Shall we go for a walk?

2005年11月26日
久々に外出。(ようやく日記っぽい日記が書けそうだ。)

高校時代の友人とランチ。私のお気に入りの店でイタリアンを食す。

相変わらず時代の最先端を行く彼女からは、いつもキラキラしたオーラが出ている。お堅い文献を読んだり、論文を書いたり、世の中を憂えたりと、最近やたらめったら難しいことばかり考えていたのだが、一気に癒された。オナゴたるもの、たまにはキャピキャピしないと駄目だ。クリームタイプのチークを貰ったものの、「家に専用ブラシが無いからつけられないYO!」と言ったらツボだったらしく、大いに笑っていただく。二時間ほど近況報告し合い、解散。

解散後は、マイ・ラヴァーと合流して散歩&紅葉狩り。

最近「地図」にハマっている私は、東京の地理に詳しい彼と歩いていると、とても楽しい。「この道を真っ直ぐ行くとあそこに出るんだよ。」とか、「このビルからはあの競技場が眺められる。」などと聞いていると、本当に飽きない。よく「ディズニーランドに行くカップルは別れる。」などと言われているが、それはアトラクションの順番を待っているときに会話が続かないせいだとのこと。散歩も同じだと思う。会話が続かなければつまらない。私に関して言えば、歩きやすい靴と彼の話さえあれば、一日中でも歩いていられる。

ドラマでも使われる有名なイチョウ並木は、今がまさに見頃だった。枯れ葉舞い散る並木道で好きな人と手を繋いでくるくると回る計画だったのに、「イチョウ祭」なるものが開催されていて、休日の原宿・竹下通りかここわ!?というレベルの賑わい。くるくる回るどころではない(萎えた)。くるくる回る代わりに、屋台で焼きそばを購入。朝&お昼ごはん抜きの彼にはもちろん食べていただいたが、私は控えた。デート中の焼きそばは危険である(青海苔の罠)。

その後繁華街へ出て、映画鑑賞。先週から公開されている『大停電の夜に』を。作中で使われている音楽は、なんと、ジャズを知らない私のために彼が貸してくれたばかりのビル・エヴァンスの名曲、「MY FOOLISH HEART」。このタイミングでこの映画に誘うなんて、「この曲を二人の"思い出の曲"にするつもりかしら!?相変わらずキザね!」と、キザ好きの私はちょっとトキめいていたのに、どうやらまったくの偶然で何も知らなかったそうだ。がっかりと言うしかない。

映画を観た後は、また散歩。就職活動以外では滅多に訪れない場所を中心に、色々と。高速道路は川の上に造られていることを知ったり、日本の五街道の名称を復習したり、江戸の賑わいの面影もない土地に一抹の寂しさを感じたり。ひとしきり歩いてようやく電車に乗り、環状線の中心の「知る人ぞ知る居酒屋」にて、夕食。正直、泣きそうになった。本当に美味しいものを食べたときは言葉が出ない。じゃこ奴とネギマが天下一品!!久しぶりに芋焼酎なぞ飲む。私は今回つくづくわかったけど、こういう食事が一番好き。またしても食べ過ぎた。

もうひとつ、最近わかったこと。

「道の歩き方」は、「人生の歩み方」である。

マイ・ラヴァーは私と一緒なのに絶えずキョロキョロしていて、「あの店は旨そうだ。」だの、「本屋がある。寄りたい!」だの、とにかく道の周りの色々なものに注目しながら歩いている。私はといえば、別に足下だけを注視しているわけではないが、道を道として捉えていないことが多い。だから、後から「さっきの店の前にさ…」と言われても、「そんな店あったっけ?」ということがよくある。じゃあ歩きながら何をしているのかというと、一緒に歩く人の顔を見たり、話をしながら思いを馳せたりしている。

この状態(彼はキョロキョロ、私はボーッ)は、彼と私の「生き方」そのものだと思う。彼は日々のやることをこなしつつ(つまり道を歩く速度は緩めずに)、それでも目に入るものは常に吸収しようとしてアンテナを張っているのだろう。そして、きっとそれが楽しいのだと思う。私はといえば、意識して周りを見ようとしないとなかなか気付けない。その分、自分の歩く姿勢や隣に立つ相手を気にする時間は長い。そして、私にとってはそれが楽しいのだ。

高架を渡りながら、90年代のヒットメドレーを二人で歌う(バカップル)。夜空と車群のランプに囲まれてくるくると回る(心の中で)。歌と呼べるものが歴史上いつ誕生したのかはまったく知る術も無いが、おそらく、「歌」が初めて誕生した瞬間、そこには複数の人間がいたと思う。「歌」とは、誰かが歌って、それに合わせて歌う相手かそれに聴き惚れる相手か、少なくともどちらかが必要だったはずだ。別にひとりぽっちで歌っても一向に構わないのだけど、それではやはり寂し過ぎるよ。

今 煙の中で 溶け合いながら
探しつづける愛のことば
傷つくことも なめあうことも
包み込まれる愛のことば

実はスピッツのこの曲、随分長い間私の中では意味不明の歌詞だったのだが、本日、ちょっと意味が掴めるような瞬間があったことを、備忘として残す。

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さらに、備忘。

●源孝志監督の『大停電の夜に』(2005年)。

「りんが好きそうな映画」と色々な人に言われたが、たしかに。

「MY FOOLISH HEART」という曲がすべてを表すかのように、登場人物たちに共通するテーマとして「もはやどうにもならないこと」が挙げられる。小さい頃の私は、どうにもならないことを受けとめて諦めてしまうのは意気地なしのすることだと思っていた。「もはやどうにもならないこと」の対処法は、まだ私の中に出来上がっていない。

ただ、最後にひとつだけ「どうにもならないことがどうにかなりそうな予感」がちゃんと表現されていて良かった。どうにもならないことが多すぎる(本当に多すぎるよ…)世の中だからこそ、エンターテインメントには希望の要素がやはり欲しい、と私は思った。

洋画もいいが、邦画もやはりいい。ダンテは、詩は「母語」で書かれるべきだと説いたそうだが、「母語」で語られる映画を観ていると、言葉以外の要素(ノンバーバルメッセージ)に注目する余裕が生まれるので、浸ることが容易である。これからはもっと邦画を観よう。

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