天国より行きたい地獄
2005年8月24日人生は旅だとよく言うけれど。
では、もしもあなたが選んで進んでいるその道が「実は地獄に続いているよ。」と言われたら(そしてそれはかなり確実性の高い予測だとする。)、あなたは進むのをやめるだろうか。
私と元カレの今回の事件を友人たちに話したところ、全体の90%が「彼が帰ってきてもやり直してはいけない。」とおっしゃった。これは興味深い統計だと思う。
無論、私もそうすべきだと思う。ここでやり直したら彼にとっても私にとってもよくない。私と同じ立場の友人(時期こそずれているが、これが結構いるんだよね。)から相談を受けたとき、私も「やり直すべきではない。」と強い口調で言ったことを覚えているし。
以前、「相談ってナンセンスだ。」などと書いたことがあったけど、あの時以上に今そう思う。人から相談を受けるとき、相談された側の持ちうる情報数は、大抵の場合当事者たちのものより圧倒的に少ない。
だから「相談された側は正しい判断を下せない。」とそういうことが言いたいのではなく、どこかで当事者たちに「自分たちだけが知っている。」と感じる要素があることが問題なのではないかと。相談している側であるにも関わらず、相手から至極まっとうなことを進言された瞬間、「何も知らないくせに。」と思ってしまうことはないだろうか。
そう感じてしまう人は相談するべきではない。そしてそれは私のことだ。
私は最近まで「真実は必ずある。」と思いながら生きていたから、どんな現象が起こってもそれらに共通する一般的な何かがあると思っていたの。で、時々例外はあるけれど、それはそれとして、人に進言するときはその「おそらく一般的であろうこと」を言ってあげなくちゃと思っていたの。
でも意外に世の中は例外ばかりで、一般的に正しいと思われることが何の役にも立たないことが少しづつわかってきたんだ。何の役にも立たないって決めつけちゃうと、今日私が語っている本文すら矛盾してくるし、私に「一般的に正しいこと」を教えてくれた友人たちにも失礼だ。
"相談"という行為が、単に「答えを探すこと」以外の効用を持つことをある人に教えられたから、私は皆に相談したことは全く後悔していないし、今後も誰かに相談することをやめないと思う。
でも「最終的には自分で決めることだ。」ということが、これほど強い存在感を持ってのしかかってきたことはかつて無い。でもだからといって絶望しているわけではなく、むしろ最後に残ったその決定権は、今の私にとって光り輝いているようにすら思えるのだ。
というわけで、私も序文の問いかけに答えよう。
「地獄に続くと知っていても、その地獄を自らの目で見てみないことには進むのをやめられない。」
では、もしもあなたが選んで進んでいるその道が「実は地獄に続いているよ。」と言われたら(そしてそれはかなり確実性の高い予測だとする。)、あなたは進むのをやめるだろうか。
私と元カレの今回の事件を友人たちに話したところ、全体の90%が「彼が帰ってきてもやり直してはいけない。」とおっしゃった。これは興味深い統計だと思う。
無論、私もそうすべきだと思う。ここでやり直したら彼にとっても私にとってもよくない。私と同じ立場の友人(時期こそずれているが、これが結構いるんだよね。)から相談を受けたとき、私も「やり直すべきではない。」と強い口調で言ったことを覚えているし。
以前、「相談ってナンセンスだ。」などと書いたことがあったけど、あの時以上に今そう思う。人から相談を受けるとき、相談された側の持ちうる情報数は、大抵の場合当事者たちのものより圧倒的に少ない。
だから「相談された側は正しい判断を下せない。」とそういうことが言いたいのではなく、どこかで当事者たちに「自分たちだけが知っている。」と感じる要素があることが問題なのではないかと。相談している側であるにも関わらず、相手から至極まっとうなことを進言された瞬間、「何も知らないくせに。」と思ってしまうことはないだろうか。
そう感じてしまう人は相談するべきではない。そしてそれは私のことだ。
私は最近まで「真実は必ずある。」と思いながら生きていたから、どんな現象が起こってもそれらに共通する一般的な何かがあると思っていたの。で、時々例外はあるけれど、それはそれとして、人に進言するときはその「おそらく一般的であろうこと」を言ってあげなくちゃと思っていたの。
でも意外に世の中は例外ばかりで、一般的に正しいと思われることが何の役にも立たないことが少しづつわかってきたんだ。何の役にも立たないって決めつけちゃうと、今日私が語っている本文すら矛盾してくるし、私に「一般的に正しいこと」を教えてくれた友人たちにも失礼だ。
"相談"という行為が、単に「答えを探すこと」以外の効用を持つことをある人に教えられたから、私は皆に相談したことは全く後悔していないし、今後も誰かに相談することをやめないと思う。
でも「最終的には自分で決めることだ。」ということが、これほど強い存在感を持ってのしかかってきたことはかつて無い。でもだからといって絶望しているわけではなく、むしろ最後に残ったその決定権は、今の私にとって光り輝いているようにすら思えるのだ。
というわけで、私も序文の問いかけに答えよう。
「地獄に続くと知っていても、その地獄を自らの目で見てみないことには進むのをやめられない。」
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