東京の中心で、控えめに愛をさけぶ
2006年1月3日年明け初外出。東北出身の友人とランチ@飯田橋。
私が"廃人"と化していた頃(失恋した頃)、彼女には本当にお世話になった。あの後どうなったのか報告していなかったので、年明けの挨拶を兼ねて邂逅。しばらく会っていなかった人にすべてを事細かに説明するのは、結構骨が折れる。「こういう反応をするだろうなー。」と予想した通りの反応をしてくれたので、予想した通りに対応。
「老けた!」と言われたのは、正直ビックリ。自分ではもう少し落ち着きたいくらいなので、ってことは今までどれだけ落ち着いてなかったんや、と、軽くブルーになったけど、落ち着いてなくても怒られるし(彼女にはよく「激しい」と罵られたものだ。)、落ち着いても怒られるし、私はどんな状態でも怒られるのだろうか。
なんにせよ、彼女はこんな私のことを心配してくれていたらしい。ありがたいことだ。
今日話してて思ったのは、彼女は随分と「攻め」の姿勢で生きているなあ、ということ。もともと、高校卒業後たった一人で東京に出てきてがんばっているくらいだから当然なのだけど、「私はこれが好き!」「私はこうしたい!」という部分がハッキリしていて、断定表現をよく使うな、と。潔く、小気味よい。
彼女に対して抱いた感情は、自分でも驚くべきことに、「若いな。」というものだった。(ちなみに彼女は同い年だ。)そんなことを思う自分がナマイキだということもよくわかっている。そして、彼女を「若いな。」と思っている自分も同じように若いので、何か言われる度に「嬢ちゃん、待ちねえ。」と江戸っ子調で否定したくなるのだ。
私が若い証拠というのは、たぶん、こういうところだと思う。「私だって結構わかってきてるんだけど。」という内なるモヤモヤが確立され始めているので、そんなこともわかっていない子どもだとは思われたくないわけ。だから、その「ちょっとわかってきてる自分」を証明したくて、反論してしまう。本当の大人なら、そっかそっか、と、どんなことも笑顔で受け流せるのだろうか。だって相手が気持ちよく話しているのだから、こちらも気持ちよく聞いてあげたいではないか。
虚飾性、というのかな。私は、まだ、自分をよく見せたい。(やれやれ。)
それでも、本日、良かったこともありまして。
「今度の彼氏はどんな人?」と問われて、「とってもいい人だよ。」というたったそれだけの言葉で、彼女に安心してもらえたことだ。そういえば、夏に、私は今の光景(気の置けない友達とお茶を飲みながら、「素敵な人よ。」という短い言葉で恋人を語る)を夢で見たなあと、稲妻に打たれたように思い出した。ピシャーン!
ああこういうことだったのか、と、なんだか泣きそうな気持ちになった。
多くを語らなくても伝わることがあって、そういう瞬間がもっともっと増えることを、私は、当時も今も夢に見るほどに望んでいるのだと思う。
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備忘。
●一泊研修withあすなろ会員。
「あすなろ会」のような仲間が大学にいる。明日、彼・彼女らとともに、北関東に旅立ちます。民宿の体育館でバドミントン(こんな真冬に笑)をやって、イノシシ鍋を食べて、酒を飲んで、歌ったり踊ったりしよう。
雪が積もっていないことを祈る。。。
●『きみに読む物語』(監督:ニック・カサヴェテス 2005年)
DVDを借りておうちで。一人、すすり泣く。
脚本がどうのとか、カメラワークがどうのとか、俳優がどうのとか、いわゆる「完成度」に関しては、あたしゃ長屋の熊さん八っつぁん並の知識しか持ち合わせてないけど、こういうベタベタな映画が好きだ。やっぱね、永遠の愛ですよ。最後に愛は勝つんです。ビバ、エターナル・ラーーーーヴ!!(←テレビの前で大騒ぎ。)
ヒロイン・アリーが母親に諭されるシーンが印象的。「人生の先輩として言ってるの。」と、母親は自分が正しいと信じて進んだ道を、娘にも歩ませようとする。私が思ったのは、たとえその道が後から見て正しかったのだとしても、娘が自分で気づかない限り、正しさには何の価値も無いのだということ。
つまり、人生の先輩として後輩に何かできることがあるとすれば、(自分の思う)正しい道と正しくない道の両方を提示してあげることだけではないか。それもせつないな、とは思う。あきらかに失敗するとわかっている場合、止めたくなるのが人情だ。今後、自分より若輩にどのような態度をとればいいのだろうか、と私は悩む。
もうひとつ。
今回の映画はまさに「おとぎ話」と呼ぶのがふさわしいけど、私はお約束通りの演出に反発を覚えるタイプだ。クリスマスを題材にした映画など特に、「ここで雪が降ったらロマンティックだよなあ。」というシーンで図ったように雪が降ると、わりと興ざめだ。
もし私が映画を作るなら、セックスシーンでカメラを徐々に引いていくのではなく、コンドームを丸めるのに手こずる男と「あー!トイレ行きたかったんだよー!」と裸のまま走り出す女を、最後まで映したい。(私はリアリストなのだろうか?)
