私の頭の中の天秤

2005年11月20日
ちょっと前に、「ブログ書いてるなんて、イタイよ。」と言われたことがある。

今日は、電車の中で「イタイということ」について、往復2時間以上かけてじっくり考えてみた。イタイってなんぞや?

仮に、ある人間からすっかり「イタイ」部分を抜き取ってしまったとして、その人は本当に魅力的な人間なのだろうか。「イタイ」部分は、裏返せば強烈な個性である。

当時「イタイ」という言葉はそこまで一般化していなかったように思うが、私は中学生くらいまで、イタさと表裏一体になった「魅力」をかなり欲していた。そのせいだろうとは思うが、本当にモテなかった。女らしさやモテを追求すると、どんどんと私の欲する「魅力」から遠ざかっていくのである。それが嫌だった。

世の中の指針(いわゆるモテ系)と私の思う「魅力」の間のズレを修正する必要があるな、と気付いた私は、以後絶妙なバランスを求めて保ってきたつもりではあるが、このバランスがやや崩れたときに、私は「イタイ」と人から言われる。

他人事として眺めている分には、「イタイ」人の方が面白い。友達にするなら「イタイ」人に限る。面白いから。じゃあ恋人にするなら?誰もが「イタイ」人は嫌だなあ、と思う。では恋人と友達を仕切るそのラインは何だろう。そして、イタさと実は表裏一体になっている「魅力」の問題に、初めて気付くのである。"恋に落ちる"とは、その人が持っているその人特有の「魅力」を前に全面降伏することだと思うけど、それってつまりは相手の一番人に見られたくない「イタイ」部分を認めることではないか?

「イタイ」と「魅力的」が表裏一体として、この両者は常に危ういバランスを保っている。そして、たとえ私を好きだと思う人たちが私の「魅力」に惹かれたのだとしても、それはいつでも「イタイ」部分に変わってしまう危険性があるのだということ。この危険性をいつでも認識しているからこそ、私は好き勝手に生きられないし、未だに本来の自分(が仮にあるとして)と世の中とのバランスを取らなければいけない気がして、苦しいのだ。

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備忘。

●本日のお食事。

某繁華街にて、中華料理。

紹興酒を生まれて初めて飲む。甘い。濃ゆい。美味しい。今回は熱燗だったが、次回は冷やでも飲んでみたい。青島ビールを飲むのも、生まれて二回目くらい。これも甘い。冷たい(当たり前)。美味しい。

中華料理を食べる度に思うのだが、本当に多勢向きの食事だよなあ、と。がっぷり日本人気質(たくさんの種類を色々食べたい)の私は「あれもこれも食べたい!」と思うのだが、実際はそんなに頼んでも少人数では食べきれない。


●中国料理の正しいマナー(『女性の美しいマナー』(昭文社)より。)

中華は、日本料理や西洋料理ほど厳しいマナーは無い。
ただ中華の場合、皿や器を持ち上げないのが良いそうで。メモメモ。

コースの場合、「前菜→湯(スープ)→大菜→麺類またはご飯→点心(デザート)」という順が標準。前菜は冷たいものと温かいものが同時に盛られることがあるので、冷たいものから食べる。大菜は一種類ではなく素材や調理方法を変えて4〜5品出されるので、薄味のものから食べる。

円卓は時計回りに回す。基本、手酌。全員に行き渡るように、一週目はやや控えめに。一回りしたら、その後は自由に料理をとってOK。取り皿は、味が混ざらないように料理ごとに取り替える。ちりれんげはスプーンのように持つのではなく、溝に人差し指を入れて、親指と中指で挟むように持つ。汁麺の場合、左手にちりれんげを持って箸で麺を少量ずつ取り、ちりれんげを添えながら食べる。

ふう。(←頭が痛くなっている。)

料理なんて美味しく食べられれば、なんでもよろしいっちゅうねん!!

個人的には、「お紅茶」などという単語を使ってオホホしているセレブリティは嫌いだが、せめてトイレを「お手洗い」もしくは「化粧室」と自然に言えるくらいの人にはなりたい。がんばろう。

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