Bye bye boy

2005年10月15日
「あのときの願いが叶わなくてよかった。」

これは大切な友だちの日記に出てきた台詞なのだけど。彼がこの台詞に何かしらの感慨を抱いたように、私も今になって、不思議な気持ちでこの台詞を読む。

日記の著者曰く、「「願い」は叶ってほしいからするもので、叶わないとすごく悲しいものでもあるんだけど、長い時が経ち、めぐりめぐって、新たな願いが届いた時に、叶わなかった願いすらも浄化して、新たな願いへの光となる。」とのこと。

私はほんの二ヶ月ほど前、強烈な願い事を神に託した。もちろんすぐに叶うはずなどなく、そのときは真剣に神を呪ったものだ。周りの人が一般論として「今回は叶わないことも、あとで見たら意味があるのだよ。」と言ってくれたが、そんな馬鹿なと思っていた。まさかたった二ヶ月でその意味に気付くとは思わなかったが、とにかく「あの時の願いが叶わなくてよかった」のだよ。本当にそう思う。

とか、言っておいて。

実は、二ヶ月というインターバルはあったが、当時の心からの願いは叶いつつある。

願いや祈りには、捧げもの(犠牲)が必要らしい。たとえ全財産を失っても叶え給えと思っていたから、私は八月に何かしらの犠牲を払ったのだと思う。自分が信じていた「真実の愛」の定義、元カレ色に染められた身体、相手のろくでなしな部分さえ許してしまう献身的姿勢、などなど。逆説的な話だが、それらを捧げものとして失ったから私の願いは叶ったのだが、叶ったあとにそれらが手元に無かったらまったく意味が無いのではないか?

村の「平和」を守るために怪物に自分の一番大切なムスメを捧げた村長も、こんな気持ちだったのかなあ、なんて。「平和」とは、一番大切なムスメがいてこその「平和」なのだ。体裁は保たれていても、中身はからっぽなのだ。むなしいよね。

皆さんも、祈る前によく考えた方がいい。「祈り」には、多分犠牲が伴う。本当にそれが叶うなら、ほかの大事なことを一切失っても構わない!という覚悟が必要なのだ。しかし、本当にそれくらいの覚悟をしてもいいほどの願い事なんて、この世にあるのだろうか。

うーん。

上記とは矛盾するが。私は「あの時の願いが叶わなかったから出会えた人」を、今、また唐突に失うことを考えると、やっぱりやりきれない気持ちになる。もう失うのはいやだ。だから、「あの時の願いが叶わなかったから出会えた人」のために、きっとまた祈るのだろうな。懲りない奴だとは思うけど。

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