決壊
2006年3月15日高校時代の友人Cと、映画『サイレン』を観る
…はずだったんだけど、直前になって中止。映画館の真下にあったスタバで「本日のコーヒー」と「コーヒー&チョコレートパウンド」を食しながら、久しぶりの真剣talk。
原因は、Cの遅刻。
遅刻の理由を聞いてみると、Cにはどうしようもできなかったことらしい。Cは社会人ではないけど、お金を貰って引き受けている仕事があり。お金を貰うということは当然、「責任」が発生するということで、その責任を果たすためにのっぴきならない事情も増える。その「責任」を知らないままに相手をなじる、私は(Cに対してだけじゃなく)それだけはするまい、と自身を戒めていた。
遅刻は悪い。約束は果たすべきだ。それはたしかに正しいこと。正しいことを指摘するのは私の得意技だ。それでもCは、「りんはいつもものすごく正しいんだけど、たとえば、一緒にいる誰かがミスしたときに、それを指摘して叱責するんじゃなくて、さりげなくフォローするっていうのも考えてみてほしい。」と言った。「私は、どちらかというと、さりげなくフォローしたり、笑って許せたりする方が大人の余裕があって良いと思う。」と言った。数年ぶりに、ガツン、と頭を打たれた。Cに言われるまでもなく、ここ何ヶ月かの間、ずーっと考え続けてたこと。気をつけてたこと。それでもこうして言われて気づいたことがある。
できない我慢なら、最初からしない方がいい。
自分が「誰か」より楽な立場にいても、それは喜ぶべきことじゃない。なぜなら、その分、「誰か」の置かれた大変な状況を想像しなきゃならないから。おヒマな学生は誰よりも自由で、且つ、誰よりも不自由だ。有り余る時間を持つ私は、タイトな時間の中で生きる「誰か」を常に思い遣る必要がある。時間と引き替えに支払っているのは、枯渇しそうな想像力に常に薪をくべるためのパワーでは?
そして、その想像力をギリギリまで働かせていても、結局決壊して相手をなじる羽目になるのなら、最初から優しいフリをすべきじゃない。貫徹できない優しさは「優しさ」じゃない。自己満足(「自分って優しいなあ!」という)の上に見栄えだけ良くしようと優しさ(チックなもの)をコーティングしたニセモノに過ぎない。
以上は、本日、Cとの対話で学んだこと。
以下は、私の意見。
時間に遅れない人は、本当に、何事もなくその場にたどり着いているのかな?そうじゃない。有り余る時間を持てあましている人にも、人に言うほどではない何かがあって、それを本当に秘密裏に処理した上で時間を守る。人に言うほどではない何かとは、家のこと、ものすごく個人的なこと、その他。私はそれに「仕事」も加えられたらいいな、と願う。
そうはいっても、遅刻はする。
のっぴきならない事情で遅れるのを笑って許してもらうために、のっぴきならない事情じゃないときはせめて誠実に、キッチリと、いつでも時間通りに現れる人でいたいなーと私は思うよ、C。そしてもう少し優しくなるよ。今日はごめん。
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備忘と雑感。
●エビのチリソース煮。
えびを下処理して、片栗粉と塩でよく揉む。水を加えてさらに揉む。流水でよくすすぎ、水気を拭いた後、塩少々、白こしょう、老酒で下味をつける。卵白を加えてコシが無くなるまでよく混ぜる。白っぽくなって全体にからんだら、片栗粉→サラダ油の順に入れ均一に。
↓
あらかじめサラダ油(やや多め)をひいて熱したフライパンに、えびを下味ごと入れ、両面に火を通す。八割方火が通ったら、網付きバットの上で油をきる。
↓
そのフライパンの粗熱を取り、サラダ油をひく。調味料(おろしにんにく、おろししょうが、タマネギ、豆板醤、トマトケチャップ)を火にかけ、焦がさないように中火で。さらに調味料(水、鶏ガラスープの素、老酒、砂糖、塩、白こしょう)を加え、一煮立ち。えびとみじんぎりにした白ネギを加え加熱→水溶き片栗粉でとろみをつける。お好みでサラダ油&酢を混ぜ入れ、味を整える。ふう。
●決定事項。
我が家では二度と辛い料理を作るまい。
●ついに。
地元に本屋が一軒も無くなった。誰に怒っていいのかわからん。
●やはり(笑)。
某有名四大を卒業するために必要な学力と、女心を推し量る能力は、必ずしも比例しない。
…はずだったんだけど、直前になって中止。映画館の真下にあったスタバで「本日のコーヒー」と「コーヒー&チョコレートパウンド」を食しながら、久しぶりの真剣talk。
