フィクションの中のノンフィクション
2005年5月22日私が映画の見れない女というのは有名な話(?)だが、実はドラマもあまり得意でない女だった。
まあ映画に比べればドラマの方が若干わかる。てかドラマの場合、ストーリーは絶対わかる。じゃあなんでドラマ見ないのって感じだが、要は毎週固定のスケジュールじゃないので、「あっ、今日は九時からドラマだから帰らなきゃ!」みたいに見る事が義務化するような気がして、嫌なのだ。
そんな私も最近頑張って(なぜ頑張らなきゃいけないのかわかんないけど…)、毎クール一本だけは見るようにしている。一本なら大丈夫なの。前回は『救命病棟24時』、その前は『ラスト・クリスマス』、そして今回はあの『エンジン』。
はっきり言って今日の『エンジン』は沁みた。辛かった。ストーリーとか構成とか音楽とかテンポとかそういう専門的な話をしたいのではない。(ってかできない。)
要は、今話のヒロイン・春海にどっぷり感情移入してしまったのだ。
(以下、ネタバレを含みますので、録画しててまだ見てない方は読まないように)
春海は17歳で、四つ年上の大学生と結婚の約束をした。幼い頃からうまく恋愛できない母親を見ていたから、幸せな恋愛・結婚に憧れていた。いざ母親たちに彼を紹介しようとしたら、約束の時間になっても彼が現れない。結局彼は本気ではなかったので、この後春海は泣くはめになるのだが、来ない彼について母親たちに訴える時の台詞が
「ママとは相手が違うもの。トシくんは違う。すごく真面目だし、私を大切にしてくれる。」
と。
(うろ覚えだけど…)
悪いけどこの大学生、遊び人を絵に描いたような奴である。まあそりゃドラマだから、役柄をわかりやすくするためにそうなっていたんだろうけど、第三者が見たら春海が騙されている事は明白だったのだ。
架空の物語だから「あーあ、馬鹿だなー」と言って受け流しがちだけど、私は受け流さないぞ。だって、皆自分だけは騙されないと思って生きているんだろうけど(無論私も)、実際騙される春海と自分たちの間にある隙間には、蟻の子一匹たりとも入れない。比喩がわかり辛くなってしまったけど、つまり大差無いという事。
一度も騙された事が無い人にこの気持ちを説明するのは、非常に骨が折れるのだが、騙される場合において何が一番の問題かというと、大抵の場合、本人は騙される危険性を十分に認識した上で騙されているのだ。よっぽどの馬鹿じゃあるまいし、世の中の人間が皆信用できるなんて誰も思ってないはず。
だからね、皆一度フィルターを通した上で騙されているって事。銘々のフィルターの強度や信頼性には個人差があるだろうけど、何しろ自分のフィルターなんだから、皆それなりに信用しているでしょう。そのフィルターを審査するフィルターが保護者だったり親だったりするんだろうけど、何しろ自分がその相手を一番理解したつもりでいるんだから、全くタチが悪い。
偉そうに語っているアンタはなんなんだって意見は予測済みである。
私は騙されたことがある。
(もちろん今回のような結婚詐欺ではないけれど。)
私は人一倍真面目であることを認識しているし、親の意に背かないよう着実に道を踏み外さないように生きてきたつもりだし、好きだと思って飛び込む前にきちんと判断したつもりだった。
人間、やはり「自分だけは」と思ってしまう生き物なのかもしれない。それは一生直らないのかもしれない。何しろ研ぎ澄まされたフィルターを持っているように思い込んでいるのは、あくまでも自分だけであって、そのフィルターを審査する第二のフィルターは、決して自分の中には存在できない。それはもしかしたら時に"純粋"と言い間違える程の甘美な過ちだけど、本質はただのお人好しなのだ。
少なくとも相手を心の底から信じきっているとき(ノンフィクション)は、自分こそが一番ベストな選択肢の先にいると思っているわけで、自分の周りを取り囲んでいる全てのものと"愛する彼"は、自分の中だけでどこまでも真実であり続けている。
しかし、"愛する彼"と周りの夢のよう(に見える)な現実は、自分の知らないところではあくまでもかりそめで、ちょっとつつけばすぐに壊れてしまう虚構(フィクション)に過ぎない。
いつでも確実に見える客観的なノンフィクションの世界にいれば、傷付く必要もない。でも私が今大切にしているこのノンフィクションに見える世界が、脆いフィクションに包まれていないなんて、一体誰が教えてくれるの。
