TOKYO DUST
2006年2月5日待ちに待った週末。昼頃、マイ・ラヴァー宅を急襲。
「おっはよー!」「この家は味噌と米が無いから持ってきたよー。」「この炊飯器ホコリかぶってるけど、使える?」「トイレットペーパーが無いよー!」「先週の鍋がまだ浸かってる!!」などとまくしたてていたら、「りんは…本当に元気だね。健康そのものって感じ…。」と嘆息されてしまった。その姿たるや、これぞ、純正、"日曜日のニッポンのお父さん"である。いかん傾向だ。
昼食(彼にとっては朝食)を二人でもそもそと食べながら、本日のデイト・プランニング。どこに連れていってくれるのかしらん。おニューだというコートを羽織って満足気な彼だけど、中身のニットはもう二ヶ月以上同じだYO!準備を整えて、出発。
カップルは、晴れた休日、どこに行く?お台場へ?横浜へ?いやいや、私たちは新橋へ(新橋って!)。
東京をぐるりと囲む環状線の中で、地図を広げる。彼ご愛用の地図は何種類かあるが、本日使うのはそのうちの一つ。そこかしこに書き込みが為されている、思いっきりカスタマイズされた地図だ。これだけ駆使してもらえれば、地図の制作者も感無量だろう。「新橋の愛宕(あたご)神社に行ってみたい。」などと言い出す彼のコートの端を掴みながら、「やっぱり、私のカレって、ちょっと変わってるかも。」と今さら気付いたり。
港区・新橋にある愛宕神社は、東京で一番高い丘の上にある(知らなかった)。「防火の神様が祀られてるんだよ。そのわりに、何回も火事になってるらしいけど。」「あっはっは!」と言い交わしながら、頂上へ続く坂を上る。マイ・ラヴァーは決して肉体派じゃないし、むしろ頭脳派だけど、こういうときはワクワクしているようで歩調も早い。鳥居と社がある頂上と、狛犬が対面する石畳を繋ぐのは、40度以上はあるだろう急勾配の石段だ。「出世の石段」と呼ばれるそうで、遙か昔、徳川の時代、曲垣平九郎が馬でこの石段を登り梅を手折った話が言い伝えられているらしい(知らなかった)。そのほか、祀られた「火産霊命(ほむすびのみこと) 」の"むすび"は、息子や娘のあの"むす"と同じ語源だよ、という話や、当時はこの丘から房総半島まで見渡せたらしいよ、という話を聞く。はとバスのガイドさんもびっくりの『マイ・ラヴァーと行く東京散策』は、今日もイイ感じだ。
丘のすぐ裏手には、港区を占拠しつつあるMとかいう総合ディベロッパーの建てたタワーが二つある。「高いところから愛宕神社を見てみたいね。」という話になり、タワーの入り口を探す二人(今思うとこれがマズかった)。居住スペースのみで占められたタワーは、当然ながらセキュリティも万全で、やたら重々しい姿の守衛さんがいる。「この上、上れませんかねぇ?」と駄目もとで尋ねる私たち。「申し訳ありませんが、こちらは住居ですので…。」「あ、さいですか。あっちのタワーもそうですか?」「あちらは42階にレストランがありますので、そちらへは上れますが…」「あっ、そうですか!ありがとうございます!」と、引っ返そうとする私たちに後ろから釘が。
「お待ちください!大層、高級なレストランでございます!!」
…左様ですか(うるせーやい)。
怯まず、たゆまず、42階を目指す我ら。こちらのロビーも綺麗だ。広い。「でもさ、こっちはテナントが入ってるんだから、フロアに降りるくらいはできるよ。」「だよね、きっと360度ガラス張りとかだろうし。」などと井の中の蛙のような発言を繰り出しながら、チーン、と42階に到着。なんと、関所が!!入り鉄砲ならぬ、入り貧乏まかり許さぬぞ立ち去れい!的状況だ。すごすごと退散。悔しいからトイレくらい足跡を付けてやろうと思い、2階(ここは入れる)で用を足してみた。今こそ、ビバ!カッパ!と叫ぶときだ。
