1月16日の読書メモ
2006年1月16日年上のリーマン司書から、中島らもの『今夜、すべてのバーで』を拝借。読了。
そんなわけで、今日もブックレビュー(のようなもの)をアップしようと思いPCを起ち上げたのが、正月に書いた『えろきゅん』のレビューに、著者である川上史津子さんご本人からコメントがついていた。あまりに驚いて、思わず自室(二階)の窓から飛び降りたくなった。
というのも、ちょっと批判チックなことを偉そうに書き散らかしていたからだ。今更言うまでもないけど、ブログってホント、誰に読まれるかわからないね。そういえば、以前の私は、本や映画のレビューを公開するのは傲慢だと思いこんでいた。だからこそアップする際は、不快になる人が極力少なくなるように配慮していたつもりだが(批判ゼロのレビューはレビューとしての本質を欠いているにしろ)、やはり念頭に置いておくべきだろう。
前置き、終わり。
今回の本、読後感は悪くない。むしろ、すこぶる良い。コリコリに凝った美文を好まないタチなので(自分で書くのは好きだが)、読んでいる最中、物語の展開に対してではなく文章そのものに嫌気がさすようなことが無くて、良かった。男性の一人称は「俺」より「僕」派の私なので、そこだけは少し辛かったけど。
こういう文学を読む度に、「どうして私は男に生まれなかったのだろう。」と思ってしまう。
女ではなく男としてこの家に生まれていたら、やりたいことがいっぱいあった。たとえば、今日。家事をやりたがらない母親にほとほと腹を立て、「じゃあもう何も食わなければいい!!」と捨て台詞を残して、自分は近所の薄汚いラーメン屋で夕食を済ませて、それでもまだ腹の虫がおさまらなかったら、これまた近所のバーで一人ウィスキーをストレートでやりたい、なんて思ったけど、同じことをやっても弱冠23歳の小娘じゃまったく絵にならない。それを知っているから、結局スーパーで買い物をしておとなしくゴハンを作った。つまらん。
中島らもについての知識が貧弱だが、どうも「あまり結婚したくないタイプ」であったと想像される。そういえば、私の愛すべきおじいちゃんも大酒飲みの女好きでのろくでもない人で、最期は肝臓を悪くしてしまった。父方の親戚はそういう「無頼派」が妙に多く、私にもその血は脈々と受け継がれているようだ。
なぜなら、まだ酒を飲む前から「私は酒好きになるだろうな。」という予感があった。周りの大人が全員、酒をこよなく愛していたので、あの液体には底知れぬ魅力が潜んでいるのだと、小さい頃から知っていた。しつこいように繰り返すが、もし私が男だったら、会社帰りに居酒屋をはしごして酔いつぶれるサラリーマンになっていたに違いない。残念だ。(もしや、今からでもなれるのか?でもそれはみっともない。)
というわけで、私は、酒を飲む男の人がとても好きです。
仮説。私の中に流れる父方の「酒と男のロマン」(←?)の遺伝子が、私をそういう世界へ誘うのだけど、悲しいかな、私は女だし見栄っ張りな性分なので、同じことをしても「絵にならない」のが屈辱なのだ。さらに言うなら、小心者だから決して無頼派にはなれない。それら鬱屈した何かが形を変え、憧れとなり、一人格好良く生きながら酒を飲む男性へと投影されているのだろうな、と。
補足。シビれたのは、以下の台詞↓
「酔うというのは、体が夢を見ることだ。」
さらに補足。男性に言われたいのは、以下の台詞↓
「きみがおれのアルコールだ。」
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備忘。
●本日のBGM。
クレイジー・ケン・バンドの『Soul punch』より、「American Dream」。
家族から「もういいよ!」って言われるほどに、繰り返し聴く。混声合唱って素敵だ。どうやら、私は、CKBをとても気に入ってしまったらしい。
そんなわけで、今日もブックレビュー(のようなもの)をアップしようと思いPCを起ち上げたのが、正月に書いた『えろきゅん』のレビューに、著者である川上史津子さんご本人からコメントがついていた。あまりに驚いて、思わず自室(二階)の窓から飛び降りたくなった。
というのも、ちょっと批判チックなことを偉そうに書き散らかしていたからだ。今更言うまでもないけど、ブログってホント、誰に読まれるかわからないね。そういえば、以前の私は、本や映画のレビューを公開するのは傲慢だと思いこんでいた。だからこそアップする際は、不快になる人が極力少なくなるように配慮していたつもりだが(批判ゼロのレビューはレビューとしての本質を欠いているにしろ)、やはり念頭に置いておくべきだろう。
前置き、終わり。
今回の本、読後感は悪くない。むしろ、すこぶる良い。コリコリに凝った美文を好まないタチなので(自分で書くのは好きだが)、読んでいる最中、物語の展開に対してではなく文章そのものに嫌気がさすようなことが無くて、良かった。男性の一人称は「俺」より「僕」派の私なので、そこだけは少し辛かったけど。
こういう文学を読む度に、「どうして私は男に生まれなかったのだろう。」と思ってしまう。
女ではなく男としてこの家に生まれていたら、やりたいことがいっぱいあった。たとえば、今日。家事をやりたがらない母親にほとほと腹を立て、「じゃあもう何も食わなければいい!!」と捨て台詞を残して、自分は近所の薄汚いラーメン屋で夕食を済ませて、それでもまだ腹の虫がおさまらなかったら、これまた近所のバーで一人ウィスキーをストレートでやりたい、なんて思ったけど、同じことをやっても弱冠23歳の小娘じゃまったく絵にならない。それを知っているから、結局スーパーで買い物をしておとなしくゴハンを作った。つまらん。
中島らもについての知識が貧弱だが、どうも「あまり結婚したくないタイプ」であったと想像される。そういえば、私の愛すべきおじいちゃんも大酒飲みの女好きでのろくでもない人で、最期は肝臓を悪くしてしまった。父方の親戚はそういう「無頼派」が妙に多く、私にもその血は脈々と受け継がれているようだ。
なぜなら、まだ酒を飲む前から「私は酒好きになるだろうな。」という予感があった。周りの大人が全員、酒をこよなく愛していたので、あの液体には底知れぬ魅力が潜んでいるのだと、小さい頃から知っていた。しつこいように繰り返すが、もし私が男だったら、会社帰りに居酒屋をはしごして酔いつぶれるサラリーマンになっていたに違いない。残念だ。(もしや、今からでもなれるのか?でもそれはみっともない。)
というわけで、私は、酒を飲む男の人がとても好きです。
仮説。私の中に流れる父方の「酒と男のロマン」(←?)の遺伝子が、私をそういう世界へ誘うのだけど、悲しいかな、私は女だし見栄っ張りな性分なので、同じことをしても「絵にならない」のが屈辱なのだ。さらに言うなら、小心者だから決して無頼派にはなれない。それら鬱屈した何かが形を変え、憧れとなり、一人格好良く生きながら酒を飲む男性へと投影されているのだろうな、と。
補足。シビれたのは、以下の台詞↓
「酔うというのは、体が夢を見ることだ。」
さらに補足。男性に言われたいのは、以下の台詞↓
「きみがおれのアルコールだ。」
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備忘。
●本日のBGM。
クレイジー・ケン・バンドの『Soul punch』より、「American Dream」。
家族から「もういいよ!」って言われるほどに、繰り返し聴く。混声合唱って素敵だ。どうやら、私は、CKBをとても気に入ってしまったらしい。
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