ウチは猫(メス。14歳位。)を飼っている。

最近家にいる時間が長いので、奴といる時間が長いのだが、奴は私に様々な示唆を与えてくれる。まあ犬猫の年齢は人間のそれの4〜5倍というから、奴の方が成熟してるわけだし。

奴は家猫なので、家から一歩も出ない。別に閉じこめてるわけではないのだが、奴自身が怖がって外に出ないのである。というわけで、奴のテリトリーは主に一階のリビング。特にコタツに関しては、完璧に自分の物だと思っているようだ。多分マーキングという行為だと思うが、犬と違って猫はお小水を引っかけたりはせず、首っつらの横あたり(?)をこすりつけたりする。匂いをつけて、「ここはアタシんだからねッ!」とアピールしてるわけだ。

しかし我が家も一年中コタツを出してるわけではないので、当然春になるとしまう日がやってくる。

昨日まであったはずのコタツが、今日は無い。

奴にとってはさっぱりわからないだろう。「なんで、なんで、なんで!?アタシの大事な彼はどこに行ったのヨ!?」という具合だろう。奴は猫ながら表情を持っているのだが(長年猫と暮らしてると、段々表情が読めるようになってくる。)、今日は明らかに呆然としていた。まあ毎年の事なのだが。

私たち人間からすれば、春になってコタツを片付けるのは誠に理にかなった行為である。暖かい季節に暖房器具は必要無い。

しかし、奴にとってはおそらく意味不明なのである。どうしてコタツが急に無くなるのか。多分奴の小さい頭では一生考えてもわからない。この単純過ぎる理屈は、明らかに奴の概念を超越しているから。

そう考えると、私たちがいくら考えてもわからないような事(例えば死んだらどうなるのかとか。あと宇宙の果てはどうなっているのかとか。)のほとんどは、もしかしたら馬鹿らしい程単純な真理に基づいているのかもしれないと思ったりするのである。奴にとっての宇宙とは我が家のリビングで、きっと奴はこのリビングが全てだと思っている。でも本当は、家の外にも広い世界があって、奴とよく似た猫たちがたくさんいるのだ。

偉大な哲学者たちがどんなに頭をひねって考えても、所詮与えられただけの小さな脳味噌で考えた理論なのだ。真理はきっと私たちの概念を、遙かに遙かに超越したところにあるのだと思う。

奴は馬鹿だから、きっとこのリビングがこの世の全てだと思っていると思うけど、それは別に悪いことではない。だって奴にとってはこのリビングしか無いから。

私たちにとっても、きっと丁度良い大きさの箱があって、それが大きいからといって幸せだとは限らない。大切な家族と住めるだけの家が一軒あって、自分たちが食べるものを作れるだけの畑があって、ちょっとだけ散歩に出かけられる庭があれば十分なのではないだろうか。「宇宙」は伸縮するからこそ魅力的で、だからこそ厄介なのだろう。

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