特別な日に、思う
2005年10月11日(こんな時間に更新するのはどうかと思うが、たった今思ったことだから、この瞬間に書いておかないと。)
唐突だが、私は「面喰い」だと思う。
ついでに言うなら、この文章を読んでいるアナタも多分「面喰い」だ。それは個人の判断・感情ではどうにもできないことだからだ。つまり、DNAに刻み込まれた宿命なのだ。色鮮やかな花に虫たちが引き寄せられるように、私たちは「美しい」異性に惹かれ、その「美しい」遺伝子を残したいと思うのだ。だから、「面喰い」であることを恥じる必要は無いし、美しくないことを理由に異性に捨てられても、それは責められることではない(すごく傷つくけど)。
私は生殖の適齢期を迎え、自分にしっくりくる異性を探している。こんなにたくさんいるオスの中から選ばなくてはいけない。さて、そういうときはやはり「美しい」オスがいいなあと思うのだ。ただ、ここで注意すべきなのは、その「美しさ」がものすごく主観的な基準によるということ。速水もこみち(実は大好き)や永井大(この人も大好き)の美しさが私の中で98だとしても、親友Aちゃんの中では25かもしれないではないか。
主観的でいいのだ。その基準の振り幅が、多分「好み」と呼ばれる。とにかく、ものすごく主観的な基準で、私は多くのオスの中から一人を選ぶのだ。今回私がわかったのは、このときに使われる主観基準と、いざ付き合ってからそのオスを見るときの主観基準が、似て非なるということ。
どういうことかというと、その他大勢のオスの中で「ある異性」を見るときと、自分だけを愛してくれる存在として「その彼」をオスと見るとき、「美しさ」って微妙に変化するのだ。敢えて大ざっぱに言うなら、チョイスの段階では誰もが辛口でそれこそ好みにうるさくなるのだが、一度愛し合う準備さえできれば(このオスと生殖したいと心が決めてしまえば)、「美しさ」はその価値を失うのだ。甘い匂いに誘われてその花に惹かれ、でもめしべの本当に近くまで寄ってみたら(その花の花弁の中に腰を落ち着けてみたら)匂いが強すぎて、私は麻痺する。アナタも麻痺する。そして、その花が本来いい匂いを漂わせていたかどうかなんて関係なくなるのだ。
「妥協」では決してない。(まあ、中にはそういう人もいるだろうが…。)
正直に書いていいかな?超絶美形を含むこの世の全ての男性の中で、はたして私の現在の恋人がどの位置にいるのかと考えると、「彼がこの世で一番格好いい!」とは言えない。「なんてひどいことを…」と思われるかもしれないが、彼も私を「この世で一番美人だ!」などとは絶対に思っていないはずだから、それでいいのである。不思議だが、とにもかくにも私と彼はお互いをチョイスした。で、これは私に関してだが、かつて自分の信じていたはずの主観基準が「絶対」を失っていくのを、心で、体で、感じるのである。主観とは曖昧なものなのだ。
「面喰い」の貴女(小娘含む)たちへ。絶望したくなるほど曖昧な自らの主観に固執してはいけない。まず目を瞑って、心で何かを感じ取れ。目を瞑って、その彼の内面から溢れ出る不可視なオーラに身を任せてみて、それが自分にとって受け入れられ得るものかどうか、まず考えよ。わかりやすく言うなら、その彼の発する声が好きかどうか。そしてその声が綴る彼の考え方や価値観に共感できるかどうか。その彼の魂が向かう方向を見定めよ。
そして、こちらも同じように声を発して、自分の考え方をその彼がどう受けとめてくれるかを、今度は目をしかと開いて、確認せよ。笑ってくれるか、頷いてくれるか、彼の瞳が自分を捉えているかどうかを確認せよ。自分の魂の向かう先が、彼のベクトルと交わっているのかどうかをもう一度見定めよ。
「なんだかんだでルックスは重要!」という意見には大いに賛成だが、大声でそう言うのは、魂で交感し合える年齢に達し、一度でも愛し合うことを経験してからでないと。私だってまだまだ小娘だし、今自分の信じているものが「愛」だと大きな顔をするのは憚られるけど。でも、今、私は間違いなく彼を世界で一番「美しい」と思っているし、チョイスした後に構築された新たな主観だが、本当にいい加減なチョイス前の主観とは全く異なるものだと、信じている。いずれ信じられなくなる日が来るとしても、23歳の「今」の鮮やかな気持ちを、自分のために彼のために書き残しておこうと思う。
