再定義

2006年2月27日
スピッツ(携帯アラーム)を聴きながら目覚める月曜日。

「目覚め」は「起床」と違う。いつまでもぐずぐずしているのは、一人でも二人でも同じ。誰でもそうだとは思うが、私は寝覚めのこのひとときをとても愛している。一人のときは、もう少し惰眠を貪っていたいという純粋な睡眠欲に従う。二人のときは、「私の方が身支度に時間がかかるからなあ…。」という使命感に駆られるが、後ろ髪引かれることには変わりない。もう少し寝たいというものとはちと違う思いからだが、ま、ソレはソレとしてget up。

朦朧とした頭で洗面所にたどり着くのは、なかなか大変。というのも、ベッドから一歩足を降ろした瞬間、罠のように散らばっている雑誌の表紙を踏んで転倒する危険がある。灰皿代わりの空き缶に蹴つまづけば、中の吸い殻がこぼれて大惨事になるだろう。物と物の隙間を浮き石を渡るように慎重に移動。踏んではいけない。何しろ、一見したところすべて捨てて平気なもののように見えるのだが、一つ一つ検証すると商売道具だったり資料だったり、という可能性もなくはないのだから。朝からスリル満点。

しゃこしゃこと歯を磨きながら、お湯なぞ沸かす。

鼻歌まじりに流しを片付けていたら、足をうっかりキッチン周りの本(だかなんだかもはやよくわからないけど、なんだろう、色々溜まってる何か)の山にぶつけてしまい、絶妙な安定を保っていたそれが倒れそうになる。あわわわわわわわわっ、はしっ!(←手で押さえた音。)崩れて大きな音がしたら寝ている家主にバレてしまうので、ここでもスリル満点の時間を味わう。この家はジェンガか。

身支度を終え、コーヒーを淹れて、起きて起きて、と居間に戻る。アラームはもう3回は鳴っている(スヌーズ)。「じゃあ、あと3分で、本当に起きる…。だから、3分後に目覚ましをセットする。えーと、今は8分だから、11分に…。では、しばし、おやすみ…。」とのたまう。それだけの精密な作業をした上でなお欲す3分に、貴男は何を求める?

動き始めた街の気配を感じられる部屋の中で。

ごくごく一般論として。人のささやかな親切になかなか気づかない上に、いざ自分が動くときはこれみよがしな行為をしがちな女がいる。そして、これみよがしは良くないと少しだけ理解して実践できるようになっても、ささやかたるそれに気づいてほしいと思う。そして、人の「気づいているよ。」というリアクションを待っている自分にハタと気づく。そういうとき、その女は、謙虚さというものが本来は自分勝手な傲慢さに裏付けられている、というある人の語り口を思い出す。謙虚さを差し出しておいて実は何かを得ようとするその姿勢を、どうにかして自分の中から追い出したいと願うとき、女は、大学生活を捧げて端っこ位は理解できたのでは、と思いこんでいた「愛」の再定義をしたくなる。

自分の何もかもをさらけ出して、良いところも悪いところもひっくるめて好きだと思ってもらうことこそ尊い、むしろ親しい間柄だからこそ悪いところを見せるべきだとさえ、その女は思っていた。悪いところを少しでも見つけた瞬間に興ざめする人はどうかと思うが、その悪いところだって「さあ、見ろ!」とばかりに突き出されるのと、「隠そうとしたけど隠しきれなかった…。」という部分だけにとどまるのとじゃ、性質が違う。いつだって能動的な姿勢からは生まれないものがある。やむをえず出てしまう排泄物のような「悪いところ」を受けとめてもらえるなら、という、受動的な状態を維持すること。愛し愛されるとは、そういうことなのかな。「愛」とは、何かをがむしゃらに得ようとする「プロセス」ではなく、後から名前をつけたらたまたま愛になっていた、という位に静かな「結果」なのかもしれない。

3分後に悲しそうな顔をしつつ起き出した男性を、インスタントコーヒーをすすりながら観察。本日はお勤めの日。のそのそ、バタン、バシャバシャ、という音を立てた数分の後、クリーニング済みの清潔なYシャツと、月曜っぽい(?)明るめのネクタイを締めれば、さっきまでとは別人になるのだから、驚きだ。「デキそうなサラリーマン」はよく見るけど、信頼できそうなものにさえ表と裏はある、という真理を教えられたような。人のことは言えないが。

出社する彼と最寄り駅で別れて。

皆がのぼりきった時間にくだる方面の電車に乗りながら、60×60×24×7の計算を。604800秒を1秒ずつにバラすための有意義な過ごし方を考えつつ、ゴトゴトと帰宅。

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