ラブレター from りん

2005年12月28日
最近できたお友達(大阪在住。)にメールを打つため、PCのメールソフトを起ち上げる。

一年の締めくくりということで、考えなくてもいいことを考えたり、意味も無く過去を振り返ったりすることになる。私は送受信したメールをすべて保存しているので、大学に入ったばかりの頃(専用のPCを手に入れた頃)の履歴を見ることができる。今日も、意味無く、見てしまった。

2005年が終わるということは、すなわち私の大学生活が終わるということで、それはやはり、暗に何かが終わることを意味している。「終わる」という言葉を使ったが、何も否定的なニュアンスが含まれているわけではない。とにもかくにも、私は「終わる」のだ。終わって何が変わるのか、そこんところは、いざ終わってから俯瞰してみないことにはわからないのだけど。

先日、私と友人主催のクリスマスパーティで、夏以来に再会した友人に言われた。

「アンタは変わった。」と。

具体的にどんなところが変わったのか、問いつめてみた。私は、たしかに、自分でも何かが変わったような気がしているけど、それは自分から得意げに話すことじゃないし、そもそも良く変わったかどうかすら、実際のところは謎である。それでも、人から「変わったよ。」と言われれば、なんとなく悪い気はしない。というのも、そのコの表情には「変わりゆく私」に対する肯定的な感情が見え隠れしていたから。

ここで先述のメールの話に繋がるのだけど、私は当時、携帯代を節約するために、友達の携帯にPCから短文メールを送ることがしばしばあった。「じゃあ、おやすみ。」とか、たった一言だけのメールまで、すべてがきちんと時系列で残されている。

彼女(私のこと)は、当時の彼氏との諸々の事件を、とにかく「事件」として扱っていて、いつでも全力疾走していて、友達と深夜に延々と不毛なやりとりをしており、なんというか「一所懸命」ではある。その一所懸命さはずいぶんと微笑ましいものではあるが、やはり暑苦しく、少し静かにしておくれよ、と言いたくなる。

(ここだけの話、まず口調が馬鹿っぽい。ハタチ過ぎた男を「○○たん」と呼ぶなよ、アホか、と。)

まず、一日中携帯を握りしめて離さず、彼氏からのメールを待っていた。再会した友人いわく、「いつも彼氏とメールしてる人」という印象があったそうだ(ショック)。彼氏のことで一喜一憂し、泣き、わめき、暴れ、友人に電話をかけ、メールをして、とても静かとはいえなかったのだろう。それは、私のPCの何百通ものメールが証明している。

私が変わったということは、静かになったということだ。情熱的な部分は今もまったく変わっていないけど(私が男だったら、さぞキザでいけすかない奴だったろうな。)、たとえば、同じ「好き」という気持ちでも、アホみたいに「好きだーーーーー!!!」と叫ぶことしかできなかった私は、目を潤ませて相手を見つめることを覚えた。例えるなら、そんな感じ?

人の「成熟度」を、折れ線グラフ(X軸を時間と置く)で表すなら。それは比例定数を持つような右上がりの直線ではなく、明らかな定数を持たないまま、ある日突然ガクンと変化する予測不能のものだ。そして、その予測不能の変化を引き起こすのは、先天的にプログラムされた自身の資質ではなく、かなり後天的な外部の何かなんだ。

だから、2005年の私が大きく変わったのなら、「ありがとう。」と言わなきゃいけない多くの人がいて、願わくば、2006年もそういう人と一緒にいたい、一緒に変化していきたい、と強く思う。

今年お世話になったすべての人へ。あい・らぶ・ゆー☆(「ゆー」は複数形。)

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備忘。

●本日の肉体美化メニュー。(←復活したらしい。)

朝:シーフードとほうれん草のキッシュ、カモミールティー
昼:スモークサーモンとサラダのサンドイッチ、アイスコーヒー(ブラック)
夜:トマトとピーマンのパスタ、白菜ともやしのミルク煮、大学芋、麦茶

エスカレーターは使わず、階段を疾走!(こ、これだけ…)


●季節とオトコっぷり。

顔つきの問題か、キャラクターの問題か、「その人に似合う季節」というものがあるなと気づいたので、備忘。

冬服(長袖、ゆったり)が似合うか、夏服(半袖、軽快)が似合うかの違いではないかとも思っているが、冬になった途端にちょっと格好良く見えたりする男がいて、夏オトコにドキドキしがちだった私には新鮮な現象だ。

自分に似合う季節を知っておくと、何かと便利かも。

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