賽が投げられた夜
2005年12月26日近年稀に見る、怒濤の年末進行。肝臓、暇無し。
本日はJねーさんと飲み@溜池山王。シャンパン(ヴーヴ・クリコ。好き。)で乾杯→白ワイン&軍鶏焼きを堪能。
Jねーさんは、今年知り合ったばかりの8歳年上の女性。この日記にはしつこい位書いているけど、私は学校以外のコミュニティに積極的に参加するタイプではなかったので(バイトはしているけど、プライベートで会う人はかなり限られている。)、自然、同年代の友達が大多数を占めるようになっていた。
2005年の特徴として、そんな私の狭いコミュニティの壁(と言うより、同年代としか話ができないと思いこんでいた"かたくなな部分"かな。)がちょこっと壊されて、当たり前なんだけど、「友人関係って、たとえ所属が違っても、たとえ年齢が一致していなくても、成り立つものなんだな。」ということが、聞きかじった知識でなく経験から来る実感として、浸透したように思う。
Jねーさんと出会ったのも、まったく事情を知らない人に説明するとやや時間を要するような不思議な縁なのだが、三時間ほど費やして当時(ねーさんと出会った頃。その頃は私の身辺が騒がしかった。)を思い出す作業をしていくうちに、この類の"交際"は時代の先駆けなのかもしれぬ…などと、大袈裟なことを思ったり。
なんにせよ、"かたくな"だったはずの私が、本当に偶然とはいえ、知り合うはずがなかった所属の人とこうして親交を深めていけるのは、まこと、神のお導きである。こういう出会いがあるからこそ、人生が、私たち人間のちっぽけなジタバタ(積極的に広がりを作ろうとする行為)ではどうにもならない宿命によって動かされている気がしてしまう。
もう一つ、備忘しなければいけないこと。
私から見るJねーさん(ねーさんのお友達も含む)というのは、「昔は色々ありましたが、今はこうして頑張ってますよ。」という"無理してない健やかさ"があるように思えて、こと恋愛に関しては、私のような「いっぱいいっぱいさ」が微塵も感じられない。で、それは年齢のせいというより、ねーさんが生まれつきそういう体質なのではないかと思いつつあったのだ。私はそうなれないのかな、と。しかし、ねーさんいわく「あたしは恋愛至上主義だったんですよ。」と。こ、これはビックリ!
というのも、ねーさんがしばしばおっしゃるところの「無意識の選択」を済ませた方というのは、現在の私にとっては未知の世界に生きる女性でありまして。ただ、不思議なことに、私は随分昔から、そういう未知の世界に生きる自分が決して想像できないわけではなく。むしろそっち側に行くのではないか、自分、みたいな漠然とした予感があって。(というのも、私は、ゴハンが喉を通らなくなっちゃうような大失恋を自分が経験しないはずがないと思っていて、現にした。「ああ、やっぱり…」と思ったな、あのときは。いつかは経験するだろう的予感は割と当たるタイプなの。)
ただ、そっち側に行かなそうな自分というのもリアルに想像できて、どっちの予感が当たりそうなのと問われれば、まさに五分五分だろう…というのが現在の素直な見。
仮にねーさんが「無意識の選択」のあらかたを済ませているとしよう。ねーさんは生まれつき未知の世界側の人だったわけではなく、選択前の私のような時期があったと知ったんだ。私は、正直、未知の世界に恐怖を感じていた時期が少なからずあって、なんとかそれを回避せねば!と決意したことがあって。今思うとなんじゃそりゃ、って感じだけど、それが私を恋愛体質に導いた最大かつ唯一の要因だ。
でも、最近(原因はわからん)、未知領域に対する恐怖が薄れてきた感が大分あって。大人になるって悪くないなと思うことが、かなり頻繁に起こるからかもしれない。今まで「こわいなー。」と思っていたことが案外怖くないってわかってきたんだ。これは恋愛にとどまらず。だから「無意識の選択」をするにしろ、しないにしろ、(余談だが、ねーさんが既に選択を済ませたかどうか、実際のところはわからないんだ。)私はそろそろそういう歳なんだなー、と、卒業を目前にして思う。
なんしか、賽は投げられた。
あまりに抽象的ではあるが、一年前の自分なら怖くて目を瞑って投げてたところを(賽が「半」と出たらどうしよ、みたいな。)、今の状態なら、どんな結果になっても(「丁」だろうが「半」だろうが)、"無理してない健やかさ"に包まれた未来の自分を信じられる気がする。それが大人の女になるってことだ。
難しいハナシはいいや。要は、眼下に美しい東京の夜景を眺めながら、やや辛口なトークを繰り広げたわけで。お料理も(ホカホカの釜飯が、特に。)、お酒も、お話も、大満足な夜でした。
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備忘。
●ここ数日のBGM。
スキマスイッチの『空創クリップ』。
「果実きわだつチューハイ」のCMを見てどうしても聴きたくなった「飲みに来ないか」を、もうええっちゅうねん!と突っ込まれそうなほどに、繰り返し聴く。
ちなみに「飲みに来ないか?」という台詞は、私に関してなら口説き文句として抜群に高評価であります。相手が酒飲みなら、さらに高評価であります。いやん、飲みに行っちゃう。(残念ながら、まだ言われたことは無い。)
