軌跡に誇りもて

2005年4月19日
「大学名や成績では一切判断しません!」

これって、おかしくない?
就活を続けていると、上のような文句を謳う企業にたまに出会う。一体これは誰に向けて言っているのだろうか。学生に媚びているようにしか思えない。

大学名で判断しろ!成績証明書を提出させるからには、ちゃんと中身を見ろ!優の数を数えろ!と、私は言いたい。有名大学に良い人材がいるからではない。有名大学に入ろうと頑張った人たちの中に良い人材が多いからである。

小学校、中学校、高校と進む中で、個人が頑張れるものなんて限られている。勉強かスポーツだ。学校でできる事なんてそれくらいしかない。それしか無いんだから、それくらいはそれなりにこなすべきだ。決してこなせない人を馬鹿にしているわけではなく、本当に勉強ができなくて困ってた人はそのほかに何か頑張っていたはずだ。そして、その他で頑張ってた人は学歴主義に文句を言ったりしない。

ではどういう輩が学歴主義に不満を言うのか。

それなりにこなすべきだった勉強をしないで、その他の分野でも何もしなかった奴らである。

有名大学に入学した人は、できなかった人よりも確実に頑張ってきた。それは自己PRの一つと受け止めてもらえないのだろうか。「サークルではいつもまとめ役で、協調性があります。」などと言うよりも、よっぽどわかりやすく客観的ではないか。

だが残念ながら、人より頑張ってたにも関わらず、何らかの事情で試験に失敗し、いわゆる三流校にしか入れなかったとする。そういう僕はかわいそうじゃないですか!という意見もあるだろう。

悪いけど、そんなものは評価されない。

世の中、結果が全てなのである。
もちろん頑張ってきたというプロセスは大事だし、それは本人の中で何らかの形で将来価値あるものになると思う。しかしそれはあくまで主観的な価値基準でしかなく、他人が判断する上では全く意味をなさない。人が人を判断する時は、客観的項目(数字とかね)しか物差しになり得ないのだ。しかも面接官は赤の他人なのだから。

そもそも結果を重視するというのが、社会人の世界の常識ではないのか。取引先と交渉段階ではうまくいってた、でも最後に失敗して結局契約取れませんでした、でも僕は頑張ってたんですよ!などと言っても、誰もその人を認めないだろう。

これから社会人になろうとする人が、学歴主義に文句を言っていてどうするのか。三流大学のあなたは、やるべき時期に全力で頑張れなかったんじゃないか。その分、何か他で頑張っていたというのだろうか。そういう奴に限って、他には何も無いのだ。勉強以外で他人に勝るものがある人は、十分アピールできるところがあるんだから、それこそ学校名なんぞ関係無い。きっと面接官には伝わると思う。全力で何かに打ち込んでいた人は、素人から見てもわかるから。

成績も同じことだ。確かに成績だけで落とされてはたまったものではないが、自己アピールの一つである。人より資格を一つ多く持っているようなものだ。人がサボりたい時に、コツコツ努力していた証である。どうして資格のアドバンテージは受け入れられているのに、成績になると目くじらを立てる奴らがいるのだろうか。

学歴は努力の歴史、であると思う。

口を酸っぱくして言っておきたいが、学歴という一つの物差しだけで判断するのは絶対に間違っている。総合的に人物像を判断する材料の一つとして、学歴も取り入れるべきだと言いたいのである。確かに実際の仕事は、勉強ができるだけでは務まらない。でも勉強ができる人の中に、やはり仕事もできる人の割合が高いのだろうと私は思う。それは、結果的にそうなっているのだろう。

大学名は書かないでください、なんて。
それは「自己PRでサークルのアピールは禁止ね。」と言っているのと同じだぞという事に、早く気付いてもらいたい。

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