was bone to
2005年9月29日「なぜ人間は生まれたのか。」なんて、そもそも愚問である。
なぜなら、答えは無いからだ。大草原は、「大草原としてただ存在する」ために、草を生やし、風を吹かせている。人間に家を建てる場所を提供しているわけでもないし、動物たちに子を産ませるためでもなかろう。「ただ存在する」という、動かしようのない事実のみだ。人間もそう。いきなり生まれて、「ただ存在する」。理由なんて要らないのだ。
以上のことは、昨日書いた通り。
ただ、それはそれとして、「理由」自体は発生して構わないはず。どういうことかというと、たしかに大草原が存在するのは「ただ存在する」ためなんだけど、人間が「家を建てるためだ」と思えば、それが真実になるのだということ。家を建てて幸せに暮らすことができれば、そこに住む人間たちは「ああ。この大草原は俺らのためにあったのだ。」と思うだろう。彼らにとって、それは紛れもない「理由」であり、「真実」なのだ。本質はどうであれ、ね。
そんなわけで、私たちは「生まれた理由」をやはり求めてしまう。自分の中で「これこそが真実だ。」と思いこめるほどのそれっぽい「理由」をね。なかなか見つからないよ。でも、しばらく人生を過ごしていれば、何回かは思う瞬間があるのではないかな。
ちなみに、私は、最近掴み始めていたりする。そう、自身の「生まれた理由」を。
最初に断っておくけど、これはあくまでも23歳の現時点での考察である。来年には違うことを思っているかもしれない。でも、何度も言うように、そもそも本質は「ただ存在する」ためだし正解なんて無いのだから、今の私にとっては本当に完璧過ぎる「真実」なのだ。
教えてあげようか?
私は「歌うために生まれた」と思う。
歌うというのは、とっても比喩的な意味だけど。もっと正確に言うなら、「女に生まれて恋をして歌うために生まれた」という感じかな。(あー。また恥ずかしいことを書いてるな。)
つまりね、私は小さい頃から「国語」が好きで、文章や言葉に、同世代の女子の誰よりも強い価値を見いだしていたのだよ。極端な話、衣・食・住の全てが失われても、言葉だけは失いたくないと思っている。最後のギリギリまで、言葉さえあればいいのではないか。言葉というのは何も口から出るものだけでなく、目に見える文字でもいいし、不可視な言語(雰囲気と書けばいいのかな)でもかまわない。
断言しよう。私は、あなたたちよりも現実とは遠い世界に生きている。ワンダーランドに生きていると思う。現実とワンダーランドの境界は曖昧だから、たまにこっち(現実世界)に帰ってきてはいるけど。
そんな私が、遠慮無くワンダーランドに浸っていられるのは、やはり恋をしているときだ。そして、恋をするといてもたってもいられない。「ワンダーランドの住人」としての使命感にかられるのだ。書きたい、言いたい、表現したい、聞いてほしい、見てほしい。私のワンダーランドを知ってほしい。
私がなんで今まで言葉に執着してきたのかが、大分わかってきたのだ。たとえば、古代ギリシアの時代、まだこの世に「文学」が誕生して間もない頃、あの時代の作家たちはきっと私のように恋をして、自分の中で膨らむいてもたってもいられない何かを表現する方法が見つからなくて、どうしたものかと考えて、それで「文学」や「詩」を始めたのだ。間違いないね。間違いないよ!