本日はJねーさんと飲み@溜池山王。シャンパン(ヴーヴ・クリコ。好き。)で乾杯→白ワイン&軍鶏焼きを堪能。
Jねーさんは、今年知り合ったばかりの8歳年上の女性。この日記にはしつこい位書いているけど、私は学校以外のコミュニティに積極的に参加するタイプではなかったので(バイトはしているけど、プライベートで会う人はかなり限られている。)、自然、同年代の友達が大多数を占めるようになっていた。
2005年の特徴として、そんな私の狭いコミュニティの壁(と言うより、同年代としか話ができないと思いこんでいた"かたくなな部分"かな。)がちょこっと壊されて、当たり前なんだけど、「友人関係って、たとえ所属が違っても、たとえ年齢が一致していなくても、成り立つものなんだな。」ということが、聞きかじった知識でなく経験から来る実感として、浸透したように思う。
Jねーさんと出会ったのも、まったく事情を知らない人に説明するとやや時間を要するような不思議な縁なのだが、三時間ほど費やして当時(ねーさんと出会った頃。その頃は私の身辺が騒がしかった。)を思い出す作業をしていくうちに、この類の"交際"は時代の先駆けなのかもしれぬ…などと、大袈裟なことを思ったり。
なんにせよ、"かたくな"だったはずの私が、本当に偶然とはいえ、知り合うはずがなかった所属の人とこうして親交を深めていけるのは、まこと、神のお導きである。こういう出会いがあるからこそ、人生が、私たち人間のちっぽけなジタバタ(積極的に広がりを作ろうとする行為)ではどうにもならない宿命によって動かされている気がしてしまう。
もう一つ、備忘しなければいけないこと。
私から見るJねーさん(ねーさんのお友達も含む)というのは、「昔は色々ありましたが、今はこうして頑張ってますよ。」という"無理してない健やかさ"があるように思えて、こと恋愛に関しては、私のような「いっぱいいっぱいさ」が微塵も感じられない。で、それは年齢のせいというより、ねーさんが生まれつきそういう体質なのではないかと思いつつあったのだ。私はそうなれないのかな、と。しかし、ねーさんいわく「あたしは恋愛至上主義だったんですよ。」と。こ、これはビックリ!
というのも、ねーさんがしばしばおっしゃるところの「無意識の選択」を済ませた方というのは、現在の私にとっては未知の世界に生きる女性でありまして。ただ、不思議なことに、私は随分昔から、そういう未知の世界に生きる自分が決して想像できないわけではなく。むしろそっち側に行くのではないか、自分、みたいな漠然とした予感があって。(というのも、私は、ゴハンが喉を通らなくなっちゃうような大失恋を自分が経験しないはずがないと思っていて、現にした。「ああ、やっぱり…」と思ったな、あのときは。いつかは経験するだろう的予感は割と当たるタイプなの。)
ただ、そっち側に行かなそうな自分というのもリアルに想像できて、どっちの予感が当たりそうなのと問われれば、まさに五分五分だろう…というのが現在の素直な見。
仮にねーさんが「無意識の選択」のあらかたを済ませているとしよう。ねーさんは生まれつき未知の世界側の人だったわけではなく、選択前の私のような時期があったと知ったんだ。私は、正直、未知の世界に恐怖を感じていた時期が少なからずあって、なんとかそれを回避せねば!と決意したことがあって。今思うとなんじゃそりゃ、って感じだけど、それが私を恋愛体質に導いた最大かつ唯一の要因だ。
でも、最近(原因はわからん)、未知領域に対する恐怖が薄れてきた感が大分あって。大人になるって悪くないなと思うことが、かなり頻繁に起こるからかもしれない。今まで「こわいなー。」と思っていたことが案外怖くないってわかってきたんだ。これは恋愛にとどまらず。だから「無意識の選択」をするにしろ、しないにしろ、(余談だが、ねーさんが既に選択を済ませたかどうか、実際のところはわからないんだ。)私はそろそろそういう歳なんだなー、と、卒業を目前にして思う。
なんしか、賽は投げられた。
あまりに抽象的ではあるが、一年前の自分なら怖くて目を瞑って投げてたところを(賽が「半」と出たらどうしよ、みたいな。)、今の状態なら、どんな結果になっても(「丁」だろうが「半」だろうが)、"無理してない健やかさ"に包まれた未来の自分を信じられる気がする。それが大人の女になるってことだ。
難しいハナシはいいや。要は、眼下に美しい東京の夜景を眺めながら、やや辛口なトークを繰り広げたわけで。お料理も(ホカホカの釜飯が、特に。)、お酒も、お話も、大満足な夜でした。
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備忘。
●ここ数日のBGM。
スキマスイッチの『空創クリップ』。
「果実きわだつチューハイ」のCMを見てどうしても聴きたくなった「飲みに来ないか」を、もうええっちゅうねん!と突っ込まれそうなほどに、繰り返し聴く。
ちなみに「飲みに来ないか?」という台詞は、私に関してなら口説き文句として抜群に高評価であります。相手が酒飲みなら、さらに高評価であります。いやん、飲みに行っちゃう。(残念ながら、まだ言われたことは無い。)
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