モア・ザン・アイラブユー
2006年1月11日敬愛するおねえさんのブログより。
「ものすごい考えて考えて、なんでだろーとかって不思議で不思議で仕方なくて考えたおしたあげくに、あっそうか!って腑に落ちることがあって、でもそれって、本にさらりと書いてあったり、ほかの人がだいぶ前に言っていたことだったりする。(…)
でも、本で読んでわかったこととか人から聞いてわかったことより、その「腑に落ちてつかんだもの」が、だんぜん強いんだよな。同じ言葉でも言う言葉が強いっつーか。」
なるほどなあ、と思う。
私が思うのは、「腑に落ちてつかんだもの」というのは、言葉にすればするほど、本当にありふれた陳腐なものになりがちだ、ということ。自分の中ではものすごく強いにも関わらず、だ。
本人にとっては苦労してようやくつかんだものでも、言葉にした途端、「どこかで聞いたこと」のような印象しか他人には持ってもらえない気がする。
たとえば、"愛は永遠ではないから、この一瞬を大切にしたい。そして、この一瞬がずっと連なって、やがては永遠になっていけばいいのに。"なんて文句はよくある。現に、このテーマを扱った歌は多い。古くは万葉の時代からあるし。
しかし、人が胸を苦しくする原因というものは、そこまで種類豊富ではないのだろう。喜・怒・哀・楽のたった四つで人間の感情を表すに(大まかには)事足りるように、歌にしたくなるような自分にとって「なんともいえない気持ち」も、決して特別な感情ではない。それは先人たちのなぞらえで、過去に限らず今を生きる多くの人が共有している。むしろある個人にONLYの感情だったら誰の共感も得られないから、そんな歌はヒットしないのだろう。
だからね。
「どこかで聞いたこと」であればあるほど、それは、自分以外の多くの人が何千年も持ち続けてきた感情なのかもしれない。私は上記の歌の文句を聞いても、かつてそれほどの感慨を抱かなかった。本当に「どこかで聞いたこと」でしかなかったから。
そして、仮に一度も上記の歌の文句を聞いたことがなかったとして、私は同じように歌を作りたいような気持ちになるだろうか。なる気がする。そのときに発生する何かは、決して他人の受け売りではない。「腑に落ちてようやくつかんだもの」だ。
人にわざわざ説明する必要も無いから、言葉にして陳腐になることを恐れる必要は無いはず。ただ、愛のことばというものが本来、赤の他人に聞かせて感動させるためではなく、ただ愛する本人にどうしても伝えたいがためにあるのだとすれば、私は自分の中の「なんともいえない気持ち」をそこらへんにある安っぽい愛のことばで表したくなくて、でもそうならざるを得なくて、自分の言語野にはもはや限界があると気付くのよね。
「あいしてる」という言葉を日本で初めて作った人も、まさかここまで擦り切れるほどに使い古されるとは思っていなかっただろう。私は、今、その人に生き返っていただいて、「あいしてる」という言葉以上にこの気持ちを表現できる愛のことばを、もう一度作ってほしいと思う。そして、その愛のことばを誰にも教えずに、私専用にして、私の好きな人だけにこっそり言いたいと思う。
Jねーさんへ。
勝手に引用してしまいました。しかもマーケとはまったく関係ない話でごめんなさい。最近うーんうーんと考えている内容とリンクしていたもので。。。
------------------------------------------------------------------
備忘。
●後期試験、終了。
6歳で小学校に入学して以来、17年間も長きにわたって「試験」を受け続けてきたが、本日、人生最後(になるといいけど)の試験。
あとは卒業を待つばかり。
●本日の肉体美化メニュー。
朝:黒ゴマパンのサンドイッチ、アロエヨーグルト、コーヒー牛乳
昼:なすとミートのキッシュ、小松菜のおひたし、アイス豆乳バニララテ
夜:いなり寿司、豚肉のおろし大根和え、ネギとワカメの味噌汁、
ポテトサラダ、緑茶
今晩は久しぶりにオイルマッサージでもするか。
