キミに習うエンゲル係数の下げ方
2005年12月15日私は実家暮らしだけど、「生活費」のようなものはありまして。
内訳は、食費、衣料費、通信費、交際費、維持費(美容関係、コンタクトetc…)などなど。人の「生活費」の内訳を見せてもらったことは無いので比べられないけど、どうも私の場合、エンゲル係数(全支出に対する食費の割合)が異様に高いのではないか、という気がした。
私は"物欲"がそんなに強くないのだなあ、と最近知った。つまり、月の給料を、どうしても必要なものに払う以外は使わず、刹那的なものに回していたということ。刹那的なものとは、「モノ」として後に残らないもの。誰かと美味しいゴハンを食べたり、美味しいお酒を飲んだり、だ。人より食べるので食費が高くなる、というせいもある。
そんな私が最近知った、「所有する喜び」。
こうして毎日のように日記を書いていると、記録としてずっと残る。で、それをコレクションのように並べると、また違ったものが見えてくることに気付いた。同じように、本やCDを、お小遣いをちょっとずつ切りつめて「買う喜び」がある。単品で味わう分には借りても同じはずだが、そうして少しずつ集めた「モノ」たちが、私の記録として残っていく様はなんだか悪くないなあ、と。
実は、今日、ショッピングというものをしてしまった。
野暮用があって学校に行って、その後、丸々午後の時間が余った。「さあ、これから何するか!」と。で、あても無く(←ここポイント。)街をぶらついて、大きな本屋に入った。買う本を決めずに本屋に行くことはあまり無い。だが今日は、「わあ、読みたい!」と一目で気に入った絵本を買った。衝動買いのようでドキドキした。
まだ時間が余ったから、友人が働いている化粧品売り場に行った。大きな百貨店のキラキラしたカウンターで働く彼女は美しかった。丁寧にカウンセリングしてもらって、「わあ、欲しい!」と思ったファウンデーションを買った。お直し用のパウダーも買った。両方とも切れてたから買わなきゃいけなかったんだけど、なんちゅうか、そこで「買う」行為をしたかったんだよね。
どうしても必要な物だけを買うのとは違う、「買う喜び」があるんだな、と。贅沢しちゃったかな…という後ろめたさは、より一層それらを美しく見せる効果があるよな、と。そして、人に借りることでは得られない「所有する喜び」は、私の殺風景な部屋(意外にモノが少ない。)を不思議な空間にすると気付いた。
いざ所有すると、実益としてのモノの価値(本だったらもちろん内容。CDだったらもちろん曲そのもの。)以外に、たとえばジャケットの写真が美しいとか、化粧品の瓶をいくつも並べると互いが反射し合って綺麗、とか、そういった別の価値が生まれる。実益ばかりを重視していた私は、モノ自体が持つ価値の一側面しか知らなかったのだな、と。
そうはいっても、"特別な"ショッピングをルーチンワークにしてしまっては、モノが増えるだけだし、「喜び」の純度も下がるだろう。ただ、たまになら悪くない。「買わなくても困らないもの」を欲しいなと思う気持ちをうまく飼い慣らし、適度な幸福感を自身に与え続けて、それで気持ちが穏やかでいられるなら、それが健全な生き方というものだ。
あまり女子大生っぽくないことを書いてしまった。
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備忘。
●プチ旅行。
今週末、関西方面へ遠出の予定。
この日記始まって以来の旅行(?)である。実は、かなりはしゃいでいる。
8時丁度の(丁度ではないけど)、あずさ二号で(多分のぞみだ)、わたしはわたしはアナタから旅立ちます(アナタも一緒だけど)。
●『暮らしの絵本 食べ方のマナーとコツ』(学習研究社)購入。
最近、この手の本ばかりだ。
堅苦しいマナー本ではなく、カラフルかつ可愛らしいイラストで、大人の女性のテーブルでの振るまい方を教えてくれる。正式なレストランでの作法も載っているけど、たとえば、バーによくあるスツールに上品に腰掛けるには、とか。さりげない中座の仕方、とか。
一緒に食事をする誰もが嘆息するような美しい物腰を身につけて、素敵なお店でも物怖じしないようになりたい。
