陳腐と言われても
2005年8月30日大学の友人たちと、焼肉パーティ兼お泊まり会を開催。
八畳一間にホットプレートを持ち込んで、わーわー言いながら焼いて食べて、ぎゃーぎゃー言いながら酒(シャンパンのピーチネクター割り。これはイケる。)を飲んで、酔ったまま桃鉄(しかもスーファミ版)をやって、明け方に寝た。
部屋を借りているという罪悪感ももちろんあるけど、私はこういうときの後片づけを率先してやる方だったりする。
私が洗い物をして掃除機をかけている間、家主は「あいのり」を観ていて、「片付けはいいから、一緒に観ようよ〜」と言っていたが、それに対して「はいはい、今終わるから待っててね。」と声をかけている自分を発見したとき、私はなんともいえない気持ちになった。
「ああ、こういう感じ好きだなあ。」って。
別に片付けが好きとかじゃなくて、甘ったれ気質のその友達の世話を、かいがいしくやいている自分がなんとなく好きなのだ。傍から見たら、私だけ流しに立ってそのコはテレビを見ているなんて、「ちょっとひどくない?」って感じなのに、私はなぜか幸福だった。
もし私が結婚したら、こういう関係を夫との間に構築できたらいいなと思う。
アパートかマンションか一軒家かはわからないけど、台所はリビングと隔たれてない方がいい。で、私がこしらえた料理をおなかいっぱい食べた旦那さまは、「片付け手伝おうか?」なんて一応言ってみるんだけど、本当は「いいよ、一人でできるから。」って私が言うのをわかってて、結局寝ころんでテレビを見るのだ。
で、私だけ台所で働いてるのに、下らないテレビを観ながら笑ったりとかしててめちゃめちゃ無神経なんだけど、「やれやれ。」と思いつつ実は自分が一番幸福なんだろうということが、まだ結婚してないのに想像できるのだ。
(別にその相手が元カレだったらいいなーとか、そういうことじゃなくて。)
「ったく、うちの夫は家事ひとつできないんですよう!」って文句言ってる奥様方の98%は、実はこれ系の幸福感を満喫しているはずだと断言してもいい。本当に夫に腹が立っていたら、そもそもそんな言い方はしないと思われるからだ。
「尽くす幸せ」というのは確かに存在する。ただ、本人はその幸せを存分に味わっているにも関わらず、「奉仕している」ということですっかり義務を果たしたような気に陥って、ときに相手を傷つける。それは本末転倒なのだ。
「あんなに尽くしたのに!」と後から相手を責めたとしても、そんなのは相手の知ったことではない。自分が尽くしたいから尽くしただけの話だ。
ホットプレートに飛び散った油をゴシゴシしながら、うっかり未来の自分の愛の巣にワープしてしまった。
でも、二十歳を過ぎてようやくぼんやりと形になってきた自分の将来の夢を、こういうなんでもないときに確認して、それが今日と明日と明後日と生き続けていく私の原動力になるんだ。
なんとなくそんな気がした。
八畳一間にホットプレートを持ち込んで、わーわー言いながら焼いて食べて、ぎゃーぎゃー言いながら酒(シャンパンのピーチネクター割り。これはイケる。)を飲んで、酔ったまま桃鉄(しかもスーファミ版)をやって、明け方に寝た。
部屋を借りているという罪悪感ももちろんあるけど、私はこういうときの後片づけを率先してやる方だったりする。
私が洗い物をして掃除機をかけている間、家主は「あいのり」を観ていて、「片付けはいいから、一緒に観ようよ〜」と言っていたが、それに対して「はいはい、今終わるから待っててね。」と声をかけている自分を発見したとき、私はなんともいえない気持ちになった。
「ああ、こういう感じ好きだなあ。」って。
別に片付けが好きとかじゃなくて、甘ったれ気質のその友達の世話を、かいがいしくやいている自分がなんとなく好きなのだ。傍から見たら、私だけ流しに立ってそのコはテレビを見ているなんて、「ちょっとひどくない?」って感じなのに、私はなぜか幸福だった。
もし私が結婚したら、こういう関係を夫との間に構築できたらいいなと思う。
アパートかマンションか一軒家かはわからないけど、台所はリビングと隔たれてない方がいい。で、私がこしらえた料理をおなかいっぱい食べた旦那さまは、「片付け手伝おうか?」なんて一応言ってみるんだけど、本当は「いいよ、一人でできるから。」って私が言うのをわかってて、結局寝ころんでテレビを見るのだ。
で、私だけ台所で働いてるのに、下らないテレビを観ながら笑ったりとかしててめちゃめちゃ無神経なんだけど、「やれやれ。」と思いつつ実は自分が一番幸福なんだろうということが、まだ結婚してないのに想像できるのだ。
(別にその相手が元カレだったらいいなーとか、そういうことじゃなくて。)
「ったく、うちの夫は家事ひとつできないんですよう!」って文句言ってる奥様方の98%は、実はこれ系の幸福感を満喫しているはずだと断言してもいい。本当に夫に腹が立っていたら、そもそもそんな言い方はしないと思われるからだ。
「尽くす幸せ」というのは確かに存在する。ただ、本人はその幸せを存分に味わっているにも関わらず、「奉仕している」ということですっかり義務を果たしたような気に陥って、ときに相手を傷つける。それは本末転倒なのだ。
「あんなに尽くしたのに!」と後から相手を責めたとしても、そんなのは相手の知ったことではない。自分が尽くしたいから尽くしただけの話だ。
ホットプレートに飛び散った油をゴシゴシしながら、うっかり未来の自分の愛の巣にワープしてしまった。
でも、二十歳を過ぎてようやくぼんやりと形になってきた自分の将来の夢を、こういうなんでもないときに確認して、それが今日と明日と明後日と生き続けていく私の原動力になるんだ。
なんとなくそんな気がした。
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