「ものすごい考えて考えて、なんでだろーとかって不思議で不思議で仕方なくて考えたおしたあげくに、あっそうか!って腑に落ちることがあって、でもそれって、本にさらりと書いてあったり、ほかの人がだいぶ前に言っていたことだったりする。(…)
でも、本で読んでわかったこととか人から聞いてわかったことより、その「腑に落ちてつかんだもの」が、だんぜん強いんだよな。同じ言葉でも言う言葉が強いっつーか。」
なるほどなあ、と思う。
私が思うのは、「腑に落ちてつかんだもの」というのは、言葉にすればするほど、本当にありふれた陳腐なものになりがちだ、ということ。自分の中ではものすごく強いにも関わらず、だ。
本人にとっては苦労してようやくつかんだものでも、言葉にした途端、「どこかで聞いたこと」のような印象しか他人には持ってもらえない気がする。
たとえば、"愛は永遠ではないから、この一瞬を大切にしたい。そして、この一瞬がずっと連なって、やがては永遠になっていけばいいのに。"なんて文句はよくある。現に、このテーマを扱った歌は多い。古くは万葉の時代からあるし。
しかし、人が胸を苦しくする原因というものは、そこまで種類豊富ではないのだろう。喜・怒・哀・楽のたった四つで人間の感情を表すに(大まかには)事足りるように、歌にしたくなるような自分にとって「なんともいえない気持ち」も、決して特別な感情ではない。それは先人たちのなぞらえで、過去に限らず今を生きる多くの人が共有している。むしろある個人にONLYの感情だったら誰の共感も得られないから、そんな歌はヒットしないのだろう。
だからね。
「どこかで聞いたこと」であればあるほど、それは、自分以外の多くの人が何千年も持ち続けてきた感情なのかもしれない。私は上記の歌の文句を聞いても、かつてそれほどの感慨を抱かなかった。本当に「どこかで聞いたこと」でしかなかったから。
そして、仮に一度も上記の歌の文句を聞いたことがなかったとして、私は同じように歌を作りたいような気持ちになるだろうか。なる気がする。そのときに発生する何かは、決して他人の受け売りではない。「腑に落ちてようやくつかんだもの」だ。
人にわざわざ説明する必要も無いから、言葉にして陳腐になることを恐れる必要は無いはず。ただ、愛のことばというものが本来、赤の他人に聞かせて感動させるためではなく、ただ愛する本人にどうしても伝えたいがためにあるのだとすれば、私は自分の中の「なんともいえない気持ち」をそこらへんにある安っぽい愛のことばで表したくなくて、でもそうならざるを得なくて、自分の言語野にはもはや限界があると気付くのよね。
「あいしてる」という言葉を日本で初めて作った人も、まさかここまで擦り切れるほどに使い古されるとは思っていなかっただろう。私は、今、その人に生き返っていただいて、「あいしてる」という言葉以上にこの気持ちを表現できる愛のことばを、もう一度作ってほしいと思う。そして、その愛のことばを誰にも教えずに、私専用にして、私の好きな人だけにこっそり言いたいと思う。
Jねーさんへ。
勝手に引用してしまいました。しかもマーケとはまったく関係ない話でごめんなさい。最近うーんうーんと考えている内容とリンクしていたもので。。。
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備忘。
●後期試験、終了。
6歳で小学校に入学して以来、17年間も長きにわたって「試験」を受け続けてきたが、本日、人生最後(になるといいけど)の試験。
あとは卒業を待つばかり。
●本日の肉体美化メニュー。
朝:黒ゴマパンのサンドイッチ、アロエヨーグルト、コーヒー牛乳
昼:なすとミートのキッシュ、小松菜のおひたし、アイス豆乳バニララテ
夜:いなり寿司、豚肉のおろし大根和え、ネギとワカメの味噌汁、
ポテトサラダ、緑茶
今晩は久しぶりにオイルマッサージでもするか。
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