the best season for reading
2005年11月24日室田尚子の『チャット恋愛学 ネットは人格を変える?』(PHP新書)読了。
さくっと感想を。
(「さくっと」と言いつつ、多分長くなるな。)
「面白いなあ!」と思ったのは、主に第四章(「チャット恋愛の心理学」)以降。
人は外見以外にもいくつかのポイントで相手に魅力を感じると、進化心理学者のお偉いさんが発見したそうだ。で、具体的には「ユーモアのセンス」、「共感」、「上品さ」、「援助の申し出」、「一緒に時を過ごす努力を惜しまないこと」といった要素は、外見に直接関係がないと。そうだったのか…。
あまりハンサムとはいえないけどとても話の上手い男性なら、合コンなど実際に出会う場面では彼の話が面白いことは誰もが感じても、「面白いけど友だちどまり」という評価を受けるが、チャット(ネット)では彼の容姿ははじめから視野に入っていないので、本来の持ち味の「話が面白い」という部分が、大きくクローズアップされる、とのこと。これは、使いようによっては本人にとって大きな武器になるだろう。この点はチャット(ネット)の積極的に受けとめられる利点だな、と思う。
まあ、この本の趣旨を私なりにまとめると。
そもそも、「ネット」を「現実の世界」と区別している人々が、ネット恋愛の罠に陥るのだ、とのこと。仮想と現実をごっちゃにするから、という従来の理屈とは、まるで逆だ。
自分が誰なのかを隠すことのできる匿名性が「ネット」の特徴だが、バーチャルだから何をしてもいいんだと思ったり、もしくは「ネット」こそ"本来の自分"を発揮できる場だ、と思いこむこと。「現実の世界」と区別してしまうこと。これがイカン、と。
「現実世界の恋愛」と「ネット上の恋愛」も同じだと著者は語る。「現実世界の恋愛」にも陥りやすい罠がある。ほんとうの自分が出せる、そしてほんとうの自分になれる、と思いこみ、許容してくれた相手への自分勝手な依存が引き起こす悲劇は、現実の恋愛でも起こりうること。相手への過度の依存が、ネット恋愛の悲劇を生む。もし、ネット恋愛に特有の特徴さえ忘れなければ、その危険度は「現実世界の恋愛」と同程度まで下がるだろう。
自分が「今、ここにいる」という事実は、ネットだろうが現実世界だろうが、一緒なんだよね。著者はこのことを一番言いたかったのだと思う。
さて。以下、かるーい批判。
タイトルで『恋愛学』と謳っている以上、チャット、いや大きく扱ってネット上で、実際に繰り広げられる"恋愛"にとことんスコープを当ててほしかった、というのが正直な感想。新書を手にとる誰もが理解できるようにとの配慮から、「ネット人間」なら当然知っていることでも懇切丁寧に解説している序盤が存在するのだが、読んでて疲れた。
「知ってて当然よね?」と、いきなりこうした懇切丁寧さをぶっとばしている本というのも、個人的には大嫌いなのだが、これだけ「ネット人間」が増大している今なのだから、ネットなんてやったことも見たこともないよ〜というオジサンはこの際初めから読まないでね、という意気込みで、あくまで「ネット人間」が読むための『恋愛学』を展開して欲しかった。(それとも著者の目的は、チャットもしくはネットに関する知識を単に広めたいというのがそもそもの出所だったのだろうか?それなら仕方ないけど…。)
また、「ネットは悪だ!」と思いこんでいる人って、大抵はネットの楽しさを知らないエセ文化人だけど、この著者は自らがチャット(ネット)を本当に楽しんでいた経験を元に書いているので、その点は好感が持てる。文章の裏に、ネットへの愛が感じられる。裏に根本的なネットへの嫌悪感が感じられるネット批判本は、正論を書いててもなーーーんか信用できない。(人を愛した経験が無いのに、概念だけで「愛」を語るな、ってやつだ。)
んが。その理屈をもう一度採用するなら、たぶんこの著者は『チャット恋愛学』を展開しながらも、自らが「チャット(ネット)恋愛」にどっぷりハマった経験は無いのだろう。もちろん本文内で「様々な恋愛ケースを見てきた」と書いているので、それなりに実態を知ってはいるのだろうが、タイトルを『恋愛学』とする以上、自分のチャット(ネット)で出会った相手との赤裸々な愛のエピソードを元に論を展開して欲しかったな、というのが個人的な感想。
もしかして、実はあるのかな?
