ステディ(この書き方、「彼氏」とか書くより新鮮でいいな。)と「電車男」を鑑賞。

何も映画の感想を書こうというのではない。そもそも公の場で作品のレビューを綴ること自体が、あまり好きではない。作品の善し悪しは、どんなに頑張っても主観的な枠組み内でしか語ることができないから。(糾弾されるのが怖いだけだが)

今回の鑑賞に関して一番印象的だったのは、後ろの席から聞こえてきたコメントだ。

「こんなの作ったら、アキバ系が調子乗るよな。」

おおぉ。なんてキビシーお言葉。この言葉を取り上げるだけで、アキバ系というかオタクの方々が、世間でどんな目で見られているかということを察することができよう。そう、彼らは調子に乗ってはいけない人々(のように見られている)なのだ。

一体なぜオタクが嫌われるのかを検証してみようと思う。

オタクにも色々と種類があるが、今回はいわゆる王道(?)のアニメ&ゲームヲタに焦点を絞ることにする。フィギュア好きとかもこれらから派生したものだと思うし。

誰にでも趣味はあるだろうに、どうしてこれらを好きだという人に限って嫌われてしまうのか。元"腐女子"の私が名誉をかなぐり捨てて語るけど、彼らは一様に現実逃避をしている。多分、そのあたりに問題があるのではなかろうか。

最近ン年振りにゲームをして痛感したことだから断言してもいいけど、何かに夢中になっている時って結構ほかのことがどうでもよくなるし、それはノーマルな人でもかっこ悪いことだと思う。趣味をやりつつやらなければいけないこともやる、ってのが理想的なのだ。

そして、アニメやゲームといったジャンルはおそらく子ども向け(だと思うんだけどなぁ。最初は子どものために作られたように思えるのだが。)の要素が根強いので、やらなければいけないことから逃げつつこれらに没頭することのかっこ悪さたるや、ここに書くまでもない。

オタク登場(厳密な意味では何百年も昔からいたと思うが)の初期段階では上記の理由が有効だとも思えるが、近年はカオス→コスモスの達成がこれに追い討ちをかけているように思える。

どういうことかというと、より「アキバ系」というジャンルが一つのジャンルとして確立されたってことだ。何でもそうだと思うけど、秩序立てられた瞬間に、それ以前はどこにも属していなかったものたちまで無理やりどこかに所属してしまうということはままある。そんなわけで、昔より「アキバ系イコール悪」みたいな概念が、広く浸透してしまったということ。

ってな感じでここまで書いてみたけど、「じゃあ仕事もバリバリこなしてて社内でも高い評価を得ているサラリーマンが、たまの休日だけはってことで家でギャルゲーのなんとかちゃんに萌えまくってる」なんて図ならアリなのかと問われると、やっぱりナシのような気がする。おかしい。やらなければいけないことをやってないからだめという理論が破綻している。

結局、私が一番オタクを嫌っているのかもしれない。

かっこ悪かった頃の自分を否定することで、他人には「でも今は違うんだけどね」と逆説的に自分を肯定する手法を私はよくとるけれど、今日の文章なんてまさにそれの典型だ。

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