無題
2005年7月7日私は浪人しているので、昔同級生だった友達は今年新社会人になった。
遠隔地へ引っ越すような友達はいなかったし、それなりに皆気に入ったところへ入社したようだから「うまくやってるんだろうな」なんて思っていたけれど、まあそれが社会の常よという感じで、結構色々あるらしい。
何が辛いのと聞いてみると、85%位の割合で「人間関係」とのこと。
みんなが苦しみながら就職活動をしていたのはよく知っているし、苦労して自分の適正を見極めて、これまた大変な努力をして内定をもぎ取ったわけで、それでもやっぱ最終的に問題となって浮上してくるのがコレなんだろうな。という感じ。こればっかりは入ってみないとわからないし。
改めて考えて(みなくてもわかるけどさ)みると、もし人間関係のトラブルさえ無くなれば、この世はものすごく快適かつ暮らしやすくなるのではないかと。それくらい思うようにいかないのがこの問題なんだな、と。
ここで、今回の議題。
私は「自分を嫌っていない」という前提があれば、大概の人とは話を合わせられる気がしていたけど、果たして本当にそうなのだろうか。
世の中にはもしかして、どうしようもない位考え方が違っててお互いにどうしても分かり合えない人同士というのもいたりするのだろうか。
やることなすこと裏目に出て、誤解が誤解を読んで、最終的に顔を見るのも嫌になってしまう関係というのは存在するし(現にうちの母親とその姑はそうだ)、それは最初からそうなるべくしてそうなった二人なのだろうか。
それとも違うプロセスを踏んでいれば、お互いの関係はもっと良い状態を保っていられたのだろうか。お互いがもう少し早い段階で歩み寄れる努力をしていれば、違った結果になっていたのだろうか?それとも?
諦めなきゃいけない位どうにもならないことなんて無いと信じ切っていたのが小学生位のときだけど、今はそれでも少なからずどうにもならないこともあるだろうと思っている。でも実際諦めなきゃいけないことって、今の私が思っているより多いのかな?
家族を見ててもそう思うし、実際自分について考えてみてもそう思う。最近。
遠隔地へ引っ越すような友達はいなかったし、それなりに皆気に入ったところへ入社したようだから「うまくやってるんだろうな」なんて思っていたけれど、まあそれが社会の常よという感じで、結構色々あるらしい。
何が辛いのと聞いてみると、85%位の割合で「人間関係」とのこと。
みんなが苦しみながら就職活動をしていたのはよく知っているし、苦労して自分の適正を見極めて、これまた大変な努力をして内定をもぎ取ったわけで、それでもやっぱ最終的に問題となって浮上してくるのがコレなんだろうな。という感じ。こればっかりは入ってみないとわからないし。
改めて考えて(みなくてもわかるけどさ)みると、もし人間関係のトラブルさえ無くなれば、この世はものすごく快適かつ暮らしやすくなるのではないかと。それくらい思うようにいかないのがこの問題なんだな、と。
ここで、今回の議題。
私は「自分を嫌っていない」という前提があれば、大概の人とは話を合わせられる気がしていたけど、果たして本当にそうなのだろうか。
世の中にはもしかして、どうしようもない位考え方が違っててお互いにどうしても分かり合えない人同士というのもいたりするのだろうか。
やることなすこと裏目に出て、誤解が誤解を読んで、最終的に顔を見るのも嫌になってしまう関係というのは存在するし(現にうちの母親とその姑はそうだ)、それは最初からそうなるべくしてそうなった二人なのだろうか。
それとも違うプロセスを踏んでいれば、お互いの関係はもっと良い状態を保っていられたのだろうか。お互いがもう少し早い段階で歩み寄れる努力をしていれば、違った結果になっていたのだろうか?それとも?
諦めなきゃいけない位どうにもならないことなんて無いと信じ切っていたのが小学生位のときだけど、今はそれでも少なからずどうにもならないこともあるだろうと思っている。でも実際諦めなきゃいけないことって、今の私が思っているより多いのかな?
家族を見ててもそう思うし、実際自分について考えてみてもそう思う。最近。
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