いや、もしかしてじゃない。この人、絶対あるはず。
でも隠しているってことは、「今のダーリンとチャットで出会いました!」などと大っぴらに語るのを憚られる感情があることを逆に証明しているのだから、著者は、なんだかんだでネット恋愛への偏見を持った一般人なのではないか?という気がしたぴょーん!(←キャラが違う。)
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卒論、鋭意執筆中でござるよ。
さくっと感想を。
(「さくっと」と言いつつ、多分長くなるな。)
「面白いなあ!」と思ったのは、主に第四章(「チャット恋愛の心理学」)以降。
人は外見以外にもいくつかのポイントで相手に魅力を感じると、進化心理学者のお偉いさんが発見したそうだ。で、具体的には「ユーモアのセンス」、「共感」、「上品さ」、「援助の申し出」、「一緒に時を過ごす努力を惜しまないこと」といった要素は、外見に直接関係がないと。そうだったのか…。
あまりハンサムとはいえないけどとても話の上手い男性なら、合コンなど実際に出会う場面では彼の話が面白いことは誰もが感じても、「面白いけど友だちどまり」という評価を受けるが、チャット(ネット)では彼の容姿ははじめから視野に入っていないので、本来の持ち味の「話が面白い」という部分が、大きくクローズアップされる、とのこと。これは、使いようによっては本人にとって大きな武器になるだろう。この点はチャット(ネット)の積極的に受けとめられる利点だな、と思う。
まあ、この本の趣旨を私なりにまとめると。
そもそも、「ネット」を「現実の世界」と区別している人々が、ネット恋愛の罠に陥るのだ、とのこと。仮想と現実をごっちゃにするから、という従来の理屈とは、まるで逆だ。
自分が誰なのかを隠すことのできる匿名性が「ネット」の特徴だが、バーチャルだから何をしてもいいんだと思ったり、もしくは「ネット」こそ"本来の自分"を発揮できる場だ、と思いこむこと。「現実の世界」と区別してしまうこと。これがイカン、と。
「現実世界の恋愛」と「ネット上の恋愛」も同じだと著者は語る。「現実世界の恋愛」にも陥りやすい罠がある。ほんとうの自分が出せる、そしてほんとうの自分になれる、と思いこみ、許容してくれた相手への自分勝手な依存が引き起こす悲劇は、現実の恋愛でも起こりうること。相手への過度の依存が、ネット恋愛の悲劇を生む。もし、ネット恋愛に特有の特徴さえ忘れなければ、その危険度は「現実世界の恋愛」と同程度まで下がるだろう。
自分が「今、ここにいる」という事実は、ネットだろうが現実世界だろうが、一緒なんだよね。著者はこのことを一番言いたかったのだと思う。
さて。以下、かるーい批判。
タイトルで『恋愛学』と謳っている以上、チャット、いや大きく扱ってネット上で、実際に繰り広げられる"恋愛"にとことんスコープを当ててほしかった、というのが正直な感想。新書を手にとる誰もが理解できるようにとの配慮から、「ネット人間」なら当然知っていることでも懇切丁寧に解説している序盤が存在するのだが、読んでて疲れた。
「知ってて当然よね?」と、いきなりこうした懇切丁寧さをぶっとばしている本というのも、個人的には大嫌いなのだが、これだけ「ネット人間」が増大している今なのだから、ネットなんてやったことも見たこともないよ〜というオジサンはこの際初めから読まないでね、という意気込みで、あくまで「ネット人間」が読むための『恋愛学』を展開して欲しかった。(それとも著者の目的は、チャットもしくはネットに関する知識を単に広めたいというのがそもそもの出所だったのだろうか?それなら仕方ないけど…。)
また、「ネットは悪だ!」と思いこんでいる人って、大抵はネットの楽しさを知らないエセ文化人だけど、この著者は自らがチャット(ネット)を本当に楽しんでいた経験を元に書いているので、その点は好感が持てる。文章の裏に、ネットへの愛が感じられる。裏に根本的なネットへの嫌悪感が感じられるネット批判本は、正論を書いててもなーーーんか信用できない。(人を愛した経験が無いのに、概念だけで「愛」を語るな、ってやつだ。)
んが。その理屈をもう一度採用するなら、たぶんこの著者は『チャット恋愛学』を展開しながらも、自らが「チャット(ネット)恋愛」にどっぷりハマった経験は無いのだろう。もちろん本文内で「様々な恋愛ケースを見てきた」と書いているので、それなりに実態を知ってはいるのだろうが、タイトルを『恋愛学』とする以上、自分のチャット(ネット)で出会った相手との赤裸々な愛のエピソードを元に論を展開して欲しかったな、というのが個人的な感想。
もしかして、実はあるのかな?
いや、もしかしてじゃない。この人、絶対あるはず。
でも隠しているってことは、「今のダーリンとチャットで出会いました!」などと大っぴらに語るのを憚られる感情があることを逆に証明しているのだから、著者は、なんだかんだでネット恋愛への偏見を持った一般人なのではないか?という気がしたぴょーん!(←キャラが違う。)
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卒論、鋭意執筆中でござるよ。
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