唐突だが、私は「面喰い」だと思う。
ついでに言うなら、この文章を読んでいるアナタも多分「面喰い」だ。それは個人の判断・感情ではどうにもできないことだからだ。つまり、DNAに刻み込まれた宿命なのだ。色鮮やかな花に虫たちが引き寄せられるように、私たちは「美しい」異性に惹かれ、その「美しい」遺伝子を残したいと思うのだ。だから、「面喰い」であることを恥じる必要は無いし、美しくないことを理由に異性に捨てられても、それは責められることではない(すごく傷つくけど)。
私は生殖の適齢期を迎え、自分にしっくりくる異性を探している。こんなにたくさんいるオスの中から選ばなくてはいけない。さて、そういうときはやはり「美しい」オスがいいなあと思うのだ。ただ、ここで注意すべきなのは、その「美しさ」がものすごく主観的な基準によるということ。速水もこみち(実は大好き)や永井大(この人も大好き)の美しさが私の中で98だとしても、親友Aちゃんの中では25かもしれないではないか。
主観的でいいのだ。その基準の振り幅が、多分「好み」と呼ばれる。とにかく、ものすごく主観的な基準で、私は多くのオスの中から一人を選ぶのだ。今回私がわかったのは、このときに使われる主観基準と、いざ付き合ってからそのオスを見るときの主観基準が、似て非なるということ。
どういうことかというと、その他大勢のオスの中で「ある異性」を見るときと、自分だけを愛してくれる存在として「その彼」をオスと見るとき、「美しさ」って微妙に変化するのだ。敢えて大ざっぱに言うなら、チョイスの段階では誰もが辛口でそれこそ好みにうるさくなるのだが、一度愛し合う準備さえできれば(このオスと生殖したいと心が決めてしまえば)、「美しさ」はその価値を失うのだ。甘い匂いに誘われてその花に惹かれ、でもめしべの本当に近くまで寄ってみたら(その花の花弁の中に腰を落ち着けてみたら)匂いが強すぎて、私は麻痺する。アナタも麻痺する。そして、その花が本来いい匂いを漂わせていたかどうかなんて関係なくなるのだ。
「妥協」では決してない。(まあ、中にはそういう人もいるだろうが…。)
正直に書いていいかな?超絶美形を含むこの世の全ての男性の中で、はたして私の現在の恋人がどの位置にいるのかと考えると、「彼がこの世で一番格好いい!」とは言えない。「なんてひどいことを…」と思われるかもしれないが、彼も私を「この世で一番美人だ!」などとは絶対に思っていないはずだから、それでいいのである。不思議だが、とにもかくにも私と彼はお互いをチョイスした。で、これは私に関してだが、かつて自分の信じていたはずの主観基準が「絶対」を失っていくのを、心で、体で、感じるのである。主観とは曖昧なものなのだ。
「面喰い」の貴女(小娘含む)たちへ。絶望したくなるほど曖昧な自らの主観に固執してはいけない。まず目を瞑って、心で何かを感じ取れ。目を瞑って、その彼の内面から溢れ出る不可視なオーラに身を任せてみて、それが自分にとって受け入れられ得るものかどうか、まず考えよ。わかりやすく言うなら、その彼の発する声が好きかどうか。そしてその声が綴る彼の考え方や価値観に共感できるかどうか。その彼の魂が向かう方向を見定めよ。
そして、こちらも同じように声を発して、自分の考え方をその彼がどう受けとめてくれるかを、今度は目をしかと開いて、確認せよ。笑ってくれるか、頷いてくれるか、彼の瞳が自分を捉えているかどうかを確認せよ。自分の魂の向かう先が、彼のベクトルと交わっているのかどうかをもう一度見定めよ。
「なんだかんだでルックスは重要!」という意見には大いに賛成だが、大声でそう言うのは、魂で交感し合える年齢に達し、一度でも愛し合うことを経験してからでないと。私だってまだまだ小娘だし、今自分の信じているものが「愛」だと大きな顔をするのは憚られるけど。でも、今、私は間違いなく彼を世界で一番「美しい」と思っているし、チョイスした後に構築された新たな主観だが、本当にいい加減なチョイス前の主観とは全く異なるものだと、信じている。いずれ信じられなくなる日が来るとしても、23歳の「今」の鮮やかな気持ちを、自分のために彼のために書き残しておこうと思う。
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