人の話を聞く練習
2005年4月29日二日前に書いた「理想の女性論」が、なんかあちこちで反響を呼んでいる。
大学の友達の何人かにはこのBROGの事を教えているのだが、なんとわざわざ感想メールが来た。そして別のある友達のブログを覗いてみたら、タイトルが「理想の女性像」になっている。そう言えば、初トラックバックもされてしまった。ま、まさかこれがトラバされるとは…
予想外である。もっと考えてから書くべきであった。結構思いつきで書いた文章なので、書き直したい箇所が山ほどある。
最近思うのだが、こうして自分の頭の中のモヤモヤをアウトプットする作業というのは、やはり必要である。鉄は熱いうちに打てじゃないけど、私は思いついた瞬間書きまくる癖があるので、リアルタイムで興奮していた瞬間の自分が、文章にはっきりと表れている。自分がどういう人間で、どういう思考をしがちなのか、ここに書く事で理解できるし、反省の材料にもなる。
という事は、やはり後から書き直してはいかん。後から見たら浅はかな思考だったとしても、そう考えた自分がいた事は紛れもない事実なのだから。浅はかな部分を書き直したいと思ったら、それを修正するのではなく、新たに書き加えるべきである。それによって、昔の自分と今の自分がどう変わっているのかを比較する事ができるはずだから。
さて、今回の「理想の女性論」だが、様々な人の意見を読むうちに、本論を外れて自分の別の側面にスコープがあたることとなった。
私は人の意見を聞くのが苦手である。
私はどちらかと言うと、断定的な文章(〜なのである。〜べきだ。など)を書く傾向があるので、人の反感を買う確率もその分上がるわけである。
自分の意見をはっきり述べる人というのは、大概において自分の意見に自信を持っているから、人の反論に対しても冷静に受け止め議論を膨らませる事ができる。しかし、私は自分の意見にそこまで自信を持っているわけでもないので、やはり人の意見は必要である。それなのに反論されると落ち込む。これは明らかに矛盾している。人から反感を買いたくないというなら、主観性に満ちた断定表現をしなければいいのである。
だが、これはあくまで自分のBROGであるからして、主観性に満ちた文章を書いても一向に構わないはずである。それで批判されるのが嫌なら、自分の部屋の大学ノートに書いてればいいのである。そうじゃなく敢えて人目に触れるような場所に書いているのだから、それは人の意見を期待しているという事で、頂戴した意見はありがたく料理すべきだ。それが自分とは食い違う意見だったとしても、そういう風に考える人がいるのだと受け入れる事はおそらくとても重要だ。そうする事で得られる何かは、部屋でノートに書きなぐって得られるものより価値があるはず。
というわけで、人の意見に耳を傾ける努力をせねばならない。
思い出してみると、私は昔から人の話を聞くのが苦手である。自分に対する批判でなくても、人の意見に対して感想を述べていくうちに自分の話になっていってしまう。これは自分でも気付いている。ということはつまり、いつでも聞き手に回ってくれる友達(私の周りにはかなり多い。)なら話は弾むが、私と同じように話したがりの友達とは対立してしまうという事である。しかも双方が自分の言いたい事だけをまくし立て、双方がお互いの話を全然聞いていないのだとしたら、これは議論として全く価値が無い。
既に私の周りには聞き上手な友達(恋人含む)ばかりになっているという事は、自ら話したがりの友達を排除している事の証拠なのではないか。うわー!これはかなりマズイぞ!
