懺悔は三度でいい
2005年10月16日中学〜高校時代の友人来訪。そのおかげで、今日は色々なことを思い出したのだが。
高校生の頃、初めて付き合った男の子をひどく傷つけた。
彼とは半年ほど付き合ったが、私にとっては「ありえない男」だったようだ。まず、暗い。覇気が無い。オタクっぽい。スポーツが下手。制服の着こなしが変。そういうことが、当時の私には我慢できなかった。そして、別れた後はここぞとばかりにそういう彼の"短所"を誇張して、周りの友人に面白可笑しく言いふらしたのだ。
彼の(私にとってもなのに)生まれて初めてのキスが少々滑稽だったのだが、本当に「ネタ」としては最適で、私の友人たちには好評だった。彼が実はキャラクター好きであることなど、「あいつ、家ではミッ●ィーのペンとか使ってるんだよ〜」「ウソー!キモーイ!」なんて感じで、これも好評だった。
彼を揶揄することで、必死に自分を守っていたのだと思う。「自分の中の"悪"を摘出すればするほど、それを見事に摘出してみせるもうひとりの「ちゃんとした自分」をフィーチャーしてる」と以前誰かの日記で読んだけど、つまりそういうことだ。その"悪"に気付ける今の自分はエライ、という。完全なる自己防衛だ。自分にとって「ありえない男」と付き合ったことを、周りにイタイと思われることが恐かったから、先手を打ったのだ。
その次に付き合った男も、これまた「ありえない男」で。まず、かなり不細工(こういう表現は本当に憚られるのだが、便宜上致し方ない。)だった。もう、その事実だけで相当の「ネタ」だった。半年で別れた。別れた後は、「あいつ、あんな顔であんなことするんだよ〜」「マジー!?イターイ!」ってな感じで、これも「ネタ」として大好評だった。
その次に付き合った彼とは、三年弱続いた。彼は「ありえない男」だったのだろうか?多分、「ありえない男」だったと思う。色々な意味でね。でも、私は彼を「ネタ」にしない。「ネタ」にすることはいくらでも可能なのだ。ミッ●ィーのペンや不細工なこと以上に、強烈な「ネタ」がたくさんある。それこそ、彼のほぼ生まれて初めてのエッ●など、絶好の「ネタ」にできるだろう。でも、私は「ネタ」にしない。
今、付き合っている彼のことは?彼は「ありえない男」なのだろうか?多分、「ありえない男」なのだと思う。でも、私は彼を「ネタ」には決してしない。現在ラブラブだからという問題ではない。彼には「ネタ」になるようなところなど、これっぽっちも存在しない。そして、振り返るに、私が過去付き合った三人の男にも、「ネタ」になる要素などこれっぽっちも存在しなかったはずなのだ。
上から見るわけではないが、自分の関わった男に関して「あいつはダメだ。」と批判する女性を見ると、私は何とも言えない気分になる。たしかに「ダメな男」なのだと思う。ってか、「ダメでない男」なんて、日本中に一人もいないのだ。そして「ダメな男」を批判・揶揄することで、きっと自分まで「ダメな女」になってしまう。それはあまりにも寂しい。
どんなにダメな要素を発見しても、吹聴してはいけない。もし、吹聴するときは、自分が周りに「ダメな女」と思われることをちゃんと認識した上で、それでも、と思ったときに限定しなければならないと、私は思う。それでも言いたいときはある。ガス抜きは必要だからね。でも、そういう女性をあちこちで見るにつけ、ルーズソックスにミニスカートのあの頃の自分とかぶるような気がして、私はとても悲しくなるのだ。
高校生の頃、初めて付き合った男の子をひどく傷つけた。
彼とは半年ほど付き合ったが、私にとっては「ありえない男」だったようだ。まず、暗い。覇気が無い。オタクっぽい。スポーツが下手。制服の着こなしが変。そういうことが、当時の私には我慢できなかった。そして、別れた後はここぞとばかりにそういう彼の"短所"を誇張して、周りの友人に面白可笑しく言いふらしたのだ。
彼の(私にとってもなのに)生まれて初めてのキスが少々滑稽だったのだが、本当に「ネタ」としては最適で、私の友人たちには好評だった。彼が実はキャラクター好きであることなど、「あいつ、家ではミッ●ィーのペンとか使ってるんだよ〜」「ウソー!キモーイ!」なんて感じで、これも好評だった。
彼を揶揄することで、必死に自分を守っていたのだと思う。「自分の中の"悪"を摘出すればするほど、それを見事に摘出してみせるもうひとりの「ちゃんとした自分」をフィーチャーしてる」と以前誰かの日記で読んだけど、つまりそういうことだ。その"悪"に気付ける今の自分はエライ、という。完全なる自己防衛だ。自分にとって「ありえない男」と付き合ったことを、周りにイタイと思われることが恐かったから、先手を打ったのだ。
その次に付き合った男も、これまた「ありえない男」で。まず、かなり不細工(こういう表現は本当に憚られるのだが、便宜上致し方ない。)だった。もう、その事実だけで相当の「ネタ」だった。半年で別れた。別れた後は、「あいつ、あんな顔であんなことするんだよ〜」「マジー!?イターイ!」ってな感じで、これも「ネタ」として大好評だった。
その次に付き合った彼とは、三年弱続いた。彼は「ありえない男」だったのだろうか?多分、「ありえない男」だったと思う。色々な意味でね。でも、私は彼を「ネタ」にしない。「ネタ」にすることはいくらでも可能なのだ。ミッ●ィーのペンや不細工なこと以上に、強烈な「ネタ」がたくさんある。それこそ、彼のほぼ生まれて初めてのエッ●など、絶好の「ネタ」にできるだろう。でも、私は「ネタ」にしない。
今、付き合っている彼のことは?彼は「ありえない男」なのだろうか?多分、「ありえない男」なのだと思う。でも、私は彼を「ネタ」には決してしない。現在ラブラブだからという問題ではない。彼には「ネタ」になるようなところなど、これっぽっちも存在しない。そして、振り返るに、私が過去付き合った三人の男にも、「ネタ」になる要素などこれっぽっちも存在しなかったはずなのだ。
上から見るわけではないが、自分の関わった男に関して「あいつはダメだ。」と批判する女性を見ると、私は何とも言えない気分になる。たしかに「ダメな男」なのだと思う。ってか、「ダメでない男」なんて、日本中に一人もいないのだ。そして「ダメな男」を批判・揶揄することで、きっと自分まで「ダメな女」になってしまう。それはあまりにも寂しい。
どんなにダメな要素を発見しても、吹聴してはいけない。もし、吹聴するときは、自分が周りに「ダメな女」と思われることをちゃんと認識した上で、それでも、と思ったときに限定しなければならないと、私は思う。それでも言いたいときはある。ガス抜きは必要だからね。でも、そういう女性をあちこちで見るにつけ、ルーズソックスにミニスカートのあの頃の自分とかぶるような気がして、私はとても悲しくなるのだ。
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