×の強度
2005年5月15日メジャー過ぎると言われても構わないが、私は山田詠美が好きである。SJ(処女と読んでください。)時代は、色々とイマジネーションを刺激されたものだ。
ドラマ化された彼女の作品『ぼくは勉強ができない』は、未だに私の好きな本ベスト5に食い込む。詠美ファンの方から怒られるかもしれないけど、非常に考えてること似てるんですよね、詠美さんと。すっごい仲良しになれる気がする。
上記作品は短編集だが、その中に「○をつけよ」という作品がある。今手元に本が無い(貸し出し中)ので、正確に引用できないのがイタイが、つまり不倫や殺人が悪いことだというのは、周りが勝手に×をつけてるだけじゃないかと。実際の当事者にしてみれば、色々事情なり考えがあるだろうと。それをちゃんと知るためにも、まず最初は○をつけてみよと。まず○をつけた後で考えてみると、多分色々わかる事がある。
特に浮気や不倫。これは100人に聞いたら90人以上が×をつけると思う。実際に現在進行形で浮気中の人でも、諸手を上げてこれらに賛成するとは思えない。基本的にこれはいけない事でしょ、みたいな風潮は確実にある。
でもどうして×なのだろう。
これについて、かつて自分の頭で考えたことがあっただろうか。世の中の大半の人が×をつけているから、安易に自分もそうしていたに過ぎない。こういうことはよくある。『なぜ人を殺してはいけないのか』という新書がベストセラーになった理由も、世の中の大半がよく考えずに×をつけている真理が、なにゆえ真理なのかについて正面からぶつかったからであろう。そう、皆自分の頭で考えて×をつけたことなんて、数える程しかないのである。
基本的に私は22年間真面目に生きてきたから、いわゆる浮気が当たり前になってるような人たちとは、あまり関わらずに生きてきた。何しろ中学高校時代は非常に純粋で、初めて付き合う人と結婚するべきだと本気で思っていたし、逆に一途に恋愛できない人を心の底から軽蔑していた。
誰とでもセックスできちゃう人は最低だと思っていたし、今もよくわからないけど、×をつけている。でも自分がそうならない自信は昔ほど無い。だってそういう世界があまりにも遠いところにあると思っていたのに、そんなことはないという事に気付いてしまったから。いつでもすぐ横にはそういう世界があって、それらと自分のいる世界を仕切っている壁を構成しているのは、よく考えずにつけていた×のパワーだ。そんな脆い×の上にできている壁なんて。
一般に浮気がいけないという理由の中に、「いいとこ取り」は良くないという要素があると思う。長年付き合っている恋人と別れるのは嫌だけど、トキメキが欲しいから浮気をする。本当にトキメキを求めるのであれば、今の恋人とすっぱり別れるべきなのである。多分長年うまくいっていた恋人を捨てられないのは、浮気相手とそれ以上にうまくいくかどうか不安だからではないかと。でもリスクを負わずにいいものを得たいというのは、傲慢だ。
だが、一度も浮気を経験した事が無い人が、本当の意味で×を付けられるのだろうか。なぜなら浮気も殺人も、当事者の置かれている状況はそれこそ人間の存在する数以上に多い。Aさんの浮気とBさんの浮気では、全く性質は違うのである。とかくAさんがどうして浮気をしようと思ったかについて議論されがちだが、多分いつのまにかしてたといった場合がほとんどで、誰もが×だと知った上で犯行に及んでいるのだと思う。じゃあ×と知っていてなおかつそれを遂行させ得た要因とは?
私は浮気に×をつけられない。でも○もつけたくない。
でもそれは、○をつける自分が他人にどう思われるかといった恐怖が先行しているだけなのではないだろうか。
初めて知った。机上の○×問題なんて、所詮幻想に過ぎない。実際に○か×かを執行しなければいけない時に、初めてその強度が試されるのだ。
ドラマ化された彼女の作品『ぼくは勉強ができない』は、未だに私の好きな本ベスト5に食い込む。詠美ファンの方から怒られるかもしれないけど、非常に考えてること似てるんですよね、詠美さんと。すっごい仲良しになれる気がする。
上記作品は短編集だが、その中に「○をつけよ」という作品がある。今手元に本が無い(貸し出し中)ので、正確に引用できないのがイタイが、つまり不倫や殺人が悪いことだというのは、周りが勝手に×をつけてるだけじゃないかと。実際の当事者にしてみれば、色々事情なり考えがあるだろうと。それをちゃんと知るためにも、まず最初は○をつけてみよと。まず○をつけた後で考えてみると、多分色々わかる事がある。
特に浮気や不倫。これは100人に聞いたら90人以上が×をつけると思う。実際に現在進行形で浮気中の人でも、諸手を上げてこれらに賛成するとは思えない。基本的にこれはいけない事でしょ、みたいな風潮は確実にある。
でもどうして×なのだろう。
これについて、かつて自分の頭で考えたことがあっただろうか。世の中の大半の人が×をつけているから、安易に自分もそうしていたに過ぎない。こういうことはよくある。『なぜ人を殺してはいけないのか』という新書がベストセラーになった理由も、世の中の大半がよく考えずに×をつけている真理が、なにゆえ真理なのかについて正面からぶつかったからであろう。そう、皆自分の頭で考えて×をつけたことなんて、数える程しかないのである。
基本的に私は22年間真面目に生きてきたから、いわゆる浮気が当たり前になってるような人たちとは、あまり関わらずに生きてきた。何しろ中学高校時代は非常に純粋で、初めて付き合う人と結婚するべきだと本気で思っていたし、逆に一途に恋愛できない人を心の底から軽蔑していた。
誰とでもセックスできちゃう人は最低だと思っていたし、今もよくわからないけど、×をつけている。でも自分がそうならない自信は昔ほど無い。だってそういう世界があまりにも遠いところにあると思っていたのに、そんなことはないという事に気付いてしまったから。いつでもすぐ横にはそういう世界があって、それらと自分のいる世界を仕切っている壁を構成しているのは、よく考えずにつけていた×のパワーだ。そんな脆い×の上にできている壁なんて。
一般に浮気がいけないという理由の中に、「いいとこ取り」は良くないという要素があると思う。長年付き合っている恋人と別れるのは嫌だけど、トキメキが欲しいから浮気をする。本当にトキメキを求めるのであれば、今の恋人とすっぱり別れるべきなのである。多分長年うまくいっていた恋人を捨てられないのは、浮気相手とそれ以上にうまくいくかどうか不安だからではないかと。でもリスクを負わずにいいものを得たいというのは、傲慢だ。
だが、一度も浮気を経験した事が無い人が、本当の意味で×を付けられるのだろうか。なぜなら浮気も殺人も、当事者の置かれている状況はそれこそ人間の存在する数以上に多い。Aさんの浮気とBさんの浮気では、全く性質は違うのである。とかくAさんがどうして浮気をしようと思ったかについて議論されがちだが、多分いつのまにかしてたといった場合がほとんどで、誰もが×だと知った上で犯行に及んでいるのだと思う。じゃあ×と知っていてなおかつそれを遂行させ得た要因とは?
私は浮気に×をつけられない。でも○もつけたくない。
でもそれは、○をつける自分が他人にどう思われるかといった恐怖が先行しているだけなのではないだろうか。
初めて知った。机上の○×問題なんて、所詮幻想に過ぎない。実際に○か×かを執行しなければいけない時に、初めてその強度が試されるのだ。
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