「大人になる」とは、目に見えないものが見えるようになることだと思う。

たしかに現実に生きているのに、ふと現実と夢の世界との境界が曖昧になるときがある。そういうとき、私は何をしているかというと、何もしていない。「へぇ〜」とか、「あ、そう〜」とか、「なるほど〜」とか言っている。あらぬ方向を見ているときもある。

子どものときは目に見えるものが全てだから、みんなが同じ漫画を好きになるし、同じ食べ物を好きになるし、同じクラスメイトを好きになるでしょう?でも、歳をとるにつれて、それぞれ「あいつの好みはよくわからん。」なんて言われるようなものを好きになったりするじゃない?趣味、といえばいいのかな。

で、それはなんでかというと、「目に見えないもの」に気付くようになるからだと思うのだ。この世の全てのものが、完全に客観化された数値のようなもので表されていて、私たちがその数値を基準に物事の善し悪しを決めているとしたら、みんなが同じものを好きになるはずなのだ。そしたら、もっと世の中はシンプルだったし、つまらなかったと思う。

で、その「目に見えないもの」は、とにかく目に見えないから、ほかの人がどんな風にそれらに気付いているかすらわからないのよね。まあ、別に知る必要は無いのかもしれない。自分にしか見えていないものだってあるかもしれない。

いかん。また観念で物事を語っているな。

たとえば、私の思う「素敵な人」というのは、顔が格好良いとか、スタイルがいいとか、センスがいいとか、あとはー…なんだ?まあいいや。それだけじゃ不十分なのだよ。(まあ、格好良い人は大好きだけど…。)オーラ、と書くと途端に陳腐になるけど、どれだけ私をワンダーランドにとばしてくれるかどうかが重要なのだよ。

どうしたらとべるの?と聞かれても答えられないけど。

魂に流れ込むような言葉(現代文の試験で○をもらえるような優等生的なものでなくてもいい)とか、耳を溶かすように心地よい声(別にしゃがれててもいい)とか、こちらをハッと射抜くような視線(瞳が綺麗でなくてもいい)とか、女が感じる要素は色々あると思うけど、どこをどう素敵と思うかは人によるし、少なくとも私は上記を全て満たしているからといって、客観的に「これこれこうだから好きになる。」と、多分一生かかっても言えるようにならないと思う。

現段階で、その「目に見えないもの」を、成文化するならば…

それらは全て、"形跡"なのだ。

その人がいなくなっても物に宿る何か、その人が歩いていった後に影のように残る何か。

別に人間に限らず、素敵な絵を見た後や、素敵な小説を読んだ後に、ふっと余韻に浸る瞬間があるでしょう?そういうとき、あなたも私も「目に見えないもの=形跡」を確実に発見していて、それを貪欲に味わっているのだと思う。そういうことのできる人が「大人の女」であり、「大人の男」なのだと思う。

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どうでもいいのですが…

「詩人」という職業がもっと社会的に認められていたとして、就職活動中に今日書いたようなことをもっと理解できていたら、私は絶対に「詩人」になっていたでしょう。(やはり止められていただろうか。)

まあ、今、この場で「私は詩人だ!!」と一人で決断したら、その瞬間から詩人なんでしょうけど…

作家・原田宗典も自らのエッセイの中で語っていたけど、谷川俊太郎とか、本当にいいですよね。誰憚ることなく、自らの恋とか愛とか何やかやを詩ってしまえる「詩人」という職業が、私も羨ましいです。

(前回も同じようなこと書いたな、私。)

でも、実際、詩人ってそばにいたらはた迷惑ですよね。

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