我恋す、故に我有り

2006年1月14日
雨の日と土曜日は、

ヘレン・フィッシャーの『人はなぜ恋に落ちるのか? 恋と愛情と性欲の脳科学』(ソニー・マガジンズ)を読了。こんな話題ばかりですみません。

アメリカの著名な人類学者である著者いわく、「恋愛」とは、交配と生殖のために進化した脳の三つの原始的ネットワークにすぎない、と。ネットワークということは、すなわち網の目のようになっているということ。で、その三つとは、「性欲」、「恋愛感情」、「愛着」のことだ。

この基本的な三つの衝動は、脳内の異なる通路をめぐっていて、それぞれが異なる行動の元となり、異なる神経化学物質と関連している。「性欲」は、どんな相手とも性的に結合できるように進化した。「恋愛感情」は、ひとりの相手にのみ求愛することで、貴重な交配可能期間とエネルギーを無駄遣いしないように進化した。「愛着」は、ふたりの間に生まれた子どもをともに育てている間は相手を愛していられるように進化した。

私に言わせれば、著者がこの本を著したのは時期尚早だったと思う。

なぜなら、これら三つの基本的な交配衝動の元が、それぞれテストステロン(性欲と結びつく)、ドーパミンとセロトニン(恋愛感情を結びつく)、オキシトシンとバソプレシン(愛着と結びつく)ということはわかっても、たとえば「性欲」と「恋愛感情」がどう絡み合っているのか、というところまでは解明できていないからだ。それぞれの結びつき方には、個人差と例外があり過ぎる。

さらに、人間がなぜ特定の個人を好む(この人じゃなきゃだめ!)のか、結局は謎らしい。オイオイ、私はそこが知りたかったのだけど(笑)。人類という種が、あくまで一時的に(交配期間中だけ)相手に惹かれる動物から、相手のためなら死んでもかまわないとさえ思える男女にいつ変身したのか、そこらへんはやっぱりわからないままだ。

脳は未だにブラックボックスだそうだ。愛する人の写真を見せると、被験者の脳の一部分が活性化する。「あ、ここが活性化してる!」という部位を、著者は特定できた。そのとき脳内でどのホルモンが分泌されるかも。でも、「だからどーした」と私は思う。

科学者たちが脳内の地図をどれほど正確に描き、恋愛の生物学を解明したとしても、この情熱の神秘と高揚感が損なわれることはありえない。ベートーベンの第九の楽譜をすべて知っていたとしても、それを耳にするごとに覚える興奮が変わらないのと同じだ。これは私ではなく、著者自身が語っていること。

ある現象を目にして、それの解明に乗り出し客観的に語るのか、それともその現象を良しとして主観的に表現するか、人は二つのタイプに分かれるのだろう。私は、間違いなく、後者だ。仮に、私に理系の才能があったとしても、「恋愛」を解明しようとはおそらく思わなかったはず。「我思う、故に我有り」じゃないけど、私は今間違いなく恋をしているし、それだけは確かなこと。その不思議さに心動かされて、「どうして?」と思うものの(だから今回のような本を読むのよ)、「真理を追究したい」という姿勢ではなかったということ。

紀元前から人は恋愛をしていたという確かな証拠があり、動物も何らかの形で特定の相手に求愛する。私は、そういった多くの「例」を本で読み、「まあ、あなたも?あら、あなたも?恋って素敵よね!うっふふふ♪」という「共感」を欲しがっているのだろう。真理を追究できなくとも、この「共感」を護符にして、何かしたいんだろうね。たぶん、それは、表現としてカテゴライズされる何かなんだ。

それにしても、現代の最新テクノロジーを駆使しても未だ解明できない「恋愛」に、私は宇宙の真理に匹敵するほどの神秘をやはり感じてしまう。





追記。本の備忘。

●世界中の様々な社会で、平均して女性は言語学的に男性より優れているそうだ。100万年前から、女性が子育ての道具として言葉を用いてきたためだろう、と。女性の言語能力というのは、女性ホルモンのエストロゲンと繋がっているくらいらしい。

女は言葉で感じるのだそうだ(わはは!)。「男に笑わせてもらった女は、守られているように感じるものだ。」とのこと。男性の皆さん、要チェック!


●男も女も一般的に、異なる話題について語ることで親密度が高まるものらしい。男性の場合、スポーツや政治や世界の出来事やビジネスについての会話を楽しむことが多い。それは、勝つか負けるか、勝者と敗者、地位と階層制の世界であり、交配相手を勝ち取るために常にステイタスを武器としてきた男性にとって、理解できる世界なのだそうで。

一方の女性は、自分の個人的なこと、あるいは人の話題について、もっと感情的であけすけなおしゃべりにより惹きつけられる。太古の世界で進化してきた女性たちにとって、社会的な繋がりが生き残るために決定的な要素だったからだろう、と。


●求愛者がさまざまな才能を披露するとき、そういった求愛行動を披露されている側も、判断力、洞察力、記憶力、認識力など、求愛者を識別する能力を持つ必要があるそうだ。これは、当たり前の話だ。

言語、芸術、歌など、若き求愛者は、自分の得意技で交配相手を関心させようとするのだそうで。そして、たとえば人より抜きんでて言葉巧みな者やカリスマ的演説を行う者は、もちろん自身の言語能力をウリとする。しかし、求愛される側も同じ程度の言語能力が無いと、相手の言っている意味がわからない上に、「この人のこの能力がスゴイ!」と思えないそうで。


●総括。私は自分がやや特殊なのではないかと思いつつあったけど、どうやら、ものすごく「女」らしい女みたい。。。ひょえー!

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