今夜も相殺

2006年3月3日
パワー不足の金曜日(←毎週のこと)。

バイト先にて。長蛇の列。増える万券。ピークタイムに対応できずキレだす店長。キレてどーする、アナタの店じゃ。「のーみそ、バーーーン!」と叫びながらテケテンテンテン…と逃げ出したくなるような状況を、まさにギリギリのラインで乗り越え、昼過ぎに退勤。トイレで鏡を確認したら、なんと、髪にホイップクリーム。ほっぺたにはチョコレートソース。私、美味しそう。誰か召しませ。どうしてみんな注意してくれないのだ。

携帯の機種変更に伴い、メールアドレスもリニューアル。

というわけで、行き帰りの電車の中で「メアド変えましたメール」を打ちまくり。数年ぶりに連絡をとる友人も多くいて、「久しぶり!」と返ってくるだけで嬉しい。節目にメアドを変えるのは悪くない。「グループ/地元」の衆は皆働いており、社会人は大変だ、辛い、ううう、という脅しを四方八方から受ける。3月中に会っておきたい友人がかなりいることが判明。最後の一ヶ月は忙しくなりそうだ。存分に脅されてこよう。

帰宅後。

やや(かなり?)アルコールが入った方から give me a call at midnight.

ハードワークゆえ脳みそが凝固しちゃったらしい彼の話を、そっかー、そっかー、と聞きながら、「優しさ」について考えてみる午前二時。

この世には「優しい人」と「優しくない人」の二種類がいると思っていた頃、私は、自分の優しくない部分を発見するたびに「優しくない人」と思われるのが嫌だった。最近思うのは、そんなにシンプルな話じゃなかったんだなあ、ということ。私は優しさ100%で出来ているわけではないし、同時に、冷たさ100%で出来ているわけでもない。

そして、私の中の優しい部分が多く顔を出すとき。それは私の努力の問題というより、「人を優しくさせる才能のある人」の存在が大きい。「優しさ」は能動的な行為から生まれるときもあるけど、むしろ、「人を優しくさせる才能のある人」が勝手に引き出してくれるものなのかもしれない。「人を優しくさせる才能のある人」は(たぶん)いつも誰かの優しさを浴びているから、ますます健やかになって、周りの人をさらに優しくする核のような存在になる。

「やってられねーぜ!」という状況が誰にも等しくあるとするなら、その感情自体が発生することは悪くない(と、思う)。人よりハードな労働をする人は、その分「やってられねーぜ!」の感情も大きくなるのだと思うけど、同じだけのハッピーパワーで相殺すれば、結局、ゼロになる。たとえば、私の金曜日がどれだけブルーなものであっても、深夜にたった一本電話があるだけで、嫌なことは全部吹っ飛ぶように。相殺が困難な「やってられねーぜ!」感情をいつでもぶっとばせるようなハッピーパワーは、私の体内で製造できるpossibilityを果たして秘めているのかな。そのハッピーパワー製造の原理を考えているうちに、私は、限られた資源からより良いものを造り出そうとするこの行為が、いつか持ちたいと思う「慈愛」へのとっかかりになれば良いのに、と思った。

さてさて、島谷ひとみベスト(『Delicious!』)でも聴きながら、寝るとしよう。

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その他雑感。

●逃れ難いミクシィの魔の手。
今週に入ってから10回は誘われている。大抵は「うふふ。」とかわす。そこそこ親しい人なら「ブログを既に持ってるので。」と断ることにしている。新規にコミュニティを作るからやろうよ、ここ(DiaryNote)と繋げればいいじゃん、と言われる。今日もバイト先で言われた。

こんなノロケ日記をそう易々と公開できるか!!

と思ったけど言わなかった。かといってミクシィ内で新たに日記を持つ、というのも面倒くさい。こっちの当たり障りない部分だけをコピー&ペースト、というのも考えたけど、DiaryNoteには愛着があるし、本妻がいるのに愛人を囲うようで気分が優れない。

ノロケをやめるのが一番早いのでは? 

という気がしてきた。


●小嶋社長(byヒューザー)の地下鉄スキャンダルに関して。
新聞・TVニュース・社会派ブログなど、どんなメディアに触れても滅多なことでは熱くならない私だが、このスクープを聞いた時はさすがに腰がくだけた。現在置かれている社会的立場がどうの、というより、イイ歳(52)してどうしちゃったの、という気持ちが強い。

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