simple , me
2006年1月31日コメント (6)誰も気付いてないとは思うけど、意識してることがある。
日記を始めてもうすぐ一年経つ。私の文章は、「実際にあったこと」より「自分が思ったこと」の占める割合の方が高い。それを、最近は、敢えて意識的に「実際にあったこと」を多めに書くようにしている。
自分の正しさを100%信じ込まないようにしよう、と、そうは思っていても、口に出す(文章にする)ということは、それが正しいと思っているからこそ口に出すわけで。「自分が思ったこと」を書くことで、自分の"正しさ"を模索している。「真に正しいことなど存在しない。」と書きながら、「正しいことは無い」という仮定の正しさを証明しようとしている。
「今日はこんなことがあった。」という事実だけを述べた文章は、とてもニュートラルだ。自分の正しさを信じ込まない姿勢は、何も足さず、何も引かず、という極地に達するために必要なことだろう。一切を取り除いて最後に残った「今日はこんなことがあった。」という文章は、プロセスにおいては「そのとき、こんな風に思っていたのよ。」という"主観"があったとしても、それを感じさせない。主観を省いた文章は面白みに欠けるけど、主観は主観に過ぎないから、きっと、自分だけが知っていればいい。(もちろん、これは、究極的なハナシね。)
私は「自分が思ったこと」に自信を持っているのだろうか。もちろん、「これは正しい」と思っても、文章にする前に、正しくないかもしれない可能性を考慮して隙を作らないようにしている。隙を作らないように配慮することで、より一層、説の正しさが(自分の中で)強固な印象になってしまう。「リトマス紙につけたから、絶対に、絶対に、これは酸性です!」と言いたいのと同じ。
ま、自分では正しいと思えるんだからそれでいいじゃん、とも思う。一体、誰に忠義立てしてるのよ、と。
これは理想だけど、「今日一日どうだった?」と問われて、「こんなことがあって、私はこう思って、こう考えて、コレコレはこういうものだと思いました!」と胸を張って言うよりも、「今日はね、コレコレをしたの。」とだけ言ってみたい。そんなのつまらない。と、今は思う。本当は色々考えているのに。けど、本当は色々と考えている自分を表に出さない勇気(それはたぶん勇気なんだ。馬鹿と思われる可能性があるから。)がもう少し身に付いたらいいのにな、と思います。
さらに。
世間に言い訳をせずに(つまり、日記にも書かずに)、「今晩は何を作ろうかな?」と、人に話すほどでもないことばかりを考えながら日々を過ごせればいいなあ、と思います。
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備忘。
●韓国風サラダ。
ごま油と結婚したいくらい、ごま油を愛している。
サンチュ(サラダ菜、サニーレタス)、茹でだこ、きゅうり、白ネギ、
白すりごま、しょうゆ、砂糖、白胡椒、ごま油、塩、酢、オイスターソース、
たこは軽く湯通し。白ネギは細く切って白髪ネギに。切った野菜とたこを、調味料で和えるだけ。お手軽。松の実をお好みで。ああ、ごま油、ラブ。。。
●豆乳ワンタンスープ。
ワンタンの具は、えび。背ワタを除いたえびを、水気を拭き取ってから粗みじん切りに。紹興酒、しょうがの絞り汁、片栗粉、ごま油、ラー油、塩、白胡椒と一緒によく混ぜてから、ワンタンで包む。ワンタンはごま油とともに一分茹でて、あげておく。
スープは、簡単。刻んだしょうがをごま油で炒めて、香りが出たら上から水菜を。水菜がしんなりしたら、調整豆乳、水、鶏ガラスープの素、紹興酒を加える。一煮立ち。塩、白胡椒で味を調える。あげておいたワンタンと一緒に盛り付け。
スープは好きだけど、それだけではおかずにならないから困る。メインディッシュに時間をかける日は、菜物と汁物を簡単に済ませたいし。むう。
日記を始めてもうすぐ一年経つ。私の文章は、「実際にあったこと」より「自分が思ったこと」の占める割合の方が高い。それを、最近は、敢えて意識的に「実際にあったこと」を多めに書くようにしている。
自分の正しさを100%信じ込まないようにしよう、と、そうは思っていても、口に出す(文章にする)ということは、それが正しいと思っているからこそ口に出すわけで。「自分が思ったこと」を書くことで、自分の"正しさ"を模索している。「真に正しいことなど存在しない。」と書きながら、「正しいことは無い」という仮定の正しさを証明しようとしている。
「今日はこんなことがあった。」という事実だけを述べた文章は、とてもニュートラルだ。自分の正しさを信じ込まない姿勢は、何も足さず、何も引かず、という極地に達するために必要なことだろう。一切を取り除いて最後に残った「今日はこんなことがあった。」という文章は、プロセスにおいては「そのとき、こんな風に思っていたのよ。」という"主観"があったとしても、それを感じさせない。主観を省いた文章は面白みに欠けるけど、主観は主観に過ぎないから、きっと、自分だけが知っていればいい。(もちろん、これは、究極的なハナシね。)
