早朝からミルクと格闘。

我がバイト先(都会のカフェ)は、朝が勝負。ビジネス街なので、お客の大半はサラリーマンかOLさんだ。

思い出したのだけど、私がこのバイトを始めた頃はハタチかそこらで、スーツを着ている人が全員「オジサン」に見えたものだ。あくまで客は客と割り切り、彼ら(オジサン)を、自分とは別世界の人といっては大袈裟だけど、そんな風に見ていた気がする。接客ロボットのように対処しながらも、スマイルも代金のうち、と割り切っていたような。

もう一つ。相手がスーツを着ていると年齢がわからなくなるので、たとえお客が20代でも、私にとっては「オジサン」だったのね。で、そういうオジサンは、大抵あまり格好良くないのだけど、薬指にリングをはめていたりするの。そして、数百人単位でそういう人たちに向かっていると、「え、この人も?まあ、この人も!?」なんて、失礼ながら思ったりするの。

ま、そんな風にいちいち反応できるのは、レジを叩いてるとき限定だ。ドリンクを作っている場所は戦場なので、いちいちお客の薬指と顔を交互に確かめている暇は無い。が、私はジュクジュクに熟したベテランなので、戦場でミルクを温めながら今日も色々なことを考えてしまった。

本日の「お考えごと」のテーマは、通過儀礼について。

私がこのバイトを始めた頃は、目に見えるものをとても大切にしていた。たとえば、「まあまあ気は合うけど、カッコ良くない人」と、「話はあまりおもしろくないけど、カッコ良い人」だったら、迷わず後者を選んだ。私の精神が三層構造(よそ行きの自分、友達にしか見せない自分、自分でもよくわからない自分)になっているとすれば、「自分でもよくわからない自分」をどうしても理解してほしくて、だからこそじっくり話ができる男性を求めていると自分でも知っていたのに、私は矛盾していた。

少女に一種の通過儀礼があるとするならば。

少女が大人の女になるために、どうしても理解しなければいけないことがあるとするならば、目に見えないものの価値を最大限認めることだ。私の通過儀礼は思わぬ形で実現した。普通の女のコはたぶん、途中で気付くのだと思う。でも、人より頑丈だった私の"殻"をぶち破るには、あのような出会い方をするしかなかったんだな、と、当時(マイ・ラヴァーと出会った頃)を思い出す度に、私は「ふふふ。」と不気味な笑いを漏らしてしまう。

こういう書き方をすると、まるでマイ・ラヴァーが「まあまあ気は合うけど、カッコ良くない人」みたいだけど(笑)、いやいや、彼はカッコ良いッス(たぶん)。本質的にどうかって話じゃなくて、私が男性をまず見るときの順序の問題。目に見えるところより先に、私は彼の目に見えないところに注目した。その経験が貴重だったということだ。

オジサンをオジサンと見ていた私は、異性を見るときに「恋する対象かどうか」をまず判断していた。スーツを着たオジサンは、カッコ良い少年ではないから、その時点で自分とは別世界の人間だったのだ。べつにオジサンに恋する必要は無いのだけど、オジサンを男じゃないと判断していた私は、はたして人を人として見ていたのだろうか。甚だ自信が無い。

目に見えるものとは、容貌、着ているもの、持ち物、などなど。人は見た目が九割というから、目に見えるものはとっても大事だと思うけど、私の思う素敵な女性とは、人を判断する際に見た目が食い込む領域が普通の人よりちょっぴり少ないのではないか、って。

すでに50を過ぎてるであろう正真正銘のオジサンでも、ミスをした私に「気にしないでいいよ。」と笑ってくださるときがある。通過儀礼を終えた(と、勝手に思ってる)私は、「かつてこのオジサンにも若い頃があって、そんな彼に真剣に恋した女性もいただろう。」などと思う。そういう目で世界を見ると、当時より今の方がやや美しく見える気がする。

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備忘じゃなく、雑感。

●DiaryNote・トップページについて。

久々にトップページを見たのだが、このDiaryNoteって、「ヒミツの交換日記ではじまる、新しい生活。」というのが謳い文句だったんだね。あんなに大きく書いてあるのに、知らなかったよ!

皆がどういうキッカケでDiaryNoteを始めたのかは、気になるところだ。その際、やはりヒミツの交換日記で新しい生活を始めようとしたのかなと思うと、なんだかとてもウケる(ウケちゃ失礼だとは知りつつも)。


●コメント機能について。

私がDiaryNoteを始めた頃は、「ヒミツ日記」でやりとりというのが王道だったので、保守派な私は、未だに新機能である「コメント機能」に馴染めずにいる。

ほかのブログサイトを利用したことが無いのでよくわからないけど、DiaryNote特有の「ヒミツ日記システム」は秀逸だったと思う。リンクし合うことで徐々に広がるコミュニティ、でも全員の文章は読むことができないという。相互していれば片一方のコメントは読むことができるけど、その相手がリンクしている人のものは読めない。あの隠微さが私は好きだった。

で、なんちゅうか、今も「ヒミツ日記」は使えるのだけど、当時よりも隠微さが減った気がして、私は、まるで母校が改築されたような一抹の寂しさを覚えたりするのだ。


●あしあと機能について。

この機能が追加されて以来、ほかの人の日記に飛ぶ際、若干(ほんと若干)躊躇するようになった。

相互している人に関してはともかく、今までこっそり見ていた人の日記の場合、「まっ、りんさんって人、見てるんだ!」ってばれてしまうから。いやいや、別にばれて困ることはこれっぽっちも無いのだけど、「名乗るほどの者ではございません。」ってときがあるじゃないですか(笑)。

でも自分のところに来る人のお名前を見ると、「まあ、名乗ってくださればよろしいのに…。」なんて、勝手なことを思う私。これはイイ機能だと思います。

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