どうして人の話を聞くのが苦手なのだろう。
やはり、自分の意見を否定されたくないという気持ちがあるからだと思う。小心者なのだな、つまり。あとは自信満々に語った事の矛盾を指摘されると、やっぱ恥ずかしいしね。プライドが高いのだな、つまり。
あと、私じゃなくても万人が否定したくなるような論を述べる人ってのもいる。そういう人の意見をどう受けとめるかも大事だと思う。みんなが見向きもしない論を押し通そうとしている人は、大抵の場合見苦しいが、こちらとしてもただ「君の意見は変だよ。」と批判するだけでは、相手のためにも自分のためにもならない。まあ相手が死ぬほど嫌いな人なら敢えて本人に言わなくてもいいだろうけど、「あいつの意見はイケてないな。」と思うだけでは、結局その人と同類であろう。彼/彼女の意見がどうしてイケてないのかを自分のと比較分析して、自分の意見の正しさを(あくまでも自分の中でね。)立証できなくては、自分の理論だって結局は大した事無いという事だ。
つまり人の話を聞くというのは、結局自分の意見を洗練させていく作業なのであろう。こちらが相手に対してレスポンスする事で、相手も更に考える糧を得るだろうし、自分の意見は更に磨かれる。磨いた上での意見を相手に返せば、更に磨く材料をよこしてくれるかもしれない。成長はエンドレスなのだ。
まあ相手がそれなりに「考える人」でないと、議論は息詰まってしまうのだけどね。こちらの意見をなんでもかんでも否定しまくる人は、やはり存在する。そういう点では、話をする相手を選ぶ必要はやはりある。しかし一通り意見を聞いてみてからだろうね、それは。こちらから相手を選んでいては、いつまでたっても自分の好きな意見しか得られないから。
そう考えてみると、相互リンクしてくださる人の存在はやはりありがたい。現実の私を知らないという事は、純粋に文章(思想)だけで私を見ているという事であり、限りなく客観的な評価が得られているという事だ。
えーと、なんだか文章がわけわからなくなってきたので、ここらへんでまとめを。
とりあえず私の今後の課題は、「人の話を聞く。」という事であって、私の理想とする女性とは、自分の意見をきちんと持っている(豊富な教養に基づいて)上で、人の意見を興味深く聞ける人だ。どれだけ自分に都合の悪い反論であっても、それを真摯に受け入れられる謙虚な姿勢を持っている女性に、私はなりたい。
大学の友達の何人かにはこのBROGの事を教えているのだが、なんとわざわざ感想メールが来た。そして別のある友達のブログを覗いてみたら、タイトルが「理想の女性像」になっている。そう言えば、初トラックバックもされてしまった。ま、まさかこれがトラバされるとは…
予想外である。もっと考えてから書くべきであった。結構思いつきで書いた文章なので、書き直したい箇所が山ほどある。
最近思うのだが、こうして自分の頭の中のモヤモヤをアウトプットする作業というのは、やはり必要である。鉄は熱いうちに打てじゃないけど、私は思いついた瞬間書きまくる癖があるので、リアルタイムで興奮していた瞬間の自分が、文章にはっきりと表れている。自分がどういう人間で、どういう思考をしがちなのか、ここに書く事で理解できるし、反省の材料にもなる。
という事は、やはり後から書き直してはいかん。後から見たら浅はかな思考だったとしても、そう考えた自分がいた事は紛れもない事実なのだから。浅はかな部分を書き直したいと思ったら、それを修正するのではなく、新たに書き加えるべきである。それによって、昔の自分と今の自分がどう変わっているのかを比較する事ができるはずだから。
さて、今回の「理想の女性論」だが、様々な人の意見を読むうちに、本論を外れて自分の別の側面にスコープがあたることとなった。
私は人の意見を聞くのが苦手である。
私はどちらかと言うと、断定的な文章(〜なのである。〜べきだ。など)を書く傾向があるので、人の反感を買う確率もその分上がるわけである。
