りんの日本脱出記 〜ナポリ・ポンペイ編〜
2006年2月13日
異国の地で初・起床。
本日は、現地のオプショナル・ツアーに参加。行き先は、火山で埋もれた街・ポンペイと、海洋都市・ナポリ。
ローマのほぼ中心に位置するテルミニ駅に早朝集合、という、イタリアに着いた途端になんとも厳しいスケジュールだが、文句を言う前にとっとと寝てとっとと起きろ、という勢い。とっとと寝て、とっとと起きた(私はね)。
ローマの市内交通は、メトロとバスが主。切符はどちらも共通で、街のあちこちにある「タバッキ」と呼ばれる売店(?)で購入可。とはいっても、何しろ昨夜着いたばかりなので切符を購入する術も無く、ホテルからタクシーで集合場所へ向かうことに。到着早々、リッチな我ら。同室のミキティと共に定刻にロビー到着。タクシーが既に着いているというのに、Qooとまゆげがなかなか現れない。運転手を待たせる間もどんどんメーターが上がっていく。部屋割の問題は今後重要だな、こりゃ。
ようやく降りてきたまゆげとQooをタクシーに押し込んで、いざ出発。さてさて、本日、何事もなく過ぎればよいのだが、と一人祈った瞬間に、いきなり事件発生。「お尻が冷たい!」と叫ぶQoo。「一体何事!?」と訝る我らと、運転手。どうやらQooがペットボトルに詰めていたお茶が漏れて、助手席を濡らしてしまったようだ。「その液体は何だ!?」と怯える運転手。くんくんと匂いを嗅いでいるところを見ると、お漏らししたと思っているらしい。慌てて「アクア(イタリア語で「水」という意味)!」と叫ぶQoo。アクアじゃなくてお茶だろう…と私は突っ込みたかったけど、「なーんだ、アクアならオッケーさ!」という展開になったので、黙っておいた。ホッ。
色々ありつつも、ツアー客をいやっちゅうほど詰め込んだバスで、一路、ポンペイへ。
紀元79年、ヴェスヴィオ山の大噴火で埋没した古代都市がこのポンペイだ。18世紀半ばからの発掘調査で当時の姿が甦ったらしい。埋もれる前は、ローマ帝国の支配下で別荘地、商業地として栄えたため、住宅や商店街に当時の生活が窺えて興味深い。私が世界史を好きになったのは高校時代の世界史教師のおかげだが、当時、彼がものすごくこのポンペイについて熱く語っていて、それ以来来たいと思っていた。
突き抜けるような青空と、案外フツウなヴェスヴィオ山と、コリント式の円柱が立つアポロの神殿。北にはジュピターの神殿。「ううう…感動…。」と言いたいところだが、正直、そこまでの感動は無く。ほえー、よくここまで発掘したなあ、とキョロキョロしている間にツアーはどんどん進行していくので、慌てて後を追う。
特に驚いたことといえば、当時から既に娼婦がいたという確固たる証拠が残っていたこと。というのも、娼婦がこっちにいるよ、という矢印が石畳に彫られていて、その矢印が男性を象徴する例のもの(とても書けません。)の形で、うわー、みたいな。もう一つ驚いたことは、火山に埋もれた人間が石化してそのままの形で残っていたこと。表情がわからないのに、苦しそうな様子が伝わってきた。
お昼はポンペイのレストランで、ムール貝の入ったパスタと、イカをさっと揚げたものを。どうやらこのツアーに参加する日本人は皆ここに連れて来られるらしく、日本人しかいない店内。その後トイレ休憩を兼ねて連れていかれたカメオ(ギリシアから伝わり、イタリアで受け継がれている貝の装飾)工場も、見事に日本人観光客用にアレンジされたお土産屋が併設されており、こういう時、私は意味も無く「ケッ。」という気分になってしまう。ここで何か買ってしまったら思うツボじゃないか、と。我ながら、可愛くないな、とは思うが。
ポンペイから鉄道で約40分ほどの距離にあるナポリは、ギリシア人が紀元前7〜6世紀にネアポリス(=新都市)と名付けて建設された街。情感溢れるナポリ民謡、風光明媚なヴェスヴィオ山に象徴される"南"の情熱と混沌を凝縮した魅力的な港町(らしい)。名高いサンタ・ルチア港(ここにあったのか。。)で「サンタ〜〜ルチ〜ア〜〜♪」と歌ったり、ノルマン人が小島に建てたという卵城をバックに写真を撮ったりしているうちに、あっという間にナポリ観光終了。
お金が有り余っているわけではないので(タクシー乗っちゃったし)、夕飯は、テルミニ駅地下のスーパーマーケットで購入。ポテトコロッケかと思って買ったものが、実はオリーブの揚げものと知り、驚愕。一切手をつけようとしない三人に代わり、一人で全部平らげる羽目になる。
明日は、いよいよ、本命のローマ市内観光だ。
