諸々
2005年12月3日備忘のみ。
●「飲み会」とは、一つの作品。
たとえ自分が幹事でなくとも。人数が少なかろうと多かろうと。システム(店を予約→集合→歓談→会計)が発生した瞬間、そのクオリティは問われるべきだろう。たった一人でも不愉快な思いをする人があってはならないし、培った全てのバランス感覚が試される場所だと思う。
ただ、そのクオリティを判断するのは解散後の自分自身でしかないというあたりに、セツナイものがある。願わくば、全ての人が楽しめる飲み会にしたいものだ。これは合コンのようなシステマティックなものではなく、普通の飲みの後にこそ思うこと。
個人的に大反省な飲み会が一件。別に酔いつぶれてはいないけれど。もう少しやりようがあったのではないだろうか。
●意外な個人差。
顔がそれぞれ異なるのは当たり前だが。手や足の形も人によって違うのだなあ、と気付いたのは、たしかある程度大きくなってから。
最近になって気付いたこと。耳の形も結構違う。あと鼻毛の生え方(密集具合とか。太さとか。長さはもちろん。)にも個人差がある。
●部屋が汚い人の法則。
こう見えても私はわりと綺麗好きなのだが(「部屋が散らかってそう。」と言われがちなので、個人的には心外である。)、随分と小さい頃はお片付けが苦手な子どもだった。私が掃除を好きになったのも、おそらく母の教育のおかげだろう。
という経緯があるので、私は、「掃除が苦手な人」と「整理整頓ができる人」の二つの視点を併せ持っている。そんな私が最近確認した(現在、サンプル回収中。)「部屋が汚い人の法則」。
<1.物を思いついた場所に置く。>
要は、物の置き場所が決まっていないということ。こうなってくると、すぐに物を無くす。帰宅直後がもっとも危険。無意識にあちこちに置いているケースがほとんどである。
<2.床に物を並べる。>
床にひとつでも何かを置くと、そのスペースはその瞬間から「物を置いていい場所」と化す。するともうひとつ置きたくなる。さらにその隣にもうひとつ置きたくなる。そうしてどんどん「物を置いていい場所」が、生活空間を浸食し始めるのだ。
<3.物を使用した後、元に戻さない。>
CDの聴き方を見れば、この癖は一目瞭然である。ケースを開けてディスクを取り出し、空のケースを無意識にそのあたりに置いてしまう。するとケースが見つからないので、聴き終わったディスクを戻せなくなり、裸で放置するハメになる。さあ、二つはバラバラになるので、ますます元に戻すことが困難になる。
<4.直置きの罠。>
細々したものを机に直置きすると、雑巾がけが面倒になる。当然、ホコリは溜まる。箱にさえ入れておけばその箱を持ち上げるだけでいいので、掃除の頻度も上がるのだ。一度細々した物(文房具類が危険)にホコリが付いてしまうと、一つ一つを綺麗にするのが大変なので、ますます放置しがちだ。いざ使うときも気持ち良くない。
<5.ゴミ箱が少ない。>
一部屋に一つは置くべきだ。居間(メインの部屋)に置く人は多いだろうが、洗面所と台所にも必須だ。できれば玄関にも欲しい。手の届く範囲にゴミ箱が無いと、捨てに行くのが面倒なのでその場所に放置したくなるのである。
<6.本棚やキャビネットに余裕を作らない。>
本棚を整理する時に陥りがちな罠だ。整理している段階では、そこに収まる物の最大量に併せるのだろうが、物というのは常に増えていくのだから、余裕を作っておくべきだ。ギチギチになった本棚は美しいが、後日新しく本を買った時にその本を収める場所が無いので、床に置くハメになる。本棚やキャビネットは仕切られているので、最低一カ所は臨機応変に使える場所を設けなくてはいかん(もちろんその臨機応変スペースは頻繁に整理する前提で)。
●人数と親密度。
何年も昔から考え続けているが、「サシだと緊張する。」というのは、実は嘘ではないか。この歳になると、サシで話す方が普段の自分を出せるような気がする。サークルやゼミに馴染めなくなったのは、「確固たる自分」が徐々に確立されてきたからではないだろうか。
アルバイトなど、嫌でも仲良くしなければいけない状況ならば、最初から割り切っている。しかし、個人的に仲良くしたい人が複数いる状況で当たり障り無く過ごそうとすると、「確固たる自分」が、ときにはA寄り、ときにはB寄りに揺れ動くので、普段の何倍以上もの集中力が発揮されてしまう。しかしそんなことにビビっているようでは社会人になれんし。ああ。