原因は、Cの遅刻。
遅刻の理由を聞いてみると、Cにはどうしようもできなかったことらしい。Cは社会人ではないけど、お金を貰って引き受けている仕事があり。お金を貰うということは当然、「責任」が発生するということで、その責任を果たすためにのっぴきならない事情も増える。その「責任」を知らないままに相手をなじる、私は(Cに対してだけじゃなく)それだけはするまい、と自身を戒めていた。
遅刻は悪い。約束は果たすべきだ。それはたしかに正しいこと。正しいことを指摘するのは私の得意技だ。それでもCは、「りんはいつもものすごく正しいんだけど、たとえば、一緒にいる誰かがミスしたときに、それを指摘して叱責するんじゃなくて、さりげなくフォローするっていうのも考えてみてほしい。」と言った。「私は、どちらかというと、さりげなくフォローしたり、笑って許せたりする方が大人の余裕があって良いと思う。」と言った。数年ぶりに、ガツン、と頭を打たれた。Cに言われるまでもなく、ここ何ヶ月かの間、ずーっと考え続けてたこと。気をつけてたこと。それでもこうして言われて気づいたことがある。
できない我慢なら、最初からしない方がいい。
自分が「誰か」より楽な立場にいても、それは喜ぶべきことじゃない。なぜなら、その分、「誰か」の置かれた大変な状況を想像しなきゃならないから。おヒマな学生は誰よりも自由で、且つ、誰よりも不自由だ。有り余る時間を持つ私は、タイトな時間の中で生きる「誰か」を常に思い遣る必要がある。時間と引き替えに支払っているのは、枯渇しそうな想像力に常に薪をくべるためのパワーでは?
そして、その想像力をギリギリまで働かせていても、結局決壊して相手をなじる羽目になるのなら、最初から優しいフリをすべきじゃない。貫徹できない優しさは「優しさ」じゃない。自己満足(「自分って優しいなあ!」という)の上に見栄えだけ良くしようと優しさ(チックなもの)をコーティングしたニセモノに過ぎない。
以上は、本日、Cとの対話で学んだこと。
以下は、私の意見。
時間に遅れない人は、本当に、何事もなくその場にたどり着いているのかな?そうじゃない。有り余る時間を持てあましている人にも、人に言うほどではない何かがあって、それを本当に秘密裏に処理した上で時間を守る。人に言うほどではない何かとは、家のこと、ものすごく個人的なこと、その他。私はそれに「仕事」も加えられたらいいな、と願う。
そうはいっても、遅刻はする。
のっぴきならない事情で遅れるのを笑って許してもらうために、のっぴきならない事情じゃないときはせめて誠実に、キッチリと、いつでも時間通りに現れる人でいたいなーと私は思うよ、C。そしてもう少し優しくなるよ。今日はごめん。
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備忘と雑感。
●エビのチリソース煮。
えびを下処理して、片栗粉と塩でよく揉む。水を加えてさらに揉む。流水でよくすすぎ、水気を拭いた後、塩少々、白こしょう、老酒で下味をつける。卵白を加えてコシが無くなるまでよく混ぜる。白っぽくなって全体にからんだら、片栗粉→サラダ油の順に入れ均一に。
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あらかじめサラダ油(やや多め)をひいて熱したフライパンに、えびを下味ごと入れ、両面に火を通す。八割方火が通ったら、網付きバットの上で油をきる。
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そのフライパンの粗熱を取り、サラダ油をひく。調味料(おろしにんにく、おろししょうが、タマネギ、豆板醤、トマトケチャップ)を火にかけ、焦がさないように中火で。さらに調味料(水、鶏ガラスープの素、老酒、砂糖、塩、白こしょう)を加え、一煮立ち。えびとみじんぎりにした白ネギを加え加熱→水溶き片栗粉でとろみをつける。お好みでサラダ油&酢を混ぜ入れ、味を整える。ふう。
●決定事項。
我が家では二度と辛い料理を作るまい。
●ついに。
地元に本屋が一軒も無くなった。誰に怒っていいのかわからん。
●やはり(笑)。
某有名四大を卒業するために必要な学力と、女心を推し量る能力は、必ずしも比例しない。
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