Mタワーを脱出し、タモリが認定したという東京の「名坂」を上りながら、橙色に光り始めた東京タワーを仰ぎ見る。綺麗やね、と言うと、うん綺麗だね、と答える人が隣にいる。下から見るタワーは決して悪くない。光り輝く高いところを目指して、上って、上りつめて、いざ高いところに到達したとき、何が見えるのだろう。視界が開けることと視野が広がることは、同義ではない。私たちは、こうして地上から眺めるから、美しい東京タワーそのものを「美しい」と思う。高いところにいる人は、どんなものを見て「美しい」と思うのだろう。もし私が地上42階に上ることになったとして、人がなかなか入れないフロアで毎日のように食事をするのかな、と考えた。私は、42階でも、片手鍋を使って人のためにゴハンを作る気がする。
せっかくだからということで、想定の範囲外だが、東京タワーに上る。
夜の帳がまさに降りんとする時間、カップルがいっぱいいるし、いっか、と少々パーソナルスペースを狭めに設定。東京の夜景を一望。街と街を繋ぐ道路の上を車が走って、まるで、血管を行く血流みたいだ。あっちには、お台場の観覧車。あっちには、六本木ヒルズ。最近読んだばかりの『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の一節を思い出す。東京は、地方から集まる若者たちの夢を掃除機のように吸い上げて、ぶんぶんと回転し、翻弄し、やがてはじかれたものが塵のように溜まっていく、とリリー・フランキーは語る。ここはそんなに悪い街だろうか。東京には、坂があるし、海があるし、愛宕神社もある。ゴミできらめく世界が僕たちを拒んでも、とスピッツが歌うように、ゴミの中からいつも綺麗なものを探して見せてくれる隣の人に寄り添いながら、ゴミを見て「汚い」と言うだけなら誰でもできるけど、と思ったりした。
蝋人形を見たり、ホログラムを見たり、ギネス記録の展示を見たりしながら、タワーを降りる。夕飯は、新橋にて、豚肉がこれでもか!と入った味噌ラーメンを。はふはふ、もぐもぐ、テクテク、ブルブル、チュッ。
以上。
「おっはよー!」「この家は味噌と米が無いから持ってきたよー。」「この炊飯器ホコリかぶってるけど、使える?」「トイレットペーパーが無いよー!」「先週の鍋がまだ浸かってる!!」などとまくしたてていたら、「りんは…本当に元気だね。健康そのものって感じ…。」と嘆息されてしまった。その姿たるや、これぞ、純正、"日曜日のニッポンのお父さん"である。いかん傾向だ。
昼食(彼にとっては朝食)を二人でもそもそと食べながら、本日のデイト・プランニング。どこに連れていってくれるのかしらん。おニューだというコートを羽織って満足気な彼だけど、中身のニットはもう二ヶ月以上同じだYO!準備を整えて、出発。
カップルは、晴れた休日、どこに行く?お台場へ?横浜へ?いやいや、私たちは新橋へ(新橋って!)。
東京をぐるりと囲む環状線の中で、地図を広げる。彼ご愛用の地図は何種類かあるが、本日使うのはそのうちの一つ。そこかしこに書き込みが為されている、思いっきりカスタマイズされた地図だ。これだけ駆使してもらえれば、地図の制作者も感無量だろう。「新橋の愛宕(あたご)神社に行ってみたい。」などと言い出す彼のコートの端を掴みながら、「やっぱり、私のカレって、ちょっと変わってるかも。」と今さら気付いたり。
港区・新橋にある愛宕神社は、東京で一番高い丘の上にある(知らなかった)。「防火の神様が祀られてるんだよ。そのわりに、何回も火事になってるらしいけど。」「あっはっは!」と言い交わしながら、頂上へ続く坂を上る。マイ・ラヴァーは決して肉体派じゃないし、むしろ頭脳派だけど、こういうときはワクワクしているようで歩調も早い。鳥居と社がある頂上と、狛犬が対面する石畳を繋ぐのは、40度以上はあるだろう急勾配の石段だ。「出世の石段」と呼ばれるそうで、遙か昔、徳川の時代、曲垣平九郎が馬でこの石段を登り梅を手折った話が言い伝えられているらしい(知らなかった)。そのほか、祀られた「火産霊命(ほむすびのみこと) 」の"むすび"は、息子や娘のあの"むす"と同じ語源だよ、という話や、当時はこの丘から房総半島まで見渡せたらしいよ、という話を聞く。はとバスのガイドさんもびっくりの『マイ・ラヴァーと行く東京散策』は、今日もイイ感じだ。
