自宅以外で初更新。
(大学のパソコンルームに潜入。)

今日は、世の勤め人が起床すべき健全な時間に起床し、世の勤め人が活動し始めるだろう健全な時間に登校。なんて健全な朝のスタートなのだ。

といっても、書くことがないので(単に、自宅以外の場所で更新してみたかっただけ。)昨日の備忘をいくつか。
色々考えたのに、書いておかないと忘れそうだ。



●夕飯は中華(リーズナブルなのに激ウマ)。

3〜4種をアラカルトで。ビール×2。
麻婆豆腐を注文。手持ちのライスにぶっかけて「麻婆丼」にしつつ頂く。ただ、連れと食べるペースが違うため、最終的に"麻婆"を私が大量消費してしまい、連れのライスが余っちゃった。ペースに関しては、今後要研究である。。。
デザートのマンゴープリンに感涙。また食べたい。


●立ち位置と客観的評価

たとえ、自分の主義・主張が変わらなくても。
自分の主張が世の中的には「左派」と捉えられていても、世の中が左寄りにシフトし始めたら、いつの間にかその人は「右派」になってしまう。逆も然り。(あれ?違ってます?)
つまり。自分が「左派」か「右派」のどっちなのかを考えていても、そもそも駄目だということだな。まず、自分ありき。世の中がどう動いても、自分の立ち位置だけは、自分で決めなくてはいけないのだろう。議論はそれからだ。


●文章(随筆系)を書くという行為は、自身の内を見つめることだと知ってはいたが。「人様用の自分」がONになっている状態で何かを考えようとしても、それは人の目を意識しながら耳掃除をするようなものだ。つまり、無理。
ぼんやり歩いているとき(通学中・通勤中)の顔が、その人本来の顔だということだな。鏡の前に立つときではなく。


●自信とプライド
「自信がある」ということと「プライドがある」ということは、似て非なることのような。どう違うのかと言われてもわかりませんが。


●「あいしてる」の効用

うまく使わないと、これほど陳腐な言葉はないだろうが。
「これこれこういう感情が愛だ!」と認識できるまで使えないとしたら、たぶん一生「あいしてる」とは言えないと思う。
スイングの練習をするとき、「完全なイメージを構築してから。」と思っても、まず振ってみなきゃ始まらないでしょ。わけもわからず何百回も振ってるうちに、ようやくわかってくるのだと思う。とりあえず、バカみたいに何かを前提とする勇気は必要なんだろうね。

ということは。

まあいいや。やめよう。。。


●物がぴしいっ!と整理整頓されている状態が「秩序」だと思っていたが。荒れ果てた空間も、それこそ「まあ、あのあたりにあれがあるんじゃないか?」とさえわかれば、それは「混沌」という名の「秩序」ではないかと思ったりした。


●今、ここにあるもの

私と誰かが恋をしたとして。
私とその相手の間に、「恋」という(それこそハート型の)物体が存在しているわけではない。
私の現在の心理状態を脳が分析して「恋だ」と出力しているだけ。相手も然り。ということは、「恋」とは、ひとつの物を共有することではなく、それぞれ勝手に出力した状態が"同時に"起こっているに過ぎないのだな。音波が共鳴しているようなものだ。
「恋」を「今ここにあるもの」として見てはいけない。でも、だからこそ半永久的ともいえるな。だって物じゃないから壊れないし。


さて、ぼちぼち昼食にしようかね。
今日は、一日中図書館にオコモリの予定。
ふあー。難しいこと考えてたら、頭痛くなってきた。ねむねむ。

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