sunnyday,happyday

2005年10月2日
前回に続き、日記っぽい日記を。

春先に内定を貰い、大学の単位も取り終わり、あとは卒業論文を仕上げるのみという立場の私にとって、世間が日曜日かどうかということはあまり関係がない。それはそうなのだが、「日曜日の幸福」というのは、たしかに存在すると思う。

土曜の夜、いい具合に酔っぱらって化粧も落とさずにバタンキュー(←この表現は今もアリなのか?)し、目覚ましを使わずに目覚めた。起きたら午前八時。なんかいい感じ。しかもとってもいい天気の様子。日差しの気配を感じつつ、寝床でぐずぐず。布団の周りに散らかっている雑誌を読んでみたり。

その後も寝っ転がったまま、抱くという動詞の変型「抱き合う・抱きしめる・抱きしめられる」のうち、どれが一番イイかという件について、下らない議論を展開。で、「抱きしめる」を受動態にするといきなり一方通行感が漂う、という私の論を尊重していただき、やはり「抱き合う」がイイのではないか、というあたりに着地して議論終了。

ダウナー系のBGMをかけつつ、ようやく起床。冷蔵庫を開けたら何も無いので(本当に何も無かった。砂糖も無いって、ちょっと。)、Tシャツと短パンのまま、一人、徒歩一分の場所にあるスーパーへ。日曜日のスーパーは夫婦連れが多くて、確実に「休日の幸福感」が漂っている。これは平日の夕方には見られない現象である。適当に見繕って964円。千円札一枚に収まり、満足。それにしても、本当にいい天気。

ぺたぺたとサンダル(持ち主と足のサイズがほぼ同じ模様。これは便利!!)を鳴らしつつ帰宅。お湯を沸かしながら、遅めの朝食の支度。甘みが足りなかった気もするけど、まあまあの出来。インスタントのカプチーノもこういう気分のまま飲めば、まるで極上のアラビカ種のように感じられたりするから不思議である。

ベッドにもたれつつ、お昼のニュースを鑑賞。バリ島で爆弾テロがあったらしい。日差しがまぶしくて風も心地よく吹いているこんな穏やかな日なのに、地球のどこかでは今、確実に辛い思いをしている人たちがいるのだ。それはテロが起こらなくてもいえることだけど。でも、申し訳ないけど、隔世感がある。優しい時間が流れるぽかぽかした日に、テレビニュースの「爆弾テロ」なんて。味噌汁にソフトクリームを付け合わせるくらい、相性が悪い。

食器を洗ったり、唇をぶよぶよいじったりしているうちに、いつの間にか出かける時間になっていることに気付く。電車の時間が迫っている。前日の洗濯物が干しっぱなしになっていることにも(出発間際になってから)気付き、服の所有者がネクタイを締めている間に、私が取り込む。慌てていたので、ベランダのサッシのすぐそばにある本棚を蹴っ飛ばし、上空から本落下。まったく、本があり過ぎなのだ。本と暮らしているのか。

どたばたと出発し、寄るはずだった本屋にも行けないまま、最寄り駅へ。それでも、電車を一本逃す。「ま、予定の電車に乗るよりも大事なことがあったからね。」なんて言われ、「あれが大事なことか…?」と考える私。うっかり大きな声を出して、叱られる。ホームでペットボトルのお茶を買って、飲む。私も分けてもらう。一本遅い電車に乗る。

三駅乗ったところで別れ、午後の幸福な昼下がりを電車の中で一人満喫。別に何がどうというわけではないのに、なんともいえず幸福な休日だ。私がどうのというよりは、なんちゅうか、「日曜日の幸福」が街全体を包んでいるのだ。日差しのように。もちろん、今日だって、(ついこの前の私のように)どん底の気分の人がどこかにいるに違いないのだが。でも、きっと、いいことがあるよ。だから、泣かないでほしい。幸せな日曜日はきっと来るから。

と、誰にともなく言ってみた。結局、人が幸福を感じるに必要なものなんて、「気心の知れた相手」と「太陽の光」だけなのかもしれない。「インスタントのカプチーノ」を加えてもいい。

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