私は「自分が思ったこと」に自信を持っているのだろうか。もちろん、「これは正しい」と思っても、文章にする前に、正しくないかもしれない可能性を考慮して隙を作らないようにしている。隙を作らないように配慮することで、より一層、説の正しさが(自分の中で)強固な印象になってしまう。「リトマス紙につけたから、絶対に、絶対に、これは酸性です!」と言いたいのと同じ。
ま、自分では正しいと思えるんだからそれでいいじゃん、とも思う。一体、誰に忠義立てしてるのよ、と。
これは理想だけど、「今日一日どうだった?」と問われて、「こんなことがあって、私はこう思って、こう考えて、コレコレはこういうものだと思いました!」と胸を張って言うよりも、「今日はね、コレコレをしたの。」とだけ言ってみたい。そんなのつまらない。と、今は思う。本当は色々考えているのに。けど、本当は色々と考えている自分を表に出さない勇気(それはたぶん勇気なんだ。馬鹿と思われる可能性があるから。)がもう少し身に付いたらいいのにな、と思います。
さらに。
世間に言い訳をせずに(つまり、日記にも書かずに)、「今晩は何を作ろうかな?」と、人に話すほどでもないことばかりを考えながら日々を過ごせればいいなあ、と思います。
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備忘。
●韓国風サラダ。
ごま油と結婚したいくらい、ごま油を愛している。
サンチュ(サラダ菜、サニーレタス)、茹でだこ、きゅうり、白ネギ、
白すりごま、しょうゆ、砂糖、白胡椒、ごま油、塩、酢、オイスターソース、
たこは軽く湯通し。白ネギは細く切って白髪ネギに。切った野菜とたこを、調味料で和えるだけ。お手軽。松の実をお好みで。ああ、ごま油、ラブ。。。
●豆乳ワンタンスープ。
ワンタンの具は、えび。背ワタを除いたえびを、水気を拭き取ってから粗みじん切りに。紹興酒、しょうがの絞り汁、片栗粉、ごま油、ラー油、塩、白胡椒と一緒によく混ぜてから、ワンタンで包む。ワンタンはごま油とともに一分茹でて、あげておく。
スープは、簡単。刻んだしょうがをごま油で炒めて、香りが出たら上から水菜を。水菜がしんなりしたら、調整豆乳、水、鶏ガラスープの素、紹興酒を加える。一煮立ち。塩、白胡椒で味を調える。あげておいたワンタンと一緒に盛り付け。
スープは好きだけど、それだけではおかずにならないから困る。メインディッシュに時間をかける日は、菜物と汁物を簡単に済ませたいし。むう。
コメント
それと、私は逆に思ったことを書くのが怖いです。
バカにされたり、否定されそうで。
つまり自信がないんですね。
勇気がないから事実しか書けません(^^;
って言ってる通りだと思うよ。俺はそれが全てだと思う。りんとは考え方が違うといってしまえばそれまでだけど、でもそれじゃありんらしくないんじゃないの(笑)?
俺はつまらない人間だと周囲に断言されるくらいなら死を選ぶね(笑)
若かりし頃は、思ったことや考え方を人に話したりすることも多かったなー
当時はBlogなんてなかったから友人達とそういうことをたくさん語ったりしてね。
最近では年齢的なものもあるんだろうか?逆に心の中で自問自答して消化する傾向が多いです。
とくに日記なんかに書くときは、読む人の受け止め方なんかまで意識しちゃったりしてね、当たり障りないような文になるんだよね。そういうのも無視してワーとなんでも書いたり言ったりできるのは若いってことなのかなー?いい意味でね。
そうそう、誰に忠義立ててるんだろうね?ホント
まあ、気付いてました!?そういえば、初夏ちゃんは、随分昔から読んでくれてるんだもんね。ありがとう。
そっか、事実だけを述べることが「自信の無さ」と思う人もいるんですね。私は、頭の中の色々なことを口にしさえすればわかってもらえるような、そんな気がしてるのかも。私は勇気は無いけど、自信(めいたもの)があるのかもしれないなぁ…。ちょっと、やな奴…かも?
私らしさ、か。そっか、そうかもしれないね。裕之の思う「りんらしさ」っていうのは、やっぱ、いつもみたいにワーって「自分の思ったこと」を言いまくってる私のことかしら?
死を選ぶ、って裕之らしいね(笑)。私もそれはわかるよ。つまらないとは思われたくない。けど、まあ、なんかね、うん。ほんのちょこっとだけど、色々な人に面白いと思ってもらわなくてもいいかな、って気がしてきたんだ。
コメント、ありがとうございます!気付いてました?なんか、嬉しいです。
そうですね、私が性質として「言いたがり」かどうかより、年齢のせいもあるんだと思います。サイヤさんもそうだったんですね。ワーって言えることは尊いのかもしれないけど、私の周りの大人の話を聞いていると、「言わぬが花」という言葉の意味をついつい学んでしまうんです。きっと、早く追いつきたいんでしょうね。
私が忠義立てしてるとすれば、おそらく、周りの大人たちに対してです。