自分の意見をはっきり述べる人というのは、大概において自分の意見に自信を持っているから、人の反論に対しても冷静に受け止め議論を膨らませる事ができる。しかし、私は自分の意見にそこまで自信を持っているわけでもないので、やはり人の意見は必要である。それなのに反論されると落ち込む。これは明らかに矛盾している。人から反感を買いたくないというなら、主観性に満ちた断定表現をしなければいいのである。
だが、これはあくまで自分のBROGであるからして、主観性に満ちた文章を書いても一向に構わないはずである。それで批判されるのが嫌なら、自分の部屋の大学ノートに書いてればいいのである。そうじゃなく敢えて人目に触れるような場所に書いているのだから、それは人の意見を期待しているという事で、頂戴した意見はありがたく料理すべきだ。それが自分とは食い違う意見だったとしても、そういう風に考える人がいるのだと受け入れる事はおそらくとても重要だ。そうする事で得られる何かは、部屋でノートに書きなぐって得られるものより価値があるはず。
というわけで、人の意見に耳を傾ける努力をせねばならない。
思い出してみると、私は昔から人の話を聞くのが苦手である。自分に対する批判でなくても、人の意見に対して感想を述べていくうちに自分の話になっていってしまう。これは自分でも気付いている。ということはつまり、いつでも聞き手に回ってくれる友達(私の周りにはかなり多い。)なら話は弾むが、私と同じように話したがりの友達とは対立してしまうという事である。しかも双方が自分の言いたい事だけをまくし立て、双方がお互いの話を全然聞いていないのだとしたら、これは議論として全く価値が無い。
既に私の周りには聞き上手な友達(恋人含む)ばかりになっているという事は、自ら話したがりの友達を排除している事の証拠なのではないか。うわー!これはかなりマズイぞ!
どうして人の話を聞くのが苦手なのだろう。
やはり、自分の意見を否定されたくないという気持ちがあるからだと思う。小心者なのだな、つまり。あとは自信満々に語った事の矛盾を指摘されると、やっぱ恥ずかしいしね。プライドが高いのだな、つまり。
あと、私じゃなくても万人が否定したくなるような論を述べる人ってのもいる。そういう人の意見をどう受けとめるかも大事だと思う。みんなが見向きもしない論を押し通そうとしている人は、大抵の場合見苦しいが、こちらとしてもただ「君の意見は変だよ。」と批判するだけでは、相手のためにも自分のためにもならない。まあ相手が死ぬほど嫌いな人なら敢えて本人に言わなくてもいいだろうけど、「あいつの意見はイケてないな。」と思うだけでは、結局その人と同類であろう。彼/彼女の意見がどうしてイケてないのかを自分のと比較分析して、自分の意見の正しさを(あくまでも自分の中でね。)立証できなくては、自分の理論だって結局は大した事無いという事だ。
つまり人の話を聞くというのは、結局自分の意見を洗練させていく作業なのであろう。こちらが相手に対してレスポンスする事で、相手も更に考える糧を得るだろうし、自分の意見は更に磨かれる。磨いた上での意見を相手に返せば、更に磨く材料をよこしてくれるかもしれない。成長はエンドレスなのだ。
まあ相手がそれなりに「考える人」でないと、議論は息詰まってしまうのだけどね。こちらの意見をなんでもかんでも否定しまくる人は、やはり存在する。そういう点では、話をする相手を選ぶ必要はやはりある。しかし一通り意見を聞いてみてからだろうね、それは。こちらから相手を選んでいては、いつまでたっても自分の好きな意見しか得られないから。
そう考えてみると、相互リンクしてくださる人の存在はやはりありがたい。現実の私を知らないという事は、純粋に文章(思想)だけで私を見ているという事であり、限りなく客観的な評価が得られているという事だ。
えーと、なんだか文章がわけわからなくなってきたので、ここらへんでまとめを。
とりあえず私の今後の課題は、「人の話を聞く。」という事であって、私の理想とする女性とは、自分の意見をきちんと持っている(豊富な教養に基づいて)上で、人の意見を興味深く聞ける人だ。どれだけ自分に都合の悪い反論であっても、それを真摯に受け入れられる謙虚な姿勢を持っている女性に、私はなりたい。
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