身一つ、未だ一人
2005年6月8日母が短大時代から仲良くしている友達がいて、最近しょっちゅうメールをやりとりしている。
母がメールをするのは私か父かに限られていたので、「一体何を話しているのさ」と聞いてみたところ、どうやらそのお相手さんの家庭というのがなかなか複雑らしく、その相談に乗っているとのこと。
その友達というのが、当時大恋愛の末、仲間内では一番早く結婚したらしい。なのにいざ結婚してみたら、旦那との関係がいきなり冷め切ってしまったそうで。そんなこんなでなんとか20ウン年やってきたのだが、最近親の介護のことやらなんやらでますます問題が複雑化し、最早にっちもさっちもいかなくなってきているそうなのだ。
「はあ〜、大変ですな〜」なんて反応もそこそこに、私は部屋に引っ込んだのだが、例の分度器の友人(4月11日&5月17日の日記参照)がまたもや遊びに来たので、その対応。彼女の仕事場からの帰り道上に丁度我が家があるので、最近よく遊びに来るのである。
彼女と何を話したかというと、やはりお互いの恋バナがメイン。そして彼女の仕事のこと。私のバイト先のこと。最近買った化粧品のこと。共通の友人の近況など。
改めて気付いたけれど、やはり私と友人の話というのは、お互いの身一つに関する話題ばかりで(まあ恋人も厳密な意味では他人だし)、母と友人のそれに比べると規模が小さい。
母たちの話題は、どうしても自分の属する世帯に関することが中心になるそうで、ということはそれぞれの「家」を単位として、お互いを見るのであろう(もちろん買ったばかりの化粧品の話をすることもあるだろうけど)。
でもきっと母が私位の歳だった頃は、今悩んでいるその友人とも他愛ない恋愛話をしただろうし、「今度あそこの服を買いに行こうよ」なんて話もしたに違いない。
一体いつからそうなってしまうのだろうと思うけれど、今私たちは日本一楽しい時期を過ごしているに違いなくて、例えるならそれは線グラフの頂点にいるようなものなのかも、と。
結婚して世帯を新たに持つということは、相手が好きだとか価値観が合うとかいう問題以前に、全然関係無かった他人たちがいきなり親戚という枠に収められて、本来なかなかうまくいくはずがないものを「なんとかうまくやらねば」と奮闘する覚悟を共に持つことなんだなぁと。
そしてどんな家庭にも大なり小なり問題があって、自分が何が好きかとか何がしたいかよりも、その問題ばかりが自分の心を占拠してしまうようになり、でもそれを当然のように受け入れなきゃいけない歳になるんだろうと思う。
「線グラフが下降する」と言ったら、多分母世代は怒ると思うけれど、とりあえず今はもう少しだけ(グラフがギリギリ頂点を保っている間だけ)自分の身一つのことを考えていようと思う。
なるべくなら、グラフが永遠に上がり続ける人生を送りたいと思うけれど。
同じようにそう考えて共に生きてくれる、そして共に奮闘してくれるパートナーに、巡り逢いたいと思う。
母がメールをするのは私か父かに限られていたので、「一体何を話しているのさ」と聞いてみたところ、どうやらそのお相手さんの家庭というのがなかなか複雑らしく、その相談に乗っているとのこと。
その友達というのが、当時大恋愛の末、仲間内では一番早く結婚したらしい。なのにいざ結婚してみたら、旦那との関係がいきなり冷め切ってしまったそうで。そんなこんなでなんとか20ウン年やってきたのだが、最近親の介護のことやらなんやらでますます問題が複雑化し、最早にっちもさっちもいかなくなってきているそうなのだ。
「はあ〜、大変ですな〜」なんて反応もそこそこに、私は部屋に引っ込んだのだが、例の分度器の友人(4月11日&5月17日の日記参照)がまたもや遊びに来たので、その対応。彼女の仕事場からの帰り道上に丁度我が家があるので、最近よく遊びに来るのである。
彼女と何を話したかというと、やはりお互いの恋バナがメイン。そして彼女の仕事のこと。私のバイト先のこと。最近買った化粧品のこと。共通の友人の近況など。
改めて気付いたけれど、やはり私と友人の話というのは、お互いの身一つに関する話題ばかりで(まあ恋人も厳密な意味では他人だし)、母と友人のそれに比べると規模が小さい。
母たちの話題は、どうしても自分の属する世帯に関することが中心になるそうで、ということはそれぞれの「家」を単位として、お互いを見るのであろう(もちろん買ったばかりの化粧品の話をすることもあるだろうけど)。
でもきっと母が私位の歳だった頃は、今悩んでいるその友人とも他愛ない恋愛話をしただろうし、「今度あそこの服を買いに行こうよ」なんて話もしたに違いない。
一体いつからそうなってしまうのだろうと思うけれど、今私たちは日本一楽しい時期を過ごしているに違いなくて、例えるならそれは線グラフの頂点にいるようなものなのかも、と。
結婚して世帯を新たに持つということは、相手が好きだとか価値観が合うとかいう問題以前に、全然関係無かった他人たちがいきなり親戚という枠に収められて、本来なかなかうまくいくはずがないものを「なんとかうまくやらねば」と奮闘する覚悟を共に持つことなんだなぁと。
そしてどんな家庭にも大なり小なり問題があって、自分が何が好きかとか何がしたいかよりも、その問題ばかりが自分の心を占拠してしまうようになり、でもそれを当然のように受け入れなきゃいけない歳になるんだろうと思う。
「線グラフが下降する」と言ったら、多分母世代は怒ると思うけれど、とりあえず今はもう少しだけ(グラフがギリギリ頂点を保っている間だけ)自分の身一つのことを考えていようと思う。
なるべくなら、グラフが永遠に上がり続ける人生を送りたいと思うけれど。
同じようにそう考えて共に生きてくれる、そして共に奮闘してくれるパートナーに、巡り逢いたいと思う。
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