アイ・アム・ラーメニング
2006年2月1日そぼ降る雨に濡れながら。
数ヶ月ぶりにスーツを着て外出。
正装とはいえ、疲れる。これは推測だが、男性のそれよりも、女性の方がスカートがタイトな分、辛いはずだ。しかも、ストッキングを穿いているとはいえ、脚がずる出しなので寒い。傘の先端から水が滴って脚にかかる。寒い。
と、ぶちぶち文句を(心の中で)垂れながら移動していると、私はどうしても当時(就職活動中)を思い出してしまう。エントリーシートと面接が何よりの心配事だったあの頃を思い返すと、やはり、どう考えてもまともな精神状況だったとはいえない。スーツが窮屈なことなど、さして気にならなかった。ほかに考えなきゃいけないことがいっぱいあったからだ。
フォーマルな野暮用を済ませたのち、一人飯。
スーツを着ると一人でゴハンを食べたくなるのは、当時の名残かもしれない。一人のときはラーメンがイイ。誰に何と言われても自分がオイシイと思う味の店へ行く。替え玉を頼んでも誰にも咎められない。にんにく臭くなっても誰にも咎められない。私は自由だ。
チャーシューを咀嚼しながら、就職活動について思いを巡らせた。
就職活動は辛い。「自分が拒否される」という痛みを知るからだ。就職活動と大失恋を経験する前の私は、この世の多くのことは、ある程度の努力さえすれば達成できるような気が、ぼんやりとだが、していた。達成できないのは、努力が不足しているせいだと。そのわりに、「これ以上ムリ!」と言える程の努力をしたことはないのだが。でも、だからこそかもしれない。「これ以上ムリ!」と言える程の努力の果てには、必ず栄光があると思っていた。そして、その栄光の可能性はきっと万人に共通に与えられているはずだ、と。
努力しても手に出来ないものがあると知った、と書くと、まるですべてを悟ったいけすかない女みたいだけど、むしろ、私は少し優しくなった(と思う)。ほんの、少しね。努力→栄光、というあまりにも短絡なベクトルにも、ケース・バイ・ケースがあると知った。そして、不幸にもケースからはみ出てしまったとき、「努力が足りなかった!」と他人を非難できる気がしない。短絡だったベクトルは、昔の私が予想もしなかった方角へ向けて、放射状に伸びようとしている。
さらに。
痛みへの耐性ができた。「自分が拒否される」という痛みへの耐性だ。今でも拒否されたらそりゃ辛いけど、当時のように、自分のすべてが否定されたような気がしてどん底に落ちることはないだろう。というのも、自分のアピールできる部分(ときに、才能とも言われる。)を「どうでしょ?」と差し出していた当時、私は、火が無いのに煙を探すような不毛なことをしていた気がしてならない。実は、これは就職活動とはまったく関係ないのだが、自分でも気づいていなかった「火」が私の中にはあって、そこからのぼる煙を見つけてくれた人がいて、たとえそれが民間企業の求めるものではないとしても、私はその「火」が見つかったことがとても嬉しい。
当時も恋をしていたし、今も恋をしているけど、ひとつだけ腑に落ちないことがある。恋に落ちるのは交通事故のようなものだからともかく、いざ「付き合う」となったとき、相手の「火」が見つからないのに付き合っていいものだろうか。大層な火じゃなくていい。たとえ消えそうな火だとしても。「可愛いね。」と言われるより、「キミの、作った、書いた、言った、これらはスゴイね!」と、何かしらのささやかな才能を認めてもらえたときの方が嬉しいし、私は、そういうとき、天にも昇るような気持ちになる。
就職活動はときに恋にも例えられるけど、どちらにも言えることは、万人に受け入れられることは決してない、ということか。ただ、自分の「火」が見つからないまま企業を探すのはなかなか大変なことだし、同じように、自分の「火」を認めてくれない人と一緒にいるのも辛いことだ。
「火」の所在が自分でもわからなかったからこそ、私は色々な男の人と付き合うことができたけど、一度でもそれっぽいものを見つけて賛美してもらう体験をした以上、もう、これからは、そう簡単に人を好きにならないような気がする。そして、願わくば、もう新たに始めることにならなければいいのに、とも思う。
本日、豚骨ラーメンを食べながらやたら難しい顔をしていた女子大生(正装)がいたら、その人は、たぶん、私だ。
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備忘。
●りんの素敵な料理人への道。
味噌汁ひとつ作るにしても。
豆腐を入れるときは嵩が増すので、最初に入れる水の量を少なめにしなければいけない。それとは逆に、じゃがいもなどそれなりに時間をかけて柔らかくしたい具のときは、煮込んでいる間に水が減るのでやや多めにしておくべし。
料理の本を読んで「これは小さじ4杯、これは大さじ2杯…」とやっていても、家のコンロの火力や、その日の具材の調子が違うので、自分なりに目と舌を使って微調整しなければ。それら微調整が完璧に(しかも毎日)できる人こそ、「料理上手」と言えるのだろう。
日々是精進。。。
●本日のBGM。
『Dance mania』シリーズ、『Dance mania DIAMOND』(二枚組)。
高校一年の頃、体育の時間の創作ダンス用にレンタルしたもの。当時はなんとも思わなかったけど、この年になって、「ああ、私はこういうの好きだなあ。」としみじみ思う。これがあれば、朝も、夜も、ノリノリ!
