赤いViniと、カレと、ヨコハマ
2006年2月26日横浜で(なぜ横浜?)休日出勤だというマイ・ラヴァーを迎えに、京浜東北線に乗る。
外はどしゃぶり。会って早々、「傘を無くした。」とおっしゃる彼のメイン傘をキオスクで購入。何はともあれ、雨宿り場所へ。都内デイトが日常化している私にとって、たとえ雨に濡れても、こんな小さなことすら新鮮で楽しい。
ブレンドコーヒーとバナナパイを満喫しながら、本日のヨコハマ・デイト・プランニング。時間があれば、横浜ワールドポーターズ内の映画館で『ミュンヘン』を観ようといった算段だったが、夕方なのでキャンセル。せっかくハマに来たのだし、中華でも食べていこうか、と、私の2002年度版(古っ!)の情報誌をパラパラ。あまり心惹かれる店が載っていないということもあり、材料はMY情報誌から彼の持ってきていた本へ。音楽から、食、紀行、といったジャンルをカバーする伊丹由宇の著作を見ながら、「このあたりに日本で最初に焼き餃子を出した店があるらしい。」との情報を頼りに、雨脚の弱まった横浜の街へ。
途中のコンビニで地図を確認しながらウロウロした挙げ句、ついに、「日本で最初に焼き餃子を出した店」をハケン!
わーいわーい、と入店。まるで親戚の家に来ているような落ち着く内装。「餃子にはビールでしょ!」というあ・うんの呼吸で中生×2。餃子以外もうまそーだぞどーする、ほんとだねー、中華だと二人はイタイな、ハーフもできるってよ、じゃあちまちまとたくさんの種類を食べる作戦でいくか、最初は冷菜からね、よしっじゃあこの四川省の漬け物ってやつとビールで腹ごしらえだなすみませーん、ってな感じで、漬け物(ザーサイ)→焼き餃子(ほんのり甘くて美味!)→蟹玉(おっ、と思わず止まる味)→豆腐と野菜のスープ(おなかに優しそう)→青島ビール→肉だんご(かつて味わったことのない食感)→鶏チャーハン(ボリューム満点)→再・焼き餃子(やっぱりオイシイ)、という流れ。
舌鼓を打ちながら、先日のイタリア・フランス旅行のおみやげを献上。一つめは、彼が愛してやまない赤ワイン。二つめは、イタリア製のネクタイ。最後は、見つけた瞬間に「これはあげなきゃ!」と決めたヨーロッパの古地図。地図を広げながら「あっ、コレ、おもしろい、おもしろい。」と言う様を見て、色々買ってきてよかった、と満足。
帰宅後。
私が撮ってきたデジカメの映像をスライドショーで流しつつ、おみやげのワインをぐいー。スイスイいけちゃう軽い口当たり。飲み始めた頃はワイン(特に赤)なんてどれも同じに思えたけど、少しずつ、「これは軽いな。」という位の違いならわかるようになってきた。
音楽と食べ物は場とセットで味わう、とはいうけれど。上流の皆様がオホホと言いながら飲み交わす秘蔵のワインならともかく、現地で水代わりに飲まれているハウスワインなら、散らかった部屋でちょっとお行儀悪い姿勢で飲んでもきっとオイシイ。ワインでも、ビールでも、何でもそうだけど、一人で飲むより二人で飲む方がオイシイと思える理由に、自分の舌で味わいながらまるで同じ物を味わう自分を投影したような相手が目の前にいる、ということが挙げられると思う。舌で味わい、目で味わう。美味しいものを食べるのはもちろん好きだけど、それだけじゃ私は不満足で、美味しそうに食べてくれる人と一緒に美味しいものを食べたいと思う。今回の旅行で学んだことだ。
一枚、「すごくイイネ!!」とお褒めにあずかる写真があり、どこがどのように良いのかという批評を受ける。論を聞いているうちに、なんか、自分がものすごい偉業を達成したような気分になり、「アンリ・カルティエ=ブレッソン(←「決定的瞬間」の巨匠らしい)が撮ったと言われても、コレなら、俺は納得する!」という一言で、デジカメも何も持っていないのに「これから少し写真に凝ってみよう。」と決める単純な私。
帰国してもしばらくは実感が湧かなかったけど、「ああ。帰ってきたんだなあ。」と、帰国五日目にしてようやく感じられる瞬間が何度もあった日曜の夜。
外はどしゃぶり。会って早々、「傘を無くした。」とおっしゃる彼のメイン傘をキオスクで購入。何はともあれ、雨宿り場所へ。都内デイトが日常化している私にとって、たとえ雨に濡れても、こんな小さなことすら新鮮で楽しい。
ブレンドコーヒーとバナナパイを満喫しながら、本日のヨコハマ・デイト・プランニング。時間があれば、横浜ワールドポーターズ内の映画館で『ミュンヘン』を観ようといった算段だったが、夕方なのでキャンセル。せっかくハマに来たのだし、中華でも食べていこうか、と、私の2002年度版(古っ!)の情報誌をパラパラ。あまり心惹かれる店が載っていないということもあり、材料はMY情報誌から彼の持ってきていた本へ。音楽から、食、紀行、といったジャンルをカバーする伊丹由宇の著作を見ながら、「このあたりに日本で最初に焼き餃子を出した店があるらしい。」との情報を頼りに、雨脚の弱まった横浜の街へ。
途中のコンビニで地図を確認しながらウロウロした挙げ句、ついに、「日本で最初に焼き餃子を出した店」をハケン!
