誰かに似てる似てると思ってたのだ…。

藤原竜也だ!!!

しかも喋り方はキムタク風。(「ぅおい、まぁてぇよ!」とか言いそうな感じ。)なんでそんな素敵過ぎるコラボレーションが実現するのだ。

ウンウン、よかった。謎が解決した。
すいません、独り言です。本文には全く関係ありません。

今日は昨日の続き。本音と建て前についてもう少し。何しろしつこい人間ですから。

私の書いた昨日の日記に関して、ある友達がコメントしてくれていた。その中の一文を引用。

"お世辞とか建て前とかは苦手です。
でもこのごろ
そういうことをすらりといえるのは
美徳なんじゃないかなと
思います。"

勝手に引用したりして大丈夫かどうかちょっと不安だけど、とにかく私はこれを読んで、深々と三十センチ位頷いたわけだ。批判を承知で書いた(別に批判は無かったけど)昨日の文章だけど、日記それ自体が限りなく私の本音に近いもので、昨日のタイトルで言えばつまりはストレートボールだったわけだ。

彼女の書いた文章を読んだとき、私は「ああ、打たれた」と思った。そう、私は真正面から打たれた。気持ちいいくらいの打球音と共に。しかしなんだか爽快だった。(彼女はヒットを狙ってやっきになる強打者タイプではないので、心外かもしれないが…)

本音だけで純粋に振舞うことが必ずしも大人ではないということ。それは重々承知しているつもりだけれど、"本当の建前"を言えるようになるためには、本音をいつでも言える勇気を持っている人にならなければとも思う。

なぜなら建前は便利だからこそ、連発されがちなのである。そして本音を言うよりは建前を言っておいた方が大体うまくいくし、昨日も書いたように建前イコール美徳だということを、芯からではなく表面的にしか理解していない人は多くいるから。

そしてそういう人は、建前を建前と自分で認識せずに使っていたりもする。そうなると段々自分でも本音なんだか建前なんだかわからなくなって、会う度に(もしくは人によって)違うことを言っていたり。そしてそういう人が、いわゆる八方美人と呼ばれる人なんだろうと思う。確かに世渡り上手だとは思うけれど。

私が命をかけてもいいと思うほど何かを強く主張することはあまり無いけれど(「うそー!?いつも強気だぞ!?」とか言わないように)、これだけははっきり言いたい。

本音を言えない人間は、建前なんてもっと言えない。

ストレートを練習してない投手が、いきなり美しいフォークを投げられるはずがない。

確固たる本音を形作る信念があるからこそ、それを隠すための建前が存在するはずなのだ。相手に合わせてうまいことを言うだけの人は、建前を言っていると思い込んでいるだけで、結局は自分の意見が無いだけだ。

どうしても譲れない強い想いであればあるほど、それが相手を傷つけるであろう可能性を予測できるから、だからこそそれを隠すのだ。建前は、大抵どうでもいいような人をあしらうときに使われがちだけど(もちろん私だって使う)、本当に大切な人を守るためにこそ使いたいと思う。もちろん使用方法は人それぞれ。いつだってどこだって使えるから普及しているし、でも私たちの判断次第でその価値が高まったり下がったりする。まるで貨幣のように。

私は本当に傷つけちゃいけないときのためにこそ、建前を使えるようになりたい。

(私は本音と建前を取り違えて、最近大切な人を傷つけた。)

でもそのためには、本音を上手に言える訓練をしなければいけない。相手に合わせた"建前のように見える本音"が、TPOにあわせて自然と出てくるような女性がいたら、つまり本人はいつでも本音を喋っているんだけれど、それが相手に不快感を与えないような正当性と気配りに満ちている、そんな女性がいたらいいと思う。

なれないかもしれないけれど、目指すことはできると思う。

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