ただね、本人(恋する相手)に直接想いをぶつけるというのも…なんだかカッチョ悪いよね。スマートじゃないよね。というわけで、間接的に想いを織り込んだ「文学」にして、自分を登場人物に投影させたのだと思う。ズルイよなー。でもわかる。本人に直接言うよりも、もっと恥ずかしいことが書けるし、熱いことが書けるし、「文学」や「歌(詩)」で表した方がよっぽど人の胸を打つのだ。
というわけで、私は、毎日戦っている。自分の中で膨らむ「書いてくれ、歌ってくれ!」という欲求と。そして、ちょこっと負けているからこそ、ここ(BLOG)に書いてしまうのだ。
私は、女に生まれて、恋をして、歌うために生まれた。
なぜなら、答えは無いからだ。大草原は、「大草原としてただ存在する」ために、草を生やし、風を吹かせている。人間に家を建てる場所を提供しているわけでもないし、動物たちに子を産ませるためでもなかろう。「ただ存在する」という、動かしようのない事実のみだ。人間もそう。いきなり生まれて、「ただ存在する」。理由なんて要らないのだ。
以上のことは、昨日書いた通り。
ただ、それはそれとして、「理由」自体は発生して構わないはず。どういうことかというと、たしかに大草原が存在するのは「ただ存在する」ためなんだけど、人間が「家を建てるためだ」と思えば、それが真実になるのだということ。家を建てて幸せに暮らすことができれば、そこに住む人間たちは「ああ。この大草原は俺らのためにあったのだ。」と思うだろう。彼らにとって、それは紛れもない「理由」であり、「真実」なのだ。本質はどうであれ、ね。
そんなわけで、私たちは「生まれた理由」をやはり求めてしまう。自分の中で「これこそが真実だ。」と思いこめるほどのそれっぽい「理由」をね。なかなか見つからないよ。でも、しばらく人生を過ごしていれば、何回かは思う瞬間があるのではないかな。
ちなみに、私は、最近掴み始めていたりする。そう、自身の「生まれた理由」を。
最初に断っておくけど、これはあくまでも23歳の現時点での考察である。来年には違うことを思っているかもしれない。でも、何度も言うように、そもそも本質は「ただ存在する」ためだし正解なんて無いのだから、今の私にとっては本当に完璧過ぎる「真実」なのだ。
教えてあげようか?
私は「歌うために生まれた」と思う。
歌うというのは、とっても比喩的な意味だけど。もっと正確に言うなら、「女に生まれて恋をして歌うために生まれた」という感じかな。(あー。また恥ずかしいことを書いてるな。)
つまりね、私は小さい頃から「国語」が好きで、文章や言葉に、同世代の女子の誰よりも強い価値を見いだしていたのだよ。極端な話、衣・食・住の全てが失われても、言葉だけは失いたくないと思っている。最後のギリギリまで、言葉さえあればいいのではないか。言葉というのは何も口から出るものだけでなく、目に見える文字でもいいし、不可視な言語(雰囲気と書けばいいのかな)でもかまわない。
断言しよう。私は、あなたたちよりも現実とは遠い世界に生きている。ワンダーランドに生きていると思う。現実とワンダーランドの境界は曖昧だから、たまにこっち(現実世界)に帰ってきてはいるけど。
そんな私が、遠慮無くワンダーランドに浸っていられるのは、やはり恋をしているときだ。そして、恋をするといてもたってもいられない。「ワンダーランドの住人」としての使命感にかられるのだ。書きたい、言いたい、表現したい、聞いてほしい、見てほしい。私のワンダーランドを知ってほしい。
私がなんで今まで言葉に執着してきたのかが、大分わかってきたのだ。たとえば、古代ギリシアの時代、まだこの世に「文学」が誕生して間もない頃、あの時代の作家たちはきっと私のように恋をして、自分の中で膨らむいてもたってもいられない何かを表現する方法が見つからなくて、どうしたものかと考えて、それで「文学」や「詩」を始めたのだ。間違いないね。間違いないよ!
ただね、本人(恋する相手)に直接想いをぶつけるというのも…なんだかカッチョ悪いよね。スマートじゃないよね。というわけで、間接的に想いを織り込んだ「文学」にして、自分を登場人物に投影させたのだと思う。ズルイよなー。でもわかる。本人に直接言うよりも、もっと恥ずかしいことが書けるし、熱いことが書けるし、「文学」や「歌(詩)」で表した方がよっぽど人の胸を打つのだ。
というわけで、私は、毎日戦っている。自分の中で膨らむ「書いてくれ、歌ってくれ!」という欲求と。そして、ちょこっと負けているからこそ、ここ(BLOG)に書いてしまうのだ。
私は、女に生まれて、恋をして、歌うために生まれた。
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