わーいわーい、と入店。まるで親戚の家に来ているような落ち着く内装。「餃子にはビールでしょ!」というあ・うんの呼吸で中生×2。餃子以外もうまそーだぞどーする、ほんとだねー、中華だと二人はイタイな、ハーフもできるってよ、じゃあちまちまとたくさんの種類を食べる作戦でいくか、最初は冷菜からね、よしっじゃあこの四川省の漬け物ってやつとビールで腹ごしらえだなすみませーん、ってな感じで、漬け物(ザーサイ)→焼き餃子(ほんのり甘くて美味!)→蟹玉(おっ、と思わず止まる味)→豆腐と野菜のスープ(おなかに優しそう)→青島ビール→肉だんご(かつて味わったことのない食感)→鶏チャーハン(ボリューム満点)→再・焼き餃子(やっぱりオイシイ)、という流れ。
舌鼓を打ちながら、先日のイタリア・フランス旅行のおみやげを献上。一つめは、彼が愛してやまない赤ワイン。二つめは、イタリア製のネクタイ。最後は、見つけた瞬間に「これはあげなきゃ!」と決めたヨーロッパの古地図。地図を広げながら「あっ、コレ、おもしろい、おもしろい。」と言う様を見て、色々買ってきてよかった、と満足。
帰宅後。
私が撮ってきたデジカメの映像をスライドショーで流しつつ、おみやげのワインをぐいー。スイスイいけちゃう軽い口当たり。飲み始めた頃はワイン(特に赤)なんてどれも同じに思えたけど、少しずつ、「これは軽いな。」という位の違いならわかるようになってきた。
音楽と食べ物は場とセットで味わう、とはいうけれど。上流の皆様がオホホと言いながら飲み交わす秘蔵のワインならともかく、現地で水代わりに飲まれているハウスワインなら、散らかった部屋でちょっとお行儀悪い姿勢で飲んでもきっとオイシイ。ワインでも、ビールでも、何でもそうだけど、一人で飲むより二人で飲む方がオイシイと思える理由に、自分の舌で味わいながらまるで同じ物を味わう自分を投影したような相手が目の前にいる、ということが挙げられると思う。舌で味わい、目で味わう。美味しいものを食べるのはもちろん好きだけど、それだけじゃ私は不満足で、美味しそうに食べてくれる人と一緒に美味しいものを食べたいと思う。今回の旅行で学んだことだ。
一枚、「すごくイイネ!!」とお褒めにあずかる写真があり、どこがどのように良いのかという批評を受ける。論を聞いているうちに、なんか、自分がものすごい偉業を達成したような気分になり、「アンリ・カルティエ=ブレッソン(←「決定的瞬間」の巨匠らしい)が撮ったと言われても、コレなら、俺は納得する!」という一言で、デジカメも何も持っていないのに「これから少し写真に凝ってみよう。」と決める単純な私。
帰国してもしばらくは実感が湧かなかったけど、「ああ。帰ってきたんだなあ。」と、帰国五日目にしてようやく感じられる瞬間が何度もあった日曜の夜。
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