りんの日本脱出記 〜序章〜
2006年2月11日学科の友達と卒業旅行@イタリア・フランス。
パスポートを取得するのも初めて、スーツケースに物を詰めるのも初めて、外貨を手にするのも初めて、という、まるで処女が湯浴みするかのごとく神妙な気持ちになりながら出発準備。ドキドキ。
●構成メンバー。
ミキティ … 小顔、ネガティブシンキング
まゆげ … 静岡県出身、色白
Qoo … ナイスバディ、自分大好き
●旅行期間。
11日間(学生向けパックツアー)。
●今回の旅行の(個人的な)目標。
おなかを壊さないこと。ホームシックにならないこと。
何しろ要領を得ないので、出発前日まで荷造りに追われてしまった。腹巻きタイプの貴重品入れを買ったものの、試しに装着してみたらLサイズということが判明し、ガバガバで使えない。「ひー!」と言いながら"上げ"をするハメに。その他、久しぶりに使おうとしたら腕時計の電池が切れていたり、パジャマにしようと思っていたスウェットのお尻部分が伸び伸びだったり、どーしよー!時間無いよー!もういいやっ、という個人的にはかなり不本意な状態で出発。
日本を発つ日の飛行機が早朝の便なので、空港に(我が家よりは)近いマイ・ラヴァー宅に前日の夜から泊めてもらう計画。ガラガラと騒音をまき散らしながら彼のマンションへ。行く先々(駅の階段とか)で通りすがりのおじさんの助けを得ながら、キャスターの調子がおかしいスーツケースと格闘。
帰りを待つ間、近所の蕎麦屋に行って最後の日本食を堪能しようと思ったのに、なぜか休業。中華料理屋にてチャーハンと餃子を食す。最後の晩餐が中華風でいいのだろうか。そして女一人で瓶ビールを頼むのはどうだろうか。と散々迷った挙げ句に、大人しく水を飲む。餃子にビールが不可欠だと思うようになってしまったらなんちゅうかもう…、と思っているけど、まだ大丈夫みたい。たぶん。
一人で晩ゴハンを食べることは滅多に無いけど、こうして座っていると色々なことを考える。そして目の前の料理を冷静に見ることができる。誰に気を遣う必要も無いまま湯気のあがる皿を抱え、恐る恐る口に運ぶと、おっ、と思う。誰も聞いてないのに料理について解説したくなる。誰も気にしてないのに店構えや店員の接客についても点数をつけたくなる。そうか、いわゆるグルメと呼ばれる人の中には、必ずしもウンチクを好むわけではなく、のっぴきならない事情で目の前の皿のみに注目するしかない人たちも含まれるのだな、と気づいた。
その後。ほろ酔いで帰宅したマイ・ラヴァーに、カメラの使い方をレクチャーしてもらう。私はデジカメを持っていないので、彼のEXLIMと、使い勝手の良さそうなコンパクトカメラを貸してもらうことに。空が入るときは一度手前の物にピントを合わせてからの方がイイという話や、手前の手すり等を入れると写真に奥行きが生まれるという話(額縁効果)や、「コレを撮りたい!」と思ったら思い切って対象に近寄って撮ると格好良い構図になる、という話を聞く。こういう時、私は、この人に聞いてわからないことは無いんじゃないかしら、と、私以外の誰にもわからないような(わからなくても別にいいの)安らかな気持ちになる。例えるなら、まるでお釈迦様の手のひらにいるような、それでいて窮屈ではなく、むしろ自分のpossibilityがどんどん解放されていくような。
翌朝はなんと四時半起き。お疲れのマイ・ラヴァーが寝ている隙にそーっと出かけようと思っていたのに、一緒に起きて最寄り駅まで荷物を運んでくれるという。何かあったときに使え、とポチ袋入りの餞別と、旅の記録をしておいで、とお洒落な日記帳までいただく。ありがたいことだ。「気をつけてね!行ってらっしゃい!」と朝から相変わらずさわやか過ぎる人に見送られ、ついに空港へ。
