私は一人っ子なので、小さい頃から何度も「姉弟がいたらいいのになあ」と思い続けてきた。

実際に母の足下を走り回りながら「兄と姉は諦めるから、弟か妹を作って!」と懇願したことも、一度や二度ではない。

まあ当時はどのように子どもが作られるのかといった仕組みを理解していなかったからこそ、こんなことができたのだが。そのうち「もうあの二人には無理かな…」と理解できる歳に達し、素直に現実を受け止めるようになった。

だから私は姉弟がいる場合を空想する機会が多かったのだが、その度に欲しいと思うのは、姉でも弟でも妹でもなく、"お兄ちゃん"だった。どうしてなのだろう。歳の近い妹か姉がいれば服なども借りっこできるし、ずっと楽しいだろうにとも思うのだが、今神様が「一人作ってあげる」と言ってくれたら、私は兄を希望すると思う。

自分にとって親しい友人というのは、大抵同年代かつ同性に偏りがちだ。だから私にとって一番身近なのは、やはり同年代の女の友達。そして次に多いのは、同年代の男の友達。

つまりこうしてカウントしていくと、極端に縁遠いのは歳の離れた男の友人なのだ。

私は大概において、自分の目に映るものとそれらに対する自らの判断を信頼しているけれど、後になってみると「浅はかだったな」と思うことも多い。しかも最近では、自らの生き方がある意味では浅はかだということを認識した上で走っていたりもする。どういうことかと言うと、「どうせ歳とらなきゃ何が自分にとって正しいかなんてわかりゃしないんだから、今は自分がいいと思うことをしよう」ということ。

しかしそんな判断も、時には「浅はかだった」で済まされないこともあるだろう。そんな私にストップをかけてくれるのは、歳の離れた異性の存在ではなかろうかと。

もちろんその役目を担うのは、同年代の友達でも構わない。けれど彼らの意見も、種類の違いこそあれ、私の抱くそれと基本的には大差無いのではないかと。たまにはものすごく成熟した友人というのもいるだろうけど。

そして同性の考えることというのも、根本的な部分では一致してしまいがちだ。同性だからこそわかるということも多くあるけれど、そういった内容を話す相手には恵まれているし、何よりも同性の先輩となるべき母親の存在が私には大きい。

じゃあ「歳の離れた異性」として、父親がそれに該当するのではないかとも思われるけど、残念ながら彼はあまりにも成熟し過ぎている。

例えば父と話をすると、彼は結論を先に話してしまいがちなので、多くの場合私と対立するのである。帰納法じゃないけれど、私はまだデータとなる多くの事象を自ら体験していないので、そこから導き出された結論だけを提示されても、説得力に欠けるのである。父は既に自らの体験が前提としてあるので、私のような未熟者がどんな状態にあるかをいまいち想像しきれていない。(これは我が家に限ったことじゃないと思うので、ほとんどの家庭での親子喧嘩の原因なんじゃないかな。)

そう考えるとやはりベストなのは、社会に出てある程度の経験を積み、既に自らの判断力に何かしらの自信を持っている男性ではないかと思うのだ。

しかも彼らはきっと未熟だった頃の自分を忘れきっていないと思われるので、私の放つ疑問にも説得力のある答え(あくまでも彼らの中での真実だけど)を用意してくれるんじゃないかな、と。

残念ながら年上の男性と付き合ったことが無いのでわからないけれど、私のような小娘が年上に憧れてしまいがちなのは、身の周りにかつてあまりいなかった存在が、自分にとって新鮮な意見を与えてくれるからなんじゃないかと思われる。(単純に年上はお金を持ってるから、ってだけかな)

というわけで、私は「"お兄ちゃん"がいたらなぁ」と最近切に願うのである。

私の無鉄砲っぷりを「馬鹿だなぁ」と思いつつも見守ってくれて、でも本当に危ないときは助言を与えてくれる、そんな存在がいたらなぁ、と。

私が年上の男性の日記にブックマークを貼りがちなのは、こういった理由からかもしれない。

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