。
一応表面上はみんなと同じように「おめでとう☆」なんて文字を打ち込んだりするけど、本当は嫉妬の鬼になっているのだ。
私は現在恋人がいるからいいけど、もしいなかったら、果たして人の幸せを毎日心から祈るはめになるような、ブライダルの職業に就けるのか?
私を落としたあの面接官がそこまで見抜いていたかどうかはわからない。
でも私は人の不幸が多分大好きで、それなりにうまく世間で生きていけるけれども、映画化されたらヒロインにはなれないのだ。ヒロインに意地悪をするような、きっと嫌な役に回される人間なのだ。
心から人におめでとうと言えるなら、それはきっととても尊い事で、私は内定を取るよりもまずそのような人になるべきなんだと思う。心の底から思う。
コメント