いわゆる終わり無き旅
2005年10月30日「正論」を言っても、人の心を打つわけでもないし、自分にとってためになるわけでもない。
たとえ「正論」でなくても、それこそ穴だらけの理論であっても、「穴」を糾弾されることを恐れていては、それは意見たり得ない。議論の場で、Aさんが「俺は神はいると思う。」と穴だらけの論を語り、それに対してBさんが「俺は神はいないと思う。」とこれまた穴だらけの論を語ったとする。で、やはりどっちも「穴」はあるわけだよ。それに対してCさんが「神はいるかもしれない。でも、いないかもしれない。」と言うだけだったら、Cさんはいてもいなくても同じなのである。
たしかにCさんは、「穴」のある論を展開していない点で、AさんよりもBさんよりも評価できる。しかし、その状態では、誰の批判も受けないだろうが、同時に誰の賛成も得られないのである。そして、その「穴を恐れる態度」がCさん自身に何かイイ影響を及ぼすかといえば、多分何も無い。
うまく言えないけど、「穴」を恐れずにいわゆる"バカ"になる必要性を、最近ひしひしと感じている。魅力的な大人とは、いわゆる「正論」を言える人ではない。「穴」のある自分だけの理論を確立し、たとえ批判されてもその批判に誠実になれる人(これが一番難しいね)。そしてその「穴」だらけの理論でも受け入れてくれる人を見つけて大事にできる人。それが「素敵な大人」なのではないかな。
ところで、私はどうして「素敵な大人」になりたいのだろう。
日記を読み返すと、自分がやたら「素敵な大人」にこだわっていることがわかる。そもそもタイトルが「素敵なOLへの道」だった。ひとつひとつに答えを求めすぎてもアレだから、まあこの疑問は放置しておこうと思うけど、私はやはり「素敵な大人」になりたい。
とりあえず、今(厳密な意味で、「今」)はこういう理由。
やはり私は「あの人」に近づきたいのだね。ただ、いくら背伸びをしたところで、所詮それは背伸びでしかないから。だから、背伸びを強いるような「大人っぽさ」を持つ人とは一緒にいたくない。背をかがめて私と目線を合わせてくれて、私が「同じ目線で話している」と思ってるうちに、徐々に徐々にかがめた姿勢を元に戻していってくれる。だから、私は自分が大きくなっていることに気付かない。そして、いつまでも「あの人」に追いつきたいと思っているはず。
そういう「あの人」が、私の周りに増えてきました。
「素敵な大人なんて全然いない!」と思っていた頃より、何人かは見つけられるようになった分、私もちょっとは「素敵」になったのかもしれないね。
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昨日の備忘。
●『ラスト・タンゴ・イン・パリ』(監督:ベルナルド・ベルトルッチ 1973年)
レンタルビデオ屋にて。
「何にしよっか?」と散々迷った挙げ句、これをチョイス。
イタリアでは公開中止になったほどの問題作らしく(観た後に知ったぞ…。)、またこの監督というのが、連れによると「愛の巨匠」だそうで。どうせいやらしいんだろうなーと思って観たら、本当にいやらしかった。
いやらしいシーンはともかくとして。パリの街並みや、汚いアパルトマンや、バスルームや、ホテルの階段でさえも、とにかくどのシーンも切り取って一枚の絵にできるほどに美しい。少女が父親から離れる"通過儀礼"を描いたのだろうけど、そういう難しい主題を忘れて、ぼんやり観ていたい作品だなと思った。(実際、ぼんやり観ていた連れは寝ていた。)
一番印象的だったのが、ラスト。ジャンヌがポールに追われるところ。骨董エレベーターで逃げるジャンヌと、螺旋階段を上って追いかけるポールを捉えたカメラワークは、(私は素人ですが)スゴイの一言。もちろんそれ以外もスゴイ。特にバターを使ったプレ…(省略。)私はバカなコメディとかベタなラブロマンスが好きなので、面白いとは言えなかったけど、イイ作品だと思う。
●最近のBGM
トラヴィスの『12メモリーズ』から。
2曲目の「The Beautiful Occupation」と、8曲目の「Love Will Come Through」がお気に入り。
このグループ、大昔の人たちかと思ったら、97年にデビューしたばかりらしい。99年に一躍UKを代表するバンドになったと。ふむ。チェケ。
先日、映画を観に行ったときに「こういうロックが聴きたい。」と言ったら、貸してくれた。一人で生きていたら絶対に買わないCD。J-POP以外にも精通している人って、それなりに裕福(心も懐も)だと思うのだが、どうだろう。私の場合、ジャケ買いとかあり得ないし、アンテナを張ることすら今までできなかった。世の中には、なんてたくさんの音楽があるのだろう。ワクワクする。
