ラストバイト二連勤・一日目。ふう。
明日も入っているとはいえ、今日を限りに会わなくなる人もチラホラ。「またお店に来てね。」と言われると、「うん、また来るよ。」と言ってしまう。もちろんいつでも立ち寄るつもりだが。二年間、「うん、また来るよ。」と言われたきり二度と会えなかった先輩や同期や後輩が何人いただろうか、とカウントしながらアイスコーヒーを飲む。
お店にいる間は何杯かドリンクを飲む。何を飲んでも構わない。働いてカラカラになった喉を潤したいから、私は、大抵、アイスコーヒーやアイスティーを飲む。砂糖もミルクも入れずに一気に飲む。働いた後は一日の反省をノートに記入する。朝一で働いているので、勤務が終わるととっとと帰る(眠いの)。一度も「飲み会」に参加しなかった。飲み会は(当たり前だが)夜に開催されるので、次の日の早朝シフトインを考えると気乗りしなかった私。後輩たちの目には「クールな人」と映っていたらしい。人には各コミュニティ用の顔があるものだ。
怒ったり、怒られたり、陰口を叩いたり(たまには、ね。たまには。)、叩かれたり(?)、必ずしもイイ人たちばかりだとは言えなかったけど、「今こそ別れ目」と思うと、全員イイ人たちだったような気がするから不思議だ。いつもと同じようにミルクをスチームして、いつもと同じようにコーヒーを注いで、すべてがいつもと同じなのに何かが違ってて、退勤間際になってようやく、このモヤモヤした感情が「寂しい」を表すものだとわかった。
四苦八苦のひとつに、『愛別離苦』(家族や愛する人と別れる苦しみ)というものがあるそうで。
そこまで親しくなかった人でも、二度と会えなくなる(たぶん。世の中、そういうものらしい。)と思うと寂しい、苦しい、せつない。私が心の底から辛い『愛別離苦』を知ったのは二十歳を過ぎてからだけど、本当に親しい人と別れるときの辛さはこんなもんじゃないんだよな、ということに半年ぶりに気付いてみた。死にたくなるほど別れが辛いということは、逆に、死にたくなるほど楽しくて幸せで忘れられない時間があった証拠で。
「今、幸せですか?」と問われたら迷うことなく「幸せです!」と答えられるような人生にしたい。そう思いながら常に努力しているが。念願叶って得た幸せな人生の末路にあるのは、幸せな時間を共に過ごした人たちとのどうしようもなく辛い別れなんだよなあ、と。ネガティブな意味でもポジティブな意味でもなく、ただ静かで動かし難いニュートラルな事実として。
出会うはずのなかった人と出会って幸せだと思っていたけど、その幸せがこれ以上膨らめば膨らむほど、どんな形で訪れるかわからない(本当にわからない。生き別れになるのか、死別するのか、すべての人たちとの関係が未知だ。)愛別離苦も大きくなるはずの私の人生だ。恐ろしいことに、どんな形であれ、確実にあと数百回の別れが未来にある。
そこんところをちゃんとわかった上で。
別れが辛いからといって、幸せを貪欲に味わうのを拒否するつもりはない。むしろ誰よりも辛い別れ、歓迎(っていう言い方も変だけど笑)。笑いながらそう言い切れるほどの覚悟が無いと幸せになる資格も得られないと思うし、生まれて初めての愛別離苦に教わったことでもある。
さぁて、明日もちょこまかと働こう。
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その他、徒然なるままに。
●車庫入れの達人への道。
母と車で外出。レストランの駐車場、左右に車があっても無くても、なるべく一発を狙う。二発になると悔しい。もっと頻繁に駐車しないと駄目だ。というわけで、無駄にコンビニ等に駐まってみたり。誰かコツを教えて。
●プチ不満。
母(運転免許なし)とゴハンを食べに行くと、必ず私が運転しなきゃならないので困る。酒が飲めないじゃないか。(←父の苦労を垣間見た。)
●ニキビは気合いで治ることが判明。
●「バス・ピロー」(ホワイト、ハート型、プリティ。)なるものをゲット。早速使う。いいんだか悪いんだかよくわからないけど、楽と言われれば楽な気もする。
明日も入っているとはいえ、今日を限りに会わなくなる人もチラホラ。「またお店に来てね。」と言われると、「うん、また来るよ。」と言ってしまう。もちろんいつでも立ち寄るつもりだが。二年間、「うん、また来るよ。」と言われたきり二度と会えなかった先輩や同期や後輩が何人いただろうか、とカウントしながらアイスコーヒーを飲む。
