欲しいもの 図太さ

2005年7月7日
夕べドラマに出てきた男の子は、一種の強迫神経症のようで突然泡を吹いて失神した。

医者に言わせると、「良い子でいなきゃという思いが強くて、そうでない自分を認識すると正常でいられなくなる」病気だそうだ。回復するには様々な価値観に触れさせる(例えば良い子じゃなくてもいいんだ、みたいな例を実際に見せてやるとか)しかないとのことで、私はこれを見てものすごい衝撃を受けた。

最近、私はこの脅迫神経症の気があるのではないかと思ったりする。

誰かの反対を受けてまで押し通したい強い願望は滅多に無くて、どちらかといえば自分が希望を引っ込めることで相手が喜ぶなら、そっちの方がいいなと思うことが多かった。だから相手によって違うことを言ってしまったりして、「自分の意見が無い」と批判され、ひどく落ち込んだ。もう10年近く昔のことだが。

それというのも、「相手が望む理想の自分」でいたいという思いが、人一倍強いせいだと思う。そして実際の自分が、そうあるべき理想の自分の基準を満たしていなかったとしても、無理にそうあるかのように見せたりして苦しむのだ。それは文章にだって表れる。いや、むしろ文章にこそ強く出ている気がする。

私はバイト先でそれなりに上のポジションにいるのだが、それでも大好きな上司に注意されることがあって、本当はすごくショックで泣きそうにもなるけど、「怒られてもめげない彼女」とか「本当はそんな凡ミスなどしない彼女」の像を壊したくなくて、言い訳しないで受け入れるフリをするのだ。今日もそうした。

注意される自分がすごく嫌で、だから注意されても全力で受け入れる姿勢を見せることで、逆に私は自分を守っている。そうすればそれ以上の攻撃は受けないから。

この日記に書く内容だって、本当はものすごく自己中心的で主観性に充ち満ちた私の本音が奥にあって、でも公の場に晒す以上どこかしらに落としどころを用意しておかないと、いざ矛盾を指摘されたときに言い訳ができない。例えば本当はAがいいと思っていても、さりげなく「でもBを選ぶ人がいることは知っている」などと書き加えることによって、客観的な視点を持っている自分がいるかのように振る舞うのだ。

以前、私の日記をいつも読んで下さっている方から「あなたはバランス感覚がいい。読む人の頭の中でどう消化されるかを考えて書いている」みたいなコメントを頂いたことがある。そのときは浅はかにも嬉しいと思ったが、よく考えてみると、このような私の弱さが他者にも伝わっているという証拠である。

言い訳は嫌いだ。でも言い訳をいつでも言えるようにしている(しかも言い訳を言うときは、文章をうまいこといじくって言い訳っぽく見えないようにするのだ)のは自分ではないか。

誰に対しても「良い子」でいる必要なんて無いはずなのに。いつでも本音を書いていたいと書いたのは自分なのに、本音を書いているという前提仕掛けそのものがすでに言い訳じみている。だから日記ひとつひとつがこんなに長くなるのだ。

そして今日のこの文章自体、私のブログの存在意義を揺るがす程の「言い訳」の集大成なんだろうと思う。

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