1月24日の雑感

2006年1月24日
徒然なるままに。

●退職、近付く。
二年続けたアルバイトもあと一ヶ月ちょっと。随分長い間、早朝四時半に起きてよくがんばったものだ。自分で自分を褒めてあげたい!(←有森選手風に、顔をしかめつつ。)

二年間、色々なことがあった。印象深いのは、やはり、始発間もない電車。女子にとって深夜が危ないことは周知の事実だが、早朝も結構危ない。怪しい外国人に待ち伏せされたり、ある時など、椅子に座っていたらおじさんが目の前に立って、一生にそう何人分も見たくないものをどアップで見せつけられたりなど。

そんな生活も終わるのかと思えば、すべてが愛しい思い出のように感じられるから不思議だ。


●口腔、負傷。
口の中の調子が、すこぶる悪い。先日、あまりの美味しさにアホみたいに食べ物を貪っていたら、歯で噛んでしまった。当然、その部位は腫れ、腫れてるもんだからさらに噛みやすく、悪循環・スパイラルだ。ううう…オラが何したっていうだ。。。

ただ、口を痛めてわかったことがある。

私はどちらかに分けると(分けなくても)おしゃべりなタイプ。口から出る情報量が多い。何かが増えれば品質も低下しがちだ。つまり、私の口から出る情報の場合、あえて口に出すほどでもないんじゃないかというレベルが占める割合が、人より高い気がする。

さらに。私はこうして「口が痛いんだよー。」と人に言いたくなるけど、有益なレスポンスを求めているわけではない。私という人間は、自分でない誰かが「口が痛いんだよー。」と言ったら、何か言わなくちゃという使命感にかられ、上記のような無駄なおしゃべりを繰り出しがちだ。そうではなく、「口が痛いんだよー。」と言われたら、「口が痛いの?」とただ受けとめられるようになれればいいな、と思う。キャッチボールに例えれば、キャッチした瞬間にうわーと投げ返すのではなく、まず確実に受けとめて、その衝撃をたしかに自分の手の中に感じられるようにしたいな、と。


●優しさの質量保存の法則。
理科の時間に「質量保存の法則」を習ったことを、この年になって思い出す。

私は思い遣りのある優しい人が好きだけど、思い遣りの元となるエネルギーは、かの人の体内にいつでも備蓄されているはず。そのエネルギーはどう加工しても消えるわけではない。

優しい人は、人より多くのエネルギー(何にでも変換可能)を持っているのではないか。だが、そのエネルギーはときに残酷なものにも姿を変え、そうなってしまったときは優しさが発揮されたときと同じくらいの破壊力を持つ気がする。


●ゴハン熱。
これは悪影響なのか良い影響なのか不明だけど、最近、食べ物のことを考える時間が増えた気がする。

早朝バイトの際、コンビニや駅のキオスクで朝食を買って行く。前までは「食えりゃなんだっていい。」と思っていたが、そんなことではゴハンの神様に申し訳が立たない気がしてきて、妙に"レベル"を意識するようになった。500円玉でお釣りが来るのはもちろん、栄養価(朝は糖質が欲しい)、カロリー、食べ応えなどなど、「うん、今日は我ながらハイレベル!」と思えると、朝から非常に満足だ。


●我が家の状況。
門前の雪が溶けず。滑る。毎朝、死にそうになる。

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