たとえ「正論」でなくても、それこそ穴だらけの理論であっても、「穴」を糾弾されることを恐れていては、それは意見たり得ない。議論の場で、Aさんが「俺は神はいると思う。」と穴だらけの論を語り、それに対してBさんが「俺は神はいないと思う。」とこれまた穴だらけの論を語ったとする。で、やはりどっちも「穴」はあるわけだよ。それに対してCさんが「神はいるかもしれない。でも、いないかもしれない。」と言うだけだったら、Cさんはいてもいなくても同じなのである。
たしかにCさんは、「穴」のある論を展開していない点で、AさんよりもBさんよりも評価できる。しかし、その状態では、誰の批判も受けないだろうが、同時に誰の賛成も得られないのである。そして、その「穴を恐れる態度」がCさん自身に何かイイ影響を及ぼすかといえば、多分何も無い。
うまく言えないけど、「穴」を恐れずにいわゆる"バカ"になる必要性を、最近ひしひしと感じている。魅力的な大人とは、いわゆる「正論」を言える人ではない。「穴」のある自分だけの理論を確立し、たとえ批判されてもその批判に誠実になれる人(これが一番難しいね)。そしてその「穴」だらけの理論でも受け入れてくれる人を見つけて大事にできる人。それが「素敵な大人」なのではないかな。
ところで、私はどうして「素敵な大人」になりたいのだろう。
日記を読み返すと、自分がやたら「素敵な大人」にこだわっていることがわかる。そもそもタイトルが「素敵なOLへの道」だった。ひとつひとつに答えを求めすぎてもアレだから、まあこの疑問は放置しておこうと思うけど、私はやはり「素敵な大人」になりたい。
とりあえず、今(厳密な意味で、「今」)はこういう理由。
やはり私は「あの人」に近づきたいのだね。ただ、いくら背伸びをしたところで、所詮それは背伸びでしかないから。だから、背伸びを強いるような「大人っぽさ」を持つ人とは一緒にいたくない。背をかがめて私と目線を合わせてくれて、私が「同じ目線で話している」と思ってるうちに、徐々に徐々にかがめた姿勢を元に戻していってくれる。だから、私は自分が大きくなっていることに気付かない。そして、いつまでも「あの人」に追いつきたいと思っているはず。
そういう「あの人」が、私の周りに増えてきました。
「素敵な大人なんて全然いない!」と思っていた頃より、何人かは見つけられるようになった分、私もちょっとは「素敵」になったのかもしれないね。
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昨日の備忘。
●『ラスト・タンゴ・イン・パリ』(監督:ベルナルド・ベルトルッチ 1973年)
レンタルビデオ屋にて。
「何にしよっか?」と散々迷った挙げ句、これをチョイス。
イタリアでは公開中止になったほどの問題作らしく(観た後に知ったぞ…。)、またこの監督というのが、連れによると「愛の巨匠」だそうで。どうせいやらしいんだろうなーと思って観たら、本当にいやらしかった。
いやらしいシーンはともかくとして。パリの街並みや、汚いアパルトマンや、バスルームや、ホテルの階段でさえも、とにかくどのシーンも切り取って一枚の絵にできるほどに美しい。少女が父親から離れる"通過儀礼"を描いたのだろうけど、そういう難しい主題を忘れて、ぼんやり観ていたい作品だなと思った。(実際、ぼんやり観ていた連れは寝ていた。)
一番印象的だったのが、ラスト。ジャンヌがポールに追われるところ。骨董エレベーターで逃げるジャンヌと、螺旋階段を上って追いかけるポールを捉えたカメラワークは、(私は素人ですが)スゴイの一言。もちろんそれ以外もスゴイ。特にバターを使ったプレ…(省略。)私はバカなコメディとかベタなラブロマンスが好きなので、面白いとは言えなかったけど、イイ作品だと思う。
●最近のBGM
トラヴィスの『12メモリーズ』から。
2曲目の「The Beautiful Occupation」と、8曲目の「Love Will Come Through」がお気に入り。
このグループ、大昔の人たちかと思ったら、97年にデビューしたばかりらしい。99年に一躍UKを代表するバンドになったと。ふむ。チェケ。
先日、映画を観に行ったときに「こういうロックが聴きたい。」と言ったら、貸してくれた。一人で生きていたら絶対に買わないCD。J-POP以外にも精通している人って、それなりに裕福(心も懐も)だと思うのだが、どうだろう。私の場合、ジャケ買いとかあり得ないし、アンテナを張ることすら今までできなかった。世の中には、なんてたくさんの音楽があるのだろう。ワクワクする。
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