私の父は、酒飲みだし、食い意地が張っているし、すぐに歌うし(うるさい)、部屋を散らかすし(しかも片付けない)、脳天気だし、スケベだし、結構サイアクだ。

だが、サイアクな彼も子どもの教育には色々と思うところがあったようで、「本を読みなさい。読んで頭のいい人になりなさい。」と口癖のように言っていた。彼の娘(私)は、今頃になってその言葉の深刻さに気付いている。

うちの両親が頭がいいか悪いかは私には判断できない(なぜなら、私は自分の両親以外に両親を持たないので、比較分析することができないのだ。)が、小さい頃の私は彼らを「頭がいい」と信じ込んでいた。それゆえに、「大人」は皆頭がいいのだろうなあ、という漠然とした予感を抱いたまま大きくなってしまった気がする。

つまりね。

私という子どもは、「頭がいい」ということを、「大人」と同等に扱っていた節があるのだよ。「大人」にも「頭が悪い」人たちがいる、ということを理解しなければいけないようだ。

たとえるなら、私にとっては東大に入ることがつまり大人になることで、東大に入りさえすれば(大人になれば)、頭のいい人たちに会えると思って頑張ってきたんだ。しかし、東大の中にも話を聞くべき人とそうでない人がどうやらいるのではないか、と。あくまでたとえば、だよ。じゃあ頭のいい人と悪い人をどうやって見分ければいいのかな、と。それを見分ける力は自分で培うしかないんだよなあ。

で。

まさに今、父が放った言葉が生きるのだろう。父は色々なことを教えてくれたけど、それは「知識」であり、「知恵」ではない。どれもこれもすぐに使えるものではあったけど、「頭のいい」人を見分けるためには、「知恵」が必要なのだ。「知恵」とは、集めた知識を元に私が自分で生成するものだ。そのために本を読め、ということだったのだろう。父がくれる「知識」だけでは、「知恵」を作るのに必要な絶対量が足りない。

大人の皆様はこの文章を読んで、何をいまさら、とお思いになるかもしれない…。

ただ、両親や小学校の先生が言うような"当たり前"のことの中に、生きていくために必要なすべての根本があったのだなあ、と、私が「自発的」に気付いたということ。それは皆が想像する以上に衝撃的な出来事なのよ、と言いたかったのよね。

もはや父は何も言わなくなったけど、私は彼の言葉の意味を今頃になって心から理解し、いつしか本を読むようになり、頭のいい人にならなければと自発的に思う昨今なのである。

(なんか、随分とイイコちゃんな文章だな。)

----------------------------------------------------------------

備忘。

●パスポート申請。

生まれて初めての海外旅行が迫っているので、ついに。
申請や手続きというのはおしなべて面倒なのが常だが、やはり面倒だった。

就活で余った証明写真を流用しようとしたら、顔の大きさが2ミリほど足らなくて使えず。700円の出費。(悔しい。)小顔なのかと思って喜びそうになったが、単に倍率の問題じゃないか。(ますます悔しい。)


●リベンジ・クリームシチュー。

クリームシチューばかり作っている。

ホワイトソースを作るときに失敗しがちだったが、タマネギとバターを絡めた後に粉をふるい入れ、ちょっとずつ牛乳を加えていく、という「初心者用」の作り方を知った。イイ感じにできた。(我が母のやり方は上級者用だと知る。)

具を炒めた後にのんびりホワイトソースを作っていると、煮崩れしたり、具(特にカブ)が柔らかくなり過ぎるので、ザルに揚げておくと良いみたいだ。き、基本?

コメント

nophoto
裕之
2005年12月9日22:39

俺高校の時に作った5年のパスポートのかおやべーよorz

こんな顔してたのかって思うと至極かなしくなる。

りん
りん
2005年12月10日16:32

>裕之。
わはははは!!
大丈夫、私の写真なんてもう高校生じゃないのに、焦って撮ったから結構やべーよ♪

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索