●「飲み会」とは、一つの作品。
たとえ自分が幹事でなくとも。人数が少なかろうと多かろうと。システム(店を予約→集合→歓談→会計)が発生した瞬間、そのクオリティは問われるべきだろう。たった一人でも不愉快な思いをする人があってはならないし、培った全てのバランス感覚が試される場所だと思う。
ただ、そのクオリティを判断するのは解散後の自分自身でしかないというあたりに、セツナイものがある。願わくば、全ての人が楽しめる飲み会にしたいものだ。これは合コンのようなシステマティックなものではなく、普通の飲みの後にこそ思うこと。
個人的に大反省な飲み会が一件。別に酔いつぶれてはいないけれど。もう少しやりようがあったのではないだろうか。
●意外な個人差。
顔がそれぞれ異なるのは当たり前だが。手や足の形も人によって違うのだなあ、と気付いたのは、たしかある程度大きくなってから。
最近になって気付いたこと。耳の形も結構違う。あと鼻毛の生え方(密集具合とか。太さとか。長さはもちろん。)にも個人差がある。
●部屋が汚い人の法則。
こう見えても私はわりと綺麗好きなのだが(「部屋が散らかってそう。」と言われがちなので、個人的には心外である。)、随分と小さい頃はお片付けが苦手な子どもだった。私が掃除を好きになったのも、おそらく母の教育のおかげだろう。
という経緯があるので、私は、「掃除が苦手な人」と「整理整頓ができる人」の二つの視点を併せ持っている。そんな私が最近確認した(現在、サンプル回収中。)「部屋が汚い人の法則」。
<1.物を思いついた場所に置く。>
要は、物の置き場所が決まっていないということ。こうなってくると、すぐに物を無くす。帰宅直後がもっとも危険。無意識にあちこちに置いているケースがほとんどである。
<2.床に物を並べる。>
床にひとつでも何かを置くと、そのスペースはその瞬間から「物を置いていい場所」と化す。するともうひとつ置きたくなる。さらにその隣にもうひとつ置きたくなる。そうしてどんどん「物を置いていい場所」が、生活空間を浸食し始めるのだ。
<3.物を使用した後、元に戻さない。>
CDの聴き方を見れば、この癖は一目瞭然である。ケースを開けてディスクを取り出し、空のケースを無意識にそのあたりに置いてしまう。するとケースが見つからないので、聴き終わったディスクを戻せなくなり、裸で放置するハメになる。さあ、二つはバラバラになるので、ますます元に戻すことが困難になる。
<4.直置きの罠。>
細々したものを机に直置きすると、雑巾がけが面倒になる。当然、ホコリは溜まる。箱にさえ入れておけばその箱を持ち上げるだけでいいので、掃除の頻度も上がるのだ。一度細々した物(文房具類が危険)にホコリが付いてしまうと、一つ一つを綺麗にするのが大変なので、ますます放置しがちだ。いざ使うときも気持ち良くない。
<5.ゴミ箱が少ない。>
一部屋に一つは置くべきだ。居間(メインの部屋)に置く人は多いだろうが、洗面所と台所にも必須だ。できれば玄関にも欲しい。手の届く範囲にゴミ箱が無いと、捨てに行くのが面倒なのでその場所に放置したくなるのである。
<6.本棚やキャビネットに余裕を作らない。>
本棚を整理する時に陥りがちな罠だ。整理している段階では、そこに収まる物の最大量に併せるのだろうが、物というのは常に増えていくのだから、余裕を作っておくべきだ。ギチギチになった本棚は美しいが、後日新しく本を買った時にその本を収める場所が無いので、床に置くハメになる。本棚やキャビネットは仕切られているので、最低一カ所は臨機応変に使える場所を設けなくてはいかん(もちろんその臨機応変スペースは頻繁に整理する前提で)。
●人数と親密度。
何年も昔から考え続けているが、「サシだと緊張する。」というのは、実は嘘ではないか。この歳になると、サシで話す方が普段の自分を出せるような気がする。サークルやゼミに馴染めなくなったのは、「確固たる自分」が徐々に確立されてきたからではないだろうか。
アルバイトなど、嫌でも仲良くしなければいけない状況ならば、最初から割り切っている。しかし、個人的に仲良くしたい人が複数いる状況で当たり障り無く過ごそうとすると、「確固たる自分」が、ときにはA寄り、ときにはB寄りに揺れ動くので、普段の何倍以上もの集中力が発揮されてしまう。しかしそんなことにビビっているようでは社会人になれんし。ああ。
コメント