サンキュ
2005年12月1日自分がすごく好きなものがあると、それを知らない人に対して「○○を知らない奴はバカだ!」と思ったりするでしょう?
私は、最近、あることに気付いた。
世の中のすべてのカルチャーに良し悪しがあって、それらの"良い度"が数値化できると仮定しよう。もしそうなら、サントリーホールで演奏されるようなクラシックは"良い度"が98で、くだらない(と言われる)J−POPが"良い度"17になるのかな?うん、もしそうだとするなら、私はいわゆる"良い"ものをあまり知らない。
自分がすごく好きなもの(自分にとって"良い度"が高いもの)をどうして好きになったのか、考えてみよう。小さい頃、周りにそれの"良さ"を知っている人がいたからではないかな?もしくは、何かしらの偶然が重なって、それの"良さ"を知るタイミングに恵まれたのだと思う。
つまり、自分という人間が世の中のカルチャーの"良し悪し"を判断する力に長けているとか、そういう話ではないと思うんだ。自分の力で"良い"ものと"悪い"ものを選り分けたのではないと思うんだ。
私は、クラシックとJ−POPの"良い度"は変わらないと思うの。最近ジャズを聴くようになったけど、ジャズが必ずしも、売れ筋ヒットチャートの曲より優れているとも思えないんだ。ただ、今までジャズの"良さ"を知らなかったから、「知ることができてラッキー!」とは思う。
だからね。
人生で、何かしらの好きなもの(自分にとって"良い度"が高いもの)が出来上がっていく課程というのは、生まれてからどんな人に出会うか、どんな場所に行くか、自分ではなかなか選択できない要素によるものだと思うんだ。自分が"良し悪し"を客観的に判断できているからではないと思うんだ。一般には"良い"と思われるクラシックを好きな人でも、多感な思春期に憧れのあの人がクラシックを好きだったから聴き始めたとか、そういう理由からかもしれない。
世の中のカルチャーに貴賤が無い(と私は信じている。)なら、自分がそのうちのどれでも好きになる可能性を秘めているわけで、本当にたまたまそのうちのどれかに当たるというだけで、その偶然を生み出すパワーは"恋"によるものではないかな、なんて思っている。
大学に入ってすぐに付き合い始めたカレは、田舎者の私に、都会のオシャレと、スノーボードのやり方、ダーツのやり方、酒というものの存在を教えてくれた。私は都会のオシャレな女子大生になり、スノボが好きになり、ダーツバーに通うようになり、ビールが飲めるようになった。
今の恋人は、幼い私に、本を読むこと、映画を観ること、音楽を聴くこと、酒を楽しむことを教えてくれている(過去形でないあたりがポイント)。私はamazonで本を買うようになり、情報誌で新作の映画をチェックするようになり、J−POP以外を聴いてみたくなり、日本酒やワインを美味しいと思うようになりつつある。
自分が大人になったから物事の"良し悪し"が判断できるようになったわけじゃないんだ。どんな人に出会うかを選択することはできないから、「自分はちょっとこれらにうるさいぜ。」とあぐらをかくのではなく、自分の好きなものが出来上がっていく課程で出会った人に感謝するようにしたいと、私は思う。
「恋人を選ぶ」とは、「人生を選ぶ」に、ニアリーイコール。
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備忘。
●本日のBGM。
Wham!の『the Final』。
シーズンですので。
言わずと知れた(この私でも知ってるくらいなので)名曲ばかりだが、やっぱなんだかんだで「Last Christmas」と「Careless Whisper」、「Wake Me Up Before You Go-Go」に落ち着いちゃう。
それにしても。「Careless Whisper」を聴くと、なぜか私はある人を思い出す。その人がケアレスにウィスパーするとかそういう話ではなくて、哀愁漂う泣きのメロディーがなんちゅうかそれっぽいというか。だからどーしたって話だな。(私はいつでも勝手に周りの人々のテーマソングを作ってしまう。)
私は、最近、あることに気付いた。
世の中のすべてのカルチャーに良し悪しがあって、それらの"良い度"が数値化できると仮定しよう。もしそうなら、サントリーホールで演奏されるようなクラシックは"良い度"が98で、くだらない(と言われる)J−POPが"良い度"17になるのかな?うん、もしそうだとするなら、私はいわゆる"良い"ものをあまり知らない。
自分がすごく好きなもの(自分にとって"良い度"が高いもの)をどうして好きになったのか、考えてみよう。小さい頃、周りにそれの"良さ"を知っている人がいたからではないかな?もしくは、何かしらの偶然が重なって、それの"良さ"を知るタイミングに恵まれたのだと思う。
つまり、自分という人間が世の中のカルチャーの"良し悪し"を判断する力に長けているとか、そういう話ではないと思うんだ。自分の力で"良い"ものと"悪い"ものを選り分けたのではないと思うんだ。
私は、クラシックとJ−POPの"良い度"は変わらないと思うの。最近ジャズを聴くようになったけど、ジャズが必ずしも、売れ筋ヒットチャートの曲より優れているとも思えないんだ。ただ、今までジャズの"良さ"を知らなかったから、「知ることができてラッキー!」とは思う。
だからね。
人生で、何かしらの好きなもの(自分にとって"良い度"が高いもの)が出来上がっていく課程というのは、生まれてからどんな人に出会うか、どんな場所に行くか、自分ではなかなか選択できない要素によるものだと思うんだ。自分が"良し悪し"を客観的に判断できているからではないと思うんだ。一般には"良い"と思われるクラシックを好きな人でも、多感な思春期に憧れのあの人がクラシックを好きだったから聴き始めたとか、そういう理由からかもしれない。
世の中のカルチャーに貴賤が無い(と私は信じている。)なら、自分がそのうちのどれでも好きになる可能性を秘めているわけで、本当にたまたまそのうちのどれかに当たるというだけで、その偶然を生み出すパワーは"恋"によるものではないかな、なんて思っている。
大学に入ってすぐに付き合い始めたカレは、田舎者の私に、都会のオシャレと、スノーボードのやり方、ダーツのやり方、酒というものの存在を教えてくれた。私は都会のオシャレな女子大生になり、スノボが好きになり、ダーツバーに通うようになり、ビールが飲めるようになった。
今の恋人は、幼い私に、本を読むこと、映画を観ること、音楽を聴くこと、酒を楽しむことを教えてくれている(過去形でないあたりがポイント)。私はamazonで本を買うようになり、情報誌で新作の映画をチェックするようになり、J−POP以外を聴いてみたくなり、日本酒やワインを美味しいと思うようになりつつある。
自分が大人になったから物事の"良し悪し"が判断できるようになったわけじゃないんだ。どんな人に出会うかを選択することはできないから、「自分はちょっとこれらにうるさいぜ。」とあぐらをかくのではなく、自分の好きなものが出来上がっていく課程で出会った人に感謝するようにしたいと、私は思う。
「恋人を選ぶ」とは、「人生を選ぶ」に、ニアリーイコール。
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備忘。
●本日のBGM。
Wham!の『the Final』。
シーズンですので。
言わずと知れた(この私でも知ってるくらいなので)名曲ばかりだが、やっぱなんだかんだで「Last Christmas」と「Careless Whisper」、「Wake Me Up Before You Go-Go」に落ち着いちゃう。
それにしても。「Careless Whisper」を聴くと、なぜか私はある人を思い出す。その人がケアレスにウィスパーするとかそういう話ではなくて、哀愁漂う泣きのメロディーがなんちゅうかそれっぽいというか。だからどーしたって話だな。(私はいつでも勝手に周りの人々のテーマソングを作ってしまう。)
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