凛
2005年8月31日自惚れかもしれないけど、最近電車の窓に映る自分の顔を見て「サマになってきたなぁ。」と思ったりする。
色々な友達の相談を受けたり、人様のBLOGを読んだりすると、みんなそれぞれに辛いことや大変なことがあったりして、そういうときは自分も「ああ、大変よね。」ってわかったフリをしていたけど、どこかで他人事のように捉えていたのだ。
それなのに、さも全てを知り尽くしたようなしたり顔で他人様の心に土足で踏み込んだり、ここに偉そうな文章を書き散らかしたりしていたのだ。
今まで挫折という挫折を知らなかったのも、単に運が良かっただけで、私が強かったからとかでは決してない。その運の良ささえも、私には与えられて当然とまでは思ってなかったけど、それに近いものはあった。
ふと気付くと、私の周りには沢山の修羅場を乗り越えてきた人々がいて、彼ら・彼女らは一様に優しい。
今回のことをきっかけに、少しは人の痛みがわかるようになったかなと思えば、今の苦しみも乗り越えられる気がするけど、乗り越えすぎないようにしなければとも思う。
どういうことかというと、私の周りには3タイプの人間がいて、一つ目はついこの前までの私のように「挫折を知らないのにしたり顔で話す人」で、二つ目は「挫折を知ったことで満足してやはりしたり顔で話す人」だ。残りはどちらでもない人である。
私は今回のこういう経験を乗り越えたことで、「自分は少し大人になった。」と思いこまないだろうか。いや、間違いなく少しは成長したから、それは悪いことではないのだけど、何年か後に私のように苦しんでいる人の前で「あー、若い頃は仕方ないよ。」なんてわかったような顔をしない自信が無い。
わかりきったような顔をする人は「おそらく真実であろうこと」を私に話してくれるけど、そんなものは今は要らないのだ。だって私は十分それらを理解しているのだから。
最近、確実にひとつ修羅場を乗り越えた人が、わかりきったような顔をせずに私にある意見をくれた。
とてもありがたいと思った。その意見は、はっきり言って私の今後進むべき道を示唆してくれるものではなかったけど、それでいいのだと思う。
だから私は、大人でも子どもでもない今の自分をいつまでも維持していきたい。大人になるためのステップを上りつつあるけど、絶対に下の段にいる人たちを蔑んだりしたくない。「自分も昔はそこにいたけど。」なんてわかったような顔をしたくない。
成熟が必ずしもいいこととは限らないのだ。成熟し過ぎた人は、ときとして未成熟の人を傷つけるときがあるのだ。それでも未成熟の人にはわからないことを知っているから、その良さは失わずにいるべきだ。でも成熟した自分に自惚れてはいけないのだ。
そのバランスをうまくとっている自分になれたらいいな。後ろを見るでも前を見るでもない自分を保ちつつも、人の痛みがわかる女性。そういう女性を「凛とした女性」と呼ぶのではないかな。
色々な友達の相談を受けたり、人様のBLOGを読んだりすると、みんなそれぞれに辛いことや大変なことがあったりして、そういうときは自分も「ああ、大変よね。」ってわかったフリをしていたけど、どこかで他人事のように捉えていたのだ。
それなのに、さも全てを知り尽くしたようなしたり顔で他人様の心に土足で踏み込んだり、ここに偉そうな文章を書き散らかしたりしていたのだ。
今まで挫折という挫折を知らなかったのも、単に運が良かっただけで、私が強かったからとかでは決してない。その運の良ささえも、私には与えられて当然とまでは思ってなかったけど、それに近いものはあった。
ふと気付くと、私の周りには沢山の修羅場を乗り越えてきた人々がいて、彼ら・彼女らは一様に優しい。
今回のことをきっかけに、少しは人の痛みがわかるようになったかなと思えば、今の苦しみも乗り越えられる気がするけど、乗り越えすぎないようにしなければとも思う。
どういうことかというと、私の周りには3タイプの人間がいて、一つ目はついこの前までの私のように「挫折を知らないのにしたり顔で話す人」で、二つ目は「挫折を知ったことで満足してやはりしたり顔で話す人」だ。残りはどちらでもない人である。
私は今回のこういう経験を乗り越えたことで、「自分は少し大人になった。」と思いこまないだろうか。いや、間違いなく少しは成長したから、それは悪いことではないのだけど、何年か後に私のように苦しんでいる人の前で「あー、若い頃は仕方ないよ。」なんてわかったような顔をしない自信が無い。
わかりきったような顔をする人は「おそらく真実であろうこと」を私に話してくれるけど、そんなものは今は要らないのだ。だって私は十分それらを理解しているのだから。
最近、確実にひとつ修羅場を乗り越えた人が、わかりきったような顔をせずに私にある意見をくれた。
とてもありがたいと思った。その意見は、はっきり言って私の今後進むべき道を示唆してくれるものではなかったけど、それでいいのだと思う。
だから私は、大人でも子どもでもない今の自分をいつまでも維持していきたい。大人になるためのステップを上りつつあるけど、絶対に下の段にいる人たちを蔑んだりしたくない。「自分も昔はそこにいたけど。」なんてわかったような顔をしたくない。
成熟が必ずしもいいこととは限らないのだ。成熟し過ぎた人は、ときとして未成熟の人を傷つけるときがあるのだ。それでも未成熟の人にはわからないことを知っているから、その良さは失わずにいるべきだ。でも成熟した自分に自惚れてはいけないのだ。
そのバランスをうまくとっている自分になれたらいいな。後ろを見るでも前を見るでもない自分を保ちつつも、人の痛みがわかる女性。そういう女性を「凛とした女性」と呼ぶのではないかな。
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