ボン・ボヤージュ、自分。
パスポートを取得するのも初めて、スーツケースに物を詰めるのも初めて、外貨を手にするのも初めて、という、まるで処女が湯浴みするかのごとく神妙な気持ちになりながら出発準備。ドキドキ。
●構成メンバー。
ミキティ … 小顔、ネガティブシンキング
まゆげ … 静岡県出身、色白
Qoo … ナイスバディ、自分大好き
●旅行期間。
11日間(学生向けパックツアー)。
●今回の旅行の(個人的な)目標。
おなかを壊さないこと。ホームシックにならないこと。
何しろ要領を得ないので、出発前日まで荷造りに追われてしまった。腹巻きタイプの貴重品入れを買ったものの、試しに装着してみたらLサイズということが判明し、ガバガバで使えない。「ひー!」と言いながら"上げ"をするハメに。その他、久しぶりに使おうとしたら腕時計の電池が切れていたり、パジャマにしようと思っていたスウェットのお尻部分が伸び伸びだったり、どーしよー!時間無いよー!もういいやっ、という個人的にはかなり不本意な状態で出発。
日本を発つ日の飛行機が早朝の便なので、空港に(我が家よりは)近いマイ・ラヴァー宅に前日の夜から泊めてもらう計画。ガラガラと騒音をまき散らしながら彼のマンションへ。行く先々(駅の階段とか)で通りすがりのおじさんの助けを得ながら、キャスターの調子がおかしいスーツケースと格闘。
帰りを待つ間、近所の蕎麦屋に行って最後の日本食を堪能しようと思ったのに、なぜか休業。中華料理屋にてチャーハンと餃子を食す。最後の晩餐が中華風でいいのだろうか。そして女一人で瓶ビールを頼むのはどうだろうか。と散々迷った挙げ句に、大人しく水を飲む。餃子にビールが不可欠だと思うようになってしまったらなんちゅうかもう…、と思っているけど、まだ大丈夫みたい。たぶん。
一人で晩ゴハンを食べることは滅多に無いけど、こうして座っていると色々なことを考える。そして目の前の料理を冷静に見ることができる。誰に気を遣う必要も無いまま湯気のあがる皿を抱え、恐る恐る口に運ぶと、おっ、と思う。誰も聞いてないのに料理について解説したくなる。誰も気にしてないのに店構えや店員の接客についても点数をつけたくなる。そうか、いわゆるグルメと呼ばれる人の中には、必ずしもウンチクを好むわけではなく、のっぴきならない事情で目の前の皿のみに注目するしかない人たちも含まれるのだな、と気づいた。
その後。ほろ酔いで帰宅したマイ・ラヴァーに、カメラの使い方をレクチャーしてもらう。私はデジカメを持っていないので、彼のEXLIMと、使い勝手の良さそうなコンパクトカメラを貸してもらうことに。空が入るときは一度手前の物にピントを合わせてからの方がイイという話や、手前の手すり等を入れると写真に奥行きが生まれるという話(額縁効果)や、「コレを撮りたい!」と思ったら思い切って対象に近寄って撮ると格好良い構図になる、という話を聞く。こういう時、私は、この人に聞いてわからないことは無いんじゃないかしら、と、私以外の誰にもわからないような(わからなくても別にいいの)安らかな気持ちになる。例えるなら、まるでお釈迦様の手のひらにいるような、それでいて窮屈ではなく、むしろ自分のpossibilityがどんどん解放されていくような。
翌朝はなんと四時半起き。お疲れのマイ・ラヴァーが寝ている隙にそーっと出かけようと思っていたのに、一緒に起きて最寄り駅まで荷物を運んでくれるという。何かあったときに使え、とポチ袋入りの餞別と、旅の記録をしておいで、とお洒落な日記帳までいただく。ありがたいことだ。「気をつけてね!行ってらっしゃい!」と朝から相変わらずさわやか過ぎる人に見送られ、ついに空港へ。
ボン・ボヤージュ、自分。
コメント