そんな下世話な話はともかく、面白い映画でした。365通も毎日したためた愛の手紙をもっとイイ感じに生かせなかったのか、という気はしたが。
それにしても、主人公・ノアも、まさか自分の残した「愛の証拠」が後々利用できるなどとは予想していなかっただろう。私もあまり証拠を残さないようにしよう…恥ずかし過ぎる…と、真剣に考えたりしたが、この日記って、結構「愛の証拠」チックだよな。
私が"廃人"と化していた頃(失恋した頃)、彼女には本当にお世話になった。あの後どうなったのか報告していなかったので、年明けの挨拶を兼ねて邂逅。しばらく会っていなかった人にすべてを事細かに説明するのは、結構骨が折れる。「こういう反応をするだろうなー。」と予想した通りの反応をしてくれたので、予想した通りに対応。
「老けた!」と言われたのは、正直ビックリ。自分ではもう少し落ち着きたいくらいなので、ってことは今までどれだけ落ち着いてなかったんや、と、軽くブルーになったけど、落ち着いてなくても怒られるし(彼女にはよく「激しい」と罵られたものだ。)、落ち着いても怒られるし、私はどんな状態でも怒られるのだろうか。
なんにせよ、彼女はこんな私のことを心配してくれていたらしい。ありがたいことだ。
今日話してて思ったのは、彼女は随分と「攻め」の姿勢で生きているなあ、ということ。もともと、高校卒業後たった一人で東京に出てきてがんばっているくらいだから当然なのだけど、「私はこれが好き!」「私はこうしたい!」という部分がハッキリしていて、断定表現をよく使うな、と。潔く、小気味よい。
彼女に対して抱いた感情は、自分でも驚くべきことに、「若いな。」というものだった。(ちなみに彼女は同い年だ。)そんなことを思う自分がナマイキだということもよくわかっている。そして、彼女を「若いな。」と思っている自分も同じように若いので、何か言われる度に「嬢ちゃん、待ちねえ。」と江戸っ子調で否定したくなるのだ。
私が若い証拠というのは、たぶん、こういうところだと思う。「私だって結構わかってきてるんだけど。」という内なるモヤモヤが確立され始めているので、そんなこともわかっていない子どもだとは思われたくないわけ。だから、その「ちょっとわかってきてる自分」を証明したくて、反論してしまう。本当の大人なら、そっかそっか、と、どんなことも笑顔で受け流せるのだろうか。だって相手が気持ちよく話しているのだから、こちらも気持ちよく聞いてあげたいではないか。
虚飾性、というのかな。私は、まだ、自分をよく見せたい。(やれやれ。)
それでも、本日、良かったこともありまして。
「今度の彼氏はどんな人?」と問われて、「とってもいい人だよ。」というたったそれだけの言葉で、彼女に安心してもらえたことだ。そういえば、夏に、私は今の光景(気の置けない友達とお茶を飲みながら、「素敵な人よ。」という短い言葉で恋人を語る)を夢で見たなあと、稲妻に打たれたように思い出した。ピシャーン!
ああこういうことだったのか、と、なんだか泣きそうな気持ちになった。
多くを語らなくても伝わることがあって、そういう瞬間がもっともっと増えることを、私は、当時も今も夢に見るほどに望んでいるのだと思う。
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備忘。
●一泊研修withあすなろ会員。
「あすなろ会」のような仲間が大学にいる。明日、彼・彼女らとともに、北関東に旅立ちます。民宿の体育館でバドミントン(こんな真冬に笑)をやって、イノシシ鍋を食べて、酒を飲んで、歌ったり踊ったりしよう。
雪が積もっていないことを祈る。。。
●『きみに読む物語』(監督:ニック・カサヴェテス 2005年)
DVDを借りておうちで。一人、すすり泣く。
脚本がどうのとか、カメラワークがどうのとか、俳優がどうのとか、いわゆる「完成度」に関しては、あたしゃ長屋の熊さん八っつぁん並の知識しか持ち合わせてないけど、こういうベタベタな映画が好きだ。やっぱね、永遠の愛ですよ。最後に愛は勝つんです。ビバ、エターナル・ラーーーーヴ!!(←テレビの前で大騒ぎ。)
ヒロイン・アリーが母親に諭されるシーンが印象的。「人生の先輩として言ってるの。」と、母親は自分が正しいと信じて進んだ道を、娘にも歩ませようとする。私が思ったのは、たとえその道が後から見て正しかったのだとしても、娘が自分で気づかない限り、正しさには何の価値も無いのだということ。
つまり、人生の先輩として後輩に何かできることがあるとすれば、(自分の思う)正しい道と正しくない道の両方を提示してあげることだけではないか。それもせつないな、とは思う。あきらかに失敗するとわかっている場合、止めたくなるのが人情だ。今後、自分より若輩にどのような態度をとればいいのだろうか、と私は悩む。
もうひとつ。
今回の映画はまさに「おとぎ話」と呼ぶのがふさわしいけど、私はお約束通りの演出に反発を覚えるタイプだ。クリスマスを題材にした映画など特に、「ここで雪が降ったらロマンティックだよなあ。」というシーンで図ったように雪が降ると、わりと興ざめだ。
もし私が映画を作るなら、セックスシーンでカメラを徐々に引いていくのではなく、コンドームを丸めるのに手こずる男と「あー!トイレ行きたかったんだよー!」と裸のまま走り出す女を、最後まで映したい。(私はリアリストなのだろうか?)
そんな下世話な話はともかく、面白い映画でした。365通も毎日したためた愛の手紙をもっとイイ感じに生かせなかったのか、という気はしたが。
それにしても、主人公・ノアも、まさか自分の残した「愛の証拠」が後々利用できるなどとは予想していなかっただろう。私もあまり証拠を残さないようにしよう…恥ずかし過ぎる…と、真剣に考えたりしたが、この日記って、結構「愛の証拠」チックだよな。
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