キッチンでする社会の勉強
2006年1月25日高校時代の友達4人でランチ@銀座。
OL2人の休みがウマイ具合に重なったので、平日にもかかわらず、まずまずの集合率。広過ぎる銀座駅構内で右往左往したものの、時間通りに到着(私はね)。
みんなを待っている間、5年以上前に思いを馳せる。あの頃は、通学路にあったミスタードーナツで、それこそ何時間もねばったものだ。500円玉が一枚あれば十分だったし、特に約束をしなくても毎日会えたのに。こうして都心にわざわざ集まること、1000円以上するランチを食べること、出発前に洋服を選ぶこと、すべてが不思議で仕方ない。
ややムーディな店内でアジアン・バイキング。私がグリーンカレーばかり抱えて食べていたら、「りんはひとつの物を飽きもせず食べ続けるよね。」と指摘され、そこから私が"一途"という話になる。いいことじゃないか。化粧品会社に勤める某嬢の化粧が濃いと笑ったり、私が"場末系"だというネタで盛り上がったり、週末にデートする相手が70年代風で嫌だから(←笑)誰か一緒に来てくれと言われたり、娘が4人も集まるとかしましくて仕方ない。
銀ブラ組と帰宅組に別れ、解散。
冬はストーブを使うので、埃が舞っていけない。私は、主婦の三大義務【掃除、洗濯、炊事】の中では、掃除が一番気乗りしない。が、そうも言っていられないので、得意の妄想をしながら掃除機(東芝製)とステップ・バイ・ステップ。
昼間に散々カレーを食べたのに、家にニンジンとタマネギが余っていることを思い出した母から、「今夜はカレーにして。」とのリクエスト。最近、公私ともども、カレーに縁があるのはなぜだろう。
豚の肩ロースブロックをぶつ切りにしながら、夕方のNHKニュースを聞く。堀江容疑者(容疑者、ってスゴイよね。何度聞いてもそう思う。)は容疑を否認し続けているとのこと。それに関して思うところがあるのか無いのかと問われれば、無くもない、というあたりが一番的を射ている。そう、無くもない。ただ、こうして夕飯の支度をしていると、世俗のすべてが遙か異国の出来事のように、自分にはまるで関係ないことのように感じられるのだよ。
西で働く父の元から我が家に舞い込むのは、めっきり暗いニュースばかり。すっかり弱く小さくなった母と、年老いた猫と、卒業を間近に控えた私が考えなければいけないことは、ホリエモンとその側近が考えなければいけない内容に比べたら、本当に小さく、ささやかで、取るに足らないような「内輪ネタ」だけど。人が、ある水準以上の幸せを個人単位でなく家族単位で維持していくことは、会社経営と同じくらい大変なことだろう。自分では選べないまま集った「第一の家族」(結婚相手を選んで築きあげていく家庭が第二だとするなら)の幸せは、まるで最初からピタリと合わないように設定されたジグソーパズルと格闘するような、不毛と思われる努力の果てにあるものだ。金で買えないものはないと言い切ったホリエモンの家庭は、幸せだったのだろうか。
そして、彼や、彼の周りに集まる人々に、献立を考えた後にすべての料理を同時に温かい状態に導くのがどれだけ大変かをご存知か、と問いたい。楽しいことがあっても、悲しいことがあっても、人はおなかが減るし、部屋は散らかるし、衣服は傷んでいく。家庭を営むとは、いくらやっても「やって当然」で決して褒められることのない仕事を黙々とこなしながら、一緒に暮らす人々の不和をファインプレーのように解消しつつ、外ではなく内の方へと価値を見出していくことだ。一介の会社社長である私の父は、誰もが大変だと認める会社経営に四苦八苦しながら、取るに足らないと思われる家庭の幸せを築こうと必死になっている。そして、どちらも成果としては芳しくない。ホリエモンが逮捕されてもされなくても、私が興味あることはといえば、ライブドア社に勤める社員の妻や娘が息子が、今、どのように生きているかということだ。
こんな「雪かき仕事」をもう25年もやってきたのだな、と思うと、母がニュースを見るときにやや遠い目になってしまう気持ちも、なんとなくだがわかる気がする。