本日は、現地のオプショナル・ツアーに参加。行き先は、火山で埋もれた街・ポンペイと、海洋都市・ナポリ。
ローマのほぼ中心に位置するテルミニ駅に早朝集合、という、イタリアに着いた途端になんとも厳しいスケジュールだが、文句を言う前にとっとと寝てとっとと起きろ、という勢い。とっとと寝て、とっとと起きた(私はね)。
ローマの市内交通は、メトロとバスが主。切符はどちらも共通で、街のあちこちにある「タバッキ」と呼ばれる売店(?)で購入可。とはいっても、何しろ昨夜着いたばかりなので切符を購入する術も無く、ホテルからタクシーで集合場所へ向かうことに。到着早々、リッチな我ら。同室のミキティと共に定刻にロビー到着。タクシーが既に着いているというのに、Qooとまゆげがなかなか現れない。運転手を待たせる間もどんどんメーターが上がっていく。部屋割の問題は今後重要だな、こりゃ。
ようやく降りてきたまゆげとQooをタクシーに押し込んで、いざ出発。さてさて、本日、何事もなく過ぎればよいのだが、と一人祈った瞬間に、いきなり事件発生。「お尻が冷たい!」と叫ぶQoo。「一体何事!?」と訝る我らと、運転手。どうやらQooがペットボトルに詰めていたお茶が漏れて、助手席を濡らしてしまったようだ。「その液体は何だ!?」と怯える運転手。くんくんと匂いを嗅いでいるところを見ると、お漏らししたと思っているらしい。慌てて「アクア(イタリア語で「水」という意味)!」と叫ぶQoo。アクアじゃなくてお茶だろう…と私は突っ込みたかったけど、「なーんだ、アクアならオッケーさ!」という展開になったので、黙っておいた。ホッ。
色々ありつつも、ツアー客をいやっちゅうほど詰め込んだバスで、一路、ポンペイへ。
紀元79年、ヴェスヴィオ山の大噴火で埋没した古代都市がこのポンペイだ。18世紀半ばからの発掘調査で当時の姿が甦ったらしい。埋もれる前は、ローマ帝国の支配下で別荘地、商業地として栄えたため、住宅や商店街に当時の生活が窺えて興味深い。私が世界史を好きになったのは高校時代の世界史教師のおかげだが、当時、彼がものすごくこのポンペイについて熱く語っていて、それ以来来たいと思っていた。
突き抜けるような青空と、案外フツウなヴェスヴィオ山と、コリント式の円柱が立つアポロの神殿。北にはジュピターの神殿。「ううう…感動…。」と言いたいところだが、正直、そこまでの感動は無く。ほえー、よくここまで発掘したなあ、とキョロキョロしている間にツアーはどんどん進行していくので、慌てて後を追う。
特に驚いたことといえば、当時から既に娼婦がいたという確固たる証拠が残っていたこと。というのも、娼婦がこっちにいるよ、という矢印が石畳に彫られていて、その矢印が男性を象徴する例のもの(とても書けません。)の形で、うわー、みたいな。もう一つ驚いたことは、火山に埋もれた人間が石化してそのままの形で残っていたこと。表情がわからないのに、苦しそうな様子が伝わってきた。
お昼はポンペイのレストランで、ムール貝の入ったパスタと、イカをさっと揚げたものを。どうやらこのツアーに参加する日本人は皆ここに連れて来られるらしく、日本人しかいない店内。その後トイレ休憩を兼ねて連れていかれたカメオ(ギリシアから伝わり、イタリアで受け継がれている貝の装飾)工場も、見事に日本人観光客用にアレンジされたお土産屋が併設されており、こういう時、私は意味も無く「ケッ。」という気分になってしまう。ここで何か買ってしまったら思うツボじゃないか、と。我ながら、可愛くないな、とは思うが。
ポンペイから鉄道で約40分ほどの距離にあるナポリは、ギリシア人が紀元前7〜6世紀にネアポリス(=新都市)と名付けて建設された街。情感溢れるナポリ民謡、風光明媚なヴェスヴィオ山に象徴される"南"の情熱と混沌を凝縮した魅力的な港町(らしい)。名高いサンタ・ルチア港(ここにあったのか。。)で「サンタ〜〜ルチ〜ア〜〜♪」と歌ったり、ノルマン人が小島に建てたという卵城をバックに写真を撮ったりしているうちに、あっという間にナポリ観光終了。
お金が有り余っているわけではないので(タクシー乗っちゃったし)、夕飯は、テルミニ駅地下のスーパーマーケットで購入。ポテトコロッケかと思って買ったものが、実はオリーブの揚げものと知り、驚愕。一切手をつけようとしない三人に代わり、一人で全部平らげる羽目になる。
明日は、いよいよ、本命のローマ市内観光だ。
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