Smile,DKの「Butterfly」、Aquaの「Barbie Girl」、Eiffel65の「blue(Da Ba Dee)」が好き。
数ヶ月ぶりにスーツを着て外出。
正装とはいえ、疲れる。これは推測だが、男性のそれよりも、女性の方がスカートがタイトな分、辛いはずだ。しかも、ストッキングを穿いているとはいえ、脚がずる出しなので寒い。傘の先端から水が滴って脚にかかる。寒い。
と、ぶちぶち文句を(心の中で)垂れながら移動していると、私はどうしても当時(就職活動中)を思い出してしまう。エントリーシートと面接が何よりの心配事だったあの頃を思い返すと、やはり、どう考えてもまともな精神状況だったとはいえない。スーツが窮屈なことなど、さして気にならなかった。ほかに考えなきゃいけないことがいっぱいあったからだ。
フォーマルな野暮用を済ませたのち、一人飯。
スーツを着ると一人でゴハンを食べたくなるのは、当時の名残かもしれない。一人のときはラーメンがイイ。誰に何と言われても自分がオイシイと思う味の店へ行く。替え玉を頼んでも誰にも咎められない。にんにく臭くなっても誰にも咎められない。私は自由だ。
チャーシューを咀嚼しながら、就職活動について思いを巡らせた。
就職活動は辛い。「自分が拒否される」という痛みを知るからだ。就職活動と大失恋を経験する前の私は、この世の多くのことは、ある程度の努力さえすれば達成できるような気が、ぼんやりとだが、していた。達成できないのは、努力が不足しているせいだと。そのわりに、「これ以上ムリ!」と言える程の努力をしたことはないのだが。でも、だからこそかもしれない。「これ以上ムリ!」と言える程の努力の果てには、必ず栄光があると思っていた。そして、その栄光の可能性はきっと万人に共通に与えられているはずだ、と。
努力しても手に出来ないものがあると知った、と書くと、まるですべてを悟ったいけすかない女みたいだけど、むしろ、私は少し優しくなった(と思う)。ほんの、少しね。努力→栄光、というあまりにも短絡なベクトルにも、ケース・バイ・ケースがあると知った。そして、不幸にもケースからはみ出てしまったとき、「努力が足りなかった!」と他人を非難できる気がしない。短絡だったベクトルは、昔の私が予想もしなかった方角へ向けて、放射状に伸びようとしている。
さらに。
痛みへの耐性ができた。「自分が拒否される」という痛みへの耐性だ。今でも拒否されたらそりゃ辛いけど、当時のように、自分のすべてが否定されたような気がしてどん底に落ちることはないだろう。というのも、自分のアピールできる部分(ときに、才能とも言われる。)を「どうでしょ?」と差し出していた当時、私は、火が無いのに煙を探すような不毛なことをしていた気がしてならない。実は、これは就職活動とはまったく関係ないのだが、自分でも気づいていなかった「火」が私の中にはあって、そこからのぼる煙を見つけてくれた人がいて、たとえそれが民間企業の求めるものではないとしても、私はその「火」が見つかったことがとても嬉しい。
当時も恋をしていたし、今も恋をしているけど、ひとつだけ腑に落ちないことがある。恋に落ちるのは交通事故のようなものだからともかく、いざ「付き合う」となったとき、相手の「火」が見つからないのに付き合っていいものだろうか。大層な火じゃなくていい。たとえ消えそうな火だとしても。「可愛いね。」と言われるより、「キミの、作った、書いた、言った、これらはスゴイね!」と、何かしらのささやかな才能を認めてもらえたときの方が嬉しいし、私は、そういうとき、天にも昇るような気持ちになる。
就職活動はときに恋にも例えられるけど、どちらにも言えることは、万人に受け入れられることは決してない、ということか。ただ、自分の「火」が見つからないまま企業を探すのはなかなか大変なことだし、同じように、自分の「火」を認めてくれない人と一緒にいるのも辛いことだ。
「火」の所在が自分でもわからなかったからこそ、私は色々な男の人と付き合うことができたけど、一度でもそれっぽいものを見つけて賛美してもらう体験をした以上、もう、これからは、そう簡単に人を好きにならないような気がする。そして、願わくば、もう新たに始めることにならなければいいのに、とも思う。
本日、豚骨ラーメンを食べながらやたら難しい顔をしていた女子大生(正装)がいたら、その人は、たぶん、私だ。
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備忘。
●りんの素敵な料理人への道。
味噌汁ひとつ作るにしても。
豆腐を入れるときは嵩が増すので、最初に入れる水の量を少なめにしなければいけない。それとは逆に、じゃがいもなどそれなりに時間をかけて柔らかくしたい具のときは、煮込んでいる間に水が減るのでやや多めにしておくべし。
料理の本を読んで「これは小さじ4杯、これは大さじ2杯…」とやっていても、家のコンロの火力や、その日の具材の調子が違うので、自分なりに目と舌を使って微調整しなければ。それら微調整が完璧に(しかも毎日)できる人こそ、「料理上手」と言えるのだろう。
日々是精進。。。
●本日のBGM。
『Dance mania』シリーズ、『Dance mania DIAMOND』(二枚組)。
高校一年の頃、体育の時間の創作ダンス用にレンタルしたもの。当時はなんとも思わなかったけど、この年になって、「ああ、私はこういうの好きだなあ。」としみじみ思う。これがあれば、朝も、夜も、ノリノリ!
Smile,DKの「Butterfly」、Aquaの「Barbie Girl」、Eiffel65の「blue(Da Ba Dee)」が好き。
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