OL2人の休みがウマイ具合に重なったので、平日にもかかわらず、まずまずの集合率。広過ぎる銀座駅構内で右往左往したものの、時間通りに到着(私はね)。
みんなを待っている間、5年以上前に思いを馳せる。あの頃は、通学路にあったミスタードーナツで、それこそ何時間もねばったものだ。500円玉が一枚あれば十分だったし、特に約束をしなくても毎日会えたのに。こうして都心にわざわざ集まること、1000円以上するランチを食べること、出発前に洋服を選ぶこと、すべてが不思議で仕方ない。
ややムーディな店内でアジアン・バイキング。私がグリーンカレーばかり抱えて食べていたら、「りんはひとつの物を飽きもせず食べ続けるよね。」と指摘され、そこから私が"一途"という話になる。いいことじゃないか。化粧品会社に勤める某嬢の化粧が濃いと笑ったり、私が"場末系"だというネタで盛り上がったり、週末にデートする相手が70年代風で嫌だから(←笑)誰か一緒に来てくれと言われたり、娘が4人も集まるとかしましくて仕方ない。
銀ブラ組と帰宅組に別れ、解散。
冬はストーブを使うので、埃が舞っていけない。私は、主婦の三大義務【掃除、洗濯、炊事】の中では、掃除が一番気乗りしない。が、そうも言っていられないので、得意の妄想をしながら掃除機(東芝製)とステップ・バイ・ステップ。
昼間に散々カレーを食べたのに、家にニンジンとタマネギが余っていることを思い出した母から、「今夜はカレーにして。」とのリクエスト。最近、公私ともども、カレーに縁があるのはなぜだろう。
豚の肩ロースブロックをぶつ切りにしながら、夕方のNHKニュースを聞く。堀江容疑者(容疑者、ってスゴイよね。何度聞いてもそう思う。)は容疑を否認し続けているとのこと。それに関して思うところがあるのか無いのかと問われれば、無くもない、というあたりが一番的を射ている。そう、無くもない。ただ、こうして夕飯の支度をしていると、世俗のすべてが遙か異国の出来事のように、自分にはまるで関係ないことのように感じられるのだよ。
西で働く父の元から我が家に舞い込むのは、めっきり暗いニュースばかり。すっかり弱く小さくなった母と、年老いた猫と、卒業を間近に控えた私が考えなければいけないことは、ホリエモンとその側近が考えなければいけない内容に比べたら、本当に小さく、ささやかで、取るに足らないような「内輪ネタ」だけど。人が、ある水準以上の幸せを個人単位でなく家族単位で維持していくことは、会社経営と同じくらい大変なことだろう。自分では選べないまま集った「第一の家族」(結婚相手を選んで築きあげていく家庭が第二だとするなら)の幸せは、まるで最初からピタリと合わないように設定されたジグソーパズルと格闘するような、不毛と思われる努力の果てにあるものだ。金で買えないものはないと言い切ったホリエモンの家庭は、幸せだったのだろうか。
そして、彼や、彼の周りに集まる人々に、献立を考えた後にすべての料理を同時に温かい状態に導くのがどれだけ大変かをご存知か、と問いたい。楽しいことがあっても、悲しいことがあっても、人はおなかが減るし、部屋は散らかるし、衣服は傷んでいく。家庭を営むとは、いくらやっても「やって当然」で決して褒められることのない仕事を黙々とこなしながら、一緒に暮らす人々の不和をファインプレーのように解消しつつ、外ではなく内の方へと価値を見出していくことだ。一介の会社社長である私の父は、誰もが大変だと認める会社経営に四苦八苦しながら、取るに足らないと思われる家庭の幸せを築こうと必死になっている。そして、どちらも成果としては芳しくない。ホリエモンが逮捕されてもされなくても、私が興味あることはといえば、ライブドア社に勤める社員の妻や娘が息子が、今、どのように生きているかということだ。
こんな「雪かき仕事」をもう25年もやってきたのだな、と思うと、母がニュースを見るときにやや遠い目になってしまう気持ちも、なんとなくだがわかる気がする。
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