まあ映画に比べればドラマの方が若干わかる。てかドラマの場合、ストーリーは絶対わかる。じゃあなんでドラマ見ないのって感じだが、要は毎週固定のスケジュールじゃないので、「あっ、今日は九時からドラマだから帰らなきゃ!」みたいに見る事が義務化するような気がして、嫌なのだ。
そんな私も最近頑張って(なぜ頑張らなきゃいけないのかわかんないけど…)、毎クール一本だけは見るようにしている。一本なら大丈夫なの。前回は『救命病棟24時』、その前は『ラスト・クリスマス』、そして今回はあの『エンジン』。
はっきり言って今日の『エンジン』は沁みた。辛かった。ストーリーとか構成とか音楽とかテンポとかそういう専門的な話をしたいのではない。(ってかできない。)
要は、今話のヒロイン・春海にどっぷり感情移入してしまったのだ。
(以下、ネタバレを含みますので、録画しててまだ見てない方は読まないように)
春海は17歳で、四つ年上の大学生と結婚の約束をした。幼い頃からうまく恋愛できない母親を見ていたから、幸せな恋愛・結婚に憧れていた。いざ母親たちに彼を紹介しようとしたら、約束の時間になっても彼が現れない。結局彼は本気ではなかったので、この後春海は泣くはめになるのだが、来ない彼について母親たちに訴える時の台詞が
「ママとは相手が違うもの。トシくんは違う。すごく真面目だし、私を大切にしてくれる。」
と。
(うろ覚えだけど…)
悪いけどこの大学生、遊び人を絵に描いたような奴である。まあそりゃドラマだから、役柄をわかりやすくするためにそうなっていたんだろうけど、第三者が見たら春海が騙されている事は明白だったのだ。
架空の物語だから「あーあ、馬鹿だなー」と言って受け流しがちだけど、私は受け流さないぞ。だって、皆自分だけは騙されないと思って生きているんだろうけど(無論私も)、実際騙される春海と自分たちの間にある隙間には、蟻の子一匹たりとも入れない。比喩がわかり辛くなってしまったけど、つまり大差無いという事。
一度も騙された事が無い人にこの気持ちを説明するのは、非常に骨が折れるのだが、騙される場合において何が一番の問題かというと、大抵の場合、本人は騙される危険性を十分に認識した上で騙されているのだ。よっぽどの馬鹿じゃあるまいし、世の中の人間が皆信用できるなんて誰も思ってないはず。
だからね、皆一度フィルターを通した上で騙されているって事。銘々のフィルターの強度や信頼性には個人差があるだろうけど、何しろ自分のフィルターなんだから、皆それなりに信用しているでしょう。そのフィルターを審査するフィルターが保護者だったり親だったりするんだろうけど、何しろ自分がその相手を一番理解したつもりでいるんだから、全くタチが悪い。
偉そうに語っているアンタはなんなんだって意見は予測済みである。
私は騙されたことがある。
(もちろん今回のような結婚詐欺ではないけれど。)
私は人一倍真面目であることを認識しているし、親の意に背かないよう着実に道を踏み外さないように生きてきたつもりだし、好きだと思って飛び込む前にきちんと判断したつもりだった。
人間、やはり「自分だけは」と思ってしまう生き物なのかもしれない。それは一生直らないのかもしれない。何しろ研ぎ澄まされたフィルターを持っているように思い込んでいるのは、あくまでも自分だけであって、そのフィルターを審査する第二のフィルターは、決して自分の中には存在できない。それはもしかしたら時に"純粋"と言い間違える程の甘美な過ちだけど、本質はただのお人好しなのだ。
少なくとも相手を心の底から信じきっているとき(ノンフィクション)は、自分こそが一番ベストな選択肢の先にいると思っているわけで、自分の周りを取り囲んでいる全てのものと"愛する彼"は、自分の中だけでどこまでも真実であり続けている。
しかし、"愛する彼"と周りの夢のよう(に見える)な現実は、自分の知らないところではあくまでもかりそめで、ちょっとつつけばすぐに壊れてしまう虚構(フィクション)に過ぎない。
いつでも確実に見える客観的なノンフィクションの世界にいれば、傷付く必要もない。でも私が今大切にしているこのノンフィクションに見える世界が、脆いフィクションに包まれていないなんて、一体誰が教えてくれるの。
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