丘のすぐ裏手には、港区を占拠しつつあるMとかいう総合ディベロッパーの建てたタワーが二つある。「高いところから愛宕神社を見てみたいね。」という話になり、タワーの入り口を探す二人(今思うとこれがマズかった)。居住スペースのみで占められたタワーは、当然ながらセキュリティも万全で、やたら重々しい姿の守衛さんがいる。「この上、上れませんかねぇ?」と駄目もとで尋ねる私たち。「申し訳ありませんが、こちらは住居ですので…。」「あ、さいですか。あっちのタワーもそうですか?」「あちらは42階にレストランがありますので、そちらへは上れますが…」「あっ、そうですか!ありがとうございます!」と、引っ返そうとする私たちに後ろから釘が。
「お待ちください!大層、高級なレストランでございます!!」
…左様ですか(うるせーやい)。
怯まず、たゆまず、42階を目指す我ら。こちらのロビーも綺麗だ。広い。「でもさ、こっちはテナントが入ってるんだから、フロアに降りるくらいはできるよ。」「だよね、きっと360度ガラス張りとかだろうし。」などと井の中の蛙のような発言を繰り出しながら、チーン、と42階に到着。なんと、関所が!!入り鉄砲ならぬ、入り貧乏まかり許さぬぞ立ち去れい!的状況だ。すごすごと退散。悔しいからトイレくらい足跡を付けてやろうと思い、2階(ここは入れる)で用を足してみた。今こそ、ビバ!カッパ!と叫ぶときだ。
Mタワーを脱出し、タモリが認定したという東京の「名坂」を上りながら、橙色に光り始めた東京タワーを仰ぎ見る。綺麗やね、と言うと、うん綺麗だね、と答える人が隣にいる。下から見るタワーは決して悪くない。光り輝く高いところを目指して、上って、上りつめて、いざ高いところに到達したとき、何が見えるのだろう。視界が開けることと視野が広がることは、同義ではない。私たちは、こうして地上から眺めるから、美しい東京タワーそのものを「美しい」と思う。高いところにいる人は、どんなものを見て「美しい」と思うのだろう。もし私が地上42階に上ることになったとして、人がなかなか入れないフロアで毎日のように食事をするのかな、と考えた。私は、42階でも、片手鍋を使って人のためにゴハンを作る気がする。
せっかくだからということで、想定の範囲外だが、東京タワーに上る。
夜の帳がまさに降りんとする時間、カップルがいっぱいいるし、いっか、と少々パーソナルスペースを狭めに設定。東京の夜景を一望。街と街を繋ぐ道路の上を車が走って、まるで、血管を行く血流みたいだ。あっちには、お台場の観覧車。あっちには、六本木ヒルズ。最近読んだばかりの『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の一節を思い出す。東京は、地方から集まる若者たちの夢を掃除機のように吸い上げて、ぶんぶんと回転し、翻弄し、やがてはじかれたものが塵のように溜まっていく、とリリー・フランキーは語る。ここはそんなに悪い街だろうか。東京には、坂があるし、海があるし、愛宕神社もある。ゴミできらめく世界が僕たちを拒んでも、とスピッツが歌うように、ゴミの中からいつも綺麗なものを探して見せてくれる隣の人に寄り添いながら、ゴミを見て「汚い」と言うだけなら誰でもできるけど、と思ったりした。
蝋人形を見たり、ホログラムを見たり、ギネス記録の展示を見たりしながら、タワーを降りる。夕飯は、新橋にて、豚肉がこれでもか!と入った味噌ラーメンを。はふはふ、もぐもぐ、テクテク、ブルブル、チュッ。
以上。
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