お店にいる間は何杯かドリンクを飲む。何を飲んでも構わない。働いてカラカラになった喉を潤したいから、私は、大抵、アイスコーヒーやアイスティーを飲む。砂糖もミルクも入れずに一気に飲む。働いた後は一日の反省をノートに記入する。朝一で働いているので、勤務が終わるととっとと帰る(眠いの)。一度も「飲み会」に参加しなかった。飲み会は(当たり前だが)夜に開催されるので、次の日の早朝シフトインを考えると気乗りしなかった私。後輩たちの目には「クールな人」と映っていたらしい。人には各コミュニティ用の顔があるものだ。
怒ったり、怒られたり、陰口を叩いたり(たまには、ね。たまには。)、叩かれたり(?)、必ずしもイイ人たちばかりだとは言えなかったけど、「今こそ別れ目」と思うと、全員イイ人たちだったような気がするから不思議だ。いつもと同じようにミルクをスチームして、いつもと同じようにコーヒーを注いで、すべてがいつもと同じなのに何かが違ってて、退勤間際になってようやく、このモヤモヤした感情が「寂しい」を表すものだとわかった。
四苦八苦のひとつに、『愛別離苦』(家族や愛する人と別れる苦しみ)というものがあるそうで。
そこまで親しくなかった人でも、二度と会えなくなる(たぶん。世の中、そういうものらしい。)と思うと寂しい、苦しい、せつない。私が心の底から辛い『愛別離苦』を知ったのは二十歳を過ぎてからだけど、本当に親しい人と別れるときの辛さはこんなもんじゃないんだよな、ということに半年ぶりに気付いてみた。死にたくなるほど別れが辛いということは、逆に、死にたくなるほど楽しくて幸せで忘れられない時間があった証拠で。
「今、幸せですか?」と問われたら迷うことなく「幸せです!」と答えられるような人生にしたい。そう思いながら常に努力しているが。念願叶って得た幸せな人生の末路にあるのは、幸せな時間を共に過ごした人たちとのどうしようもなく辛い別れなんだよなあ、と。ネガティブな意味でもポジティブな意味でもなく、ただ静かで動かし難いニュートラルな事実として。
出会うはずのなかった人と出会って幸せだと思っていたけど、その幸せがこれ以上膨らめば膨らむほど、どんな形で訪れるかわからない(本当にわからない。生き別れになるのか、死別するのか、すべての人たちとの関係が未知だ。)愛別離苦も大きくなるはずの私の人生だ。恐ろしいことに、どんな形であれ、確実にあと数百回の別れが未来にある。
そこんところをちゃんとわかった上で。
別れが辛いからといって、幸せを貪欲に味わうのを拒否するつもりはない。むしろ誰よりも辛い別れ、歓迎(っていう言い方も変だけど笑)。笑いながらそう言い切れるほどの覚悟が無いと幸せになる資格も得られないと思うし、生まれて初めての愛別離苦に教わったことでもある。
さぁて、明日もちょこまかと働こう。
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その他、徒然なるままに。
●車庫入れの達人への道。
母と車で外出。レストランの駐車場、左右に車があっても無くても、なるべく一発を狙う。二発になると悔しい。もっと頻繁に駐車しないと駄目だ。というわけで、無駄にコンビニ等に駐まってみたり。誰かコツを教えて。
●プチ不満。
母(運転免許なし)とゴハンを食べに行くと、必ず私が運転しなきゃならないので困る。酒が飲めないじゃないか。(←父の苦労を垣間見た。)
●ニキビは気合いで治ることが判明。
●「バス・ピロー」(ホワイト、ハート型、プリティ。)なるものをゲット。早速使う。いいんだか悪いんだかよくわからないけど、楽と言われれば楽な気もする。
コメント
しかしながら
文字で説明することの難しいこと・・・(泣)
うーん??なんかわかりやすく教えられないかなー?
こんにちは!さ、さすがです。
うーん、やっぱり文字じゃムリですかね。じゃあ、いつか、助手席に乗って個人レクチャーしてください(笑)。
でも車庫入れが妙にウマイ女ってのも、あんま可愛くないですかねぇ。
喜んで助手席乗ります!(爆)
車庫入れ上手ちゃん、可愛いじゃないですか!オッケー!!
というわけで
解りやすく写真?にて日記に載せてみたんで見てやってください。ではでは