内訳は、食費、衣料費、通信費、交際費、維持費(美容関係、コンタクトetc…)などなど。人の「生活費」の内訳を見せてもらったことは無いので比べられないけど、どうも私の場合、エンゲル係数(全支出に対する食費の割合)が異様に高いのではないか、という気がした。
私は"物欲"がそんなに強くないのだなあ、と最近知った。つまり、月の給料を、どうしても必要なものに払う以外は使わず、刹那的なものに回していたということ。刹那的なものとは、「モノ」として後に残らないもの。誰かと美味しいゴハンを食べたり、美味しいお酒を飲んだり、だ。人より食べるので食費が高くなる、というせいもある。
そんな私が最近知った、「所有する喜び」。
こうして毎日のように日記を書いていると、記録としてずっと残る。で、それをコレクションのように並べると、また違ったものが見えてくることに気付いた。同じように、本やCDを、お小遣いをちょっとずつ切りつめて「買う喜び」がある。単品で味わう分には借りても同じはずだが、そうして少しずつ集めた「モノ」たちが、私の記録として残っていく様はなんだか悪くないなあ、と。
実は、今日、ショッピングというものをしてしまった。
野暮用があって学校に行って、その後、丸々午後の時間が余った。「さあ、これから何するか!」と。で、あても無く(←ここポイント。)街をぶらついて、大きな本屋に入った。買う本を決めずに本屋に行くことはあまり無い。だが今日は、「わあ、読みたい!」と一目で気に入った絵本を買った。衝動買いのようでドキドキした。
まだ時間が余ったから、友人が働いている化粧品売り場に行った。大きな百貨店のキラキラしたカウンターで働く彼女は美しかった。丁寧にカウンセリングしてもらって、「わあ、欲しい!」と思ったファウンデーションを買った。お直し用のパウダーも買った。両方とも切れてたから買わなきゃいけなかったんだけど、なんちゅうか、そこで「買う」行為をしたかったんだよね。
どうしても必要な物だけを買うのとは違う、「買う喜び」があるんだな、と。贅沢しちゃったかな…という後ろめたさは、より一層それらを美しく見せる効果があるよな、と。そして、人に借りることでは得られない「所有する喜び」は、私の殺風景な部屋(意外にモノが少ない。)を不思議な空間にすると気付いた。
いざ所有すると、実益としてのモノの価値(本だったらもちろん内容。CDだったらもちろん曲そのもの。)以外に、たとえばジャケットの写真が美しいとか、化粧品の瓶をいくつも並べると互いが反射し合って綺麗、とか、そういった別の価値が生まれる。実益ばかりを重視していた私は、モノ自体が持つ価値の一側面しか知らなかったのだな、と。
そうはいっても、"特別な"ショッピングをルーチンワークにしてしまっては、モノが増えるだけだし、「喜び」の純度も下がるだろう。ただ、たまになら悪くない。「買わなくても困らないもの」を欲しいなと思う気持ちをうまく飼い慣らし、適度な幸福感を自身に与え続けて、それで気持ちが穏やかでいられるなら、それが健全な生き方というものだ。
あまり女子大生っぽくないことを書いてしまった。
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備忘。
●プチ旅行。
今週末、関西方面へ遠出の予定。
この日記始まって以来の旅行(?)である。実は、かなりはしゃいでいる。
8時丁度の(丁度ではないけど)、あずさ二号で(多分のぞみだ)、わたしはわたしはアナタから旅立ちます(アナタも一緒だけど)。
●『暮らしの絵本 食べ方のマナーとコツ』(学習研究社)購入。
最近、この手の本ばかりだ。
堅苦しいマナー本ではなく、カラフルかつ可愛らしいイラストで、大人の女性のテーブルでの振るまい方を教えてくれる。正式なレストランでの作法も載っているけど、たとえば、バーによくあるスツールに上品に腰掛けるには、とか。さりげない中座の仕方、とか。
一緒に食事をする誰もが嘆息するような美しい物腰を身につけて、素敵なお店でも物怖じしないようになりたい。
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