あるカップルのなんでもない日常の記録。

午前起床の後、洗濯機を回すマイ・ラヴァーと、昨夜に引き続き台所を片付ける私。人ではない何か(本とかCDとか)が溢れる廊下を通る際は、「ちょっと退いて。」と断らないと通れない。『二人では狭すぎる』というタイトルの小説になりそうだな、と、本が溢れる部屋で暮らす片付けない男と、本はあまり読まないけど書くことと掃除が好きな女の話の構想を、ぼんやりと練ってみた。

もう何回も一緒に過ごせない(と思われる)週末は、近所でフレンチのコースを。オードブルに、私は鴨肉のパテを。彼は鰤のカルパッチョを。メインに、私は半生サーモンのフルーツソース添えを、彼は牛ホホ肉の香草パン粉焼きを。

ワイングラスで水を飲みながら、村上春樹の小説を思い出す。

あの人の小説に出てくる男女の会話が好きだ。特に食事をしながらの。村上氏に書かせると、ただ焼いただけの肉も魚も香りが漂ってきそうな程美味しそうに感じられるし、こんな台詞を聞きながら食事ができたらと思わせるような言動を男がする。村上さんに今日の私たちのランチタイムを材料として与えたら、どんな会話を取り出して料理するかな。材料にすらならないとは誰にも言ってほしくない有意義な時間を過ごした後、一度家に帰って映画の時間を調べ、すすぎが終わった洗濯物を干して、渋谷へ。

パルコブックセンター渋谷店にて物色後、雨に降られる。

本屋には本しか無いし、渋谷には人しかいない。「自分はこの人を好きなのか?」と悩みながら街を歩いたことが随分昔にある。そう悩む時点で、たぶん、好きじゃなかった。本しか無くても、人しかいなくても、雨が降っても、風が吹いても、会話はやまない。某男性にかかれば本屋には宇宙ができるし、渋谷には人がいなくなる。

今日こそ映画『ミュンヘン』を観ようと、再び電車に乗って新宿へ。

公開されてしばらく経つせいか、午後遅い回のみ上映。とりあえず最終回の券を押さえ、時間までお茶でもしようか、という話に。目の前にロッテリアがあるのにまったく見えていないのかそうでないのか、社会人と学生の感覚の違いに戸惑いつつも口には出さず。「こっち、こっち。」と先を行くマイ・ラヴァーの隣に並ぼうとして、事件発生。

パンプスのヒールが石畳にはまった!

片足ピョンピョン状態になった私と、引き返して靴を引っこ抜く彼。女性ならわかると思うが、この瞬間は結構痛い。ジンジンする右足を靴に収め、何事も無かったように歩き出す。すぐに忘れてお茶の場所を探すも、私はこっそり思ったことがある。

少し前のことだけど、それまでそこそこ順調に歩いていた私が足をとられたとき、いつの間にかそばにいたマイ・ラヴァーが私の足を気遣ってくれた。つまずいた瞬間に突然現れたわけではなく、私がエイエイと歩く様子を見ていて、ああ、危ないな、と思ってたのだと思う。それでも手を貸さず、遠くからただ私を見ていた。ロマンチックな出会い方をしたとは思ってるけど、それはそれとして、傷んだ足も元に戻ったし、これからやらねばいかんことが多分あって。

少し話はズレるが、私は開き直っていたのだと思う。繊細な物腰が身に付いた誰かを見ても、そういう人は努力しなくても素敵なレディになれるからいいわね、と、頑張ることを少しばかり放棄していた。ハンデを背負った(元々の性質が粗野な)自分は人より努力する必要があって、だから可哀相だと。徐々にわかってきたのは、繊細な動きや思考をする誰もが些細な努力を常にしてるってこと。可哀相じゃない人なんて元々いないってこと。

それとこれとがどうして結びつくかは省く。とにもかくにも、私は洗練されたレディになろうと決意したし、そうすることが、いつか過去の私のようにつまずくかもしれない彼を助けることに繋がるのではないか、という気が今はしている。ま、彼がパンプスを履くことはないと思うけど(笑)、あくまで象徴的な意味で。

映画鑑賞後、バイバイと手を振りながら、「あー、次会うときはもう学生じゃないんだなあ。」と気付く。小田急線との連絡口に向かって歩いていく彼を後ろから眺めながら、西と東と別々の方面に向かいつつも、ぐるっと回ってたまにすれ違って「あら、いたの?」「おお、いたよ。」「頑張ってね。」「そっちもね。」と言い合えるような、「恋人同士」であり「社会人同士」でいたいな、と思った。これも象徴的な意味で。

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映画の備忘。

●スティーヴン・スピルバーグ監督の『ミュンヘン』(2006年)

とても丁寧に作られた映画だな、という印象。

世代的に「ミュンヘン事件」を知らないし、史実に関する知識も少ない。色々思ったことはあるのだが、観終わってから口にしようとしてもなかなか出てこなくなる、そんな圧力を秘めた作品。「平和」や「人種」といったキーワードを使うと通り一遍のことしか言えないので、あくまでも私個人の備忘として記す。

テロに関与したパレスチナゲリラたちが次々と殺される(報復、という名目で)シーンにて。

事件後の今日、殺される彼らにも大切な人や家族がいて、そこ(大切な人が死ぬ、という事実)だけ取り出せば悲劇以外の何物でもない、と、私にとって大切な人の隣で観たせいもあるやもしれんが、そんな風に思った。醜い感情(憎い、許せない、ムカつく、殺してやりたい、等の)がまったく無い世界、イコール、愛に満ちた世界じゃない。美しい感情(好き、大切だ、守りたい、等の)と醜い感情は常に同じ量だけ存在するからややこしい、ということを改めて理解。ベッドシーンと惨殺の記憶をかぶせたのも、そういう意味を込めたかったからじゃないかな。

なんしか、スゴイ作品だ。

コメント

初夏
初夏
2006年3月19日19:54

ヒールがはさまって、それを彼が引っこ抜いてくれる。

↑最高の胸キュンです(´ω`*)♪
こういう人と付き合いたい。

りん
りん
2006年3月21日23:23

>初夏ちゃん
まあ。うちの彼が聞いたらきっと喜びます。

人のノロケ日記は読む気がしないという最新の内容、読みました。いやはや、私なんかが書くのも変なんですけど、ノロケにも色々ありますよね。初夏ちゃんの言うように、自分の好きな人や好きなことについては書きたくなっちゃうし、そういうときに発生する尊ぶべき感情って、誰にも共通するものに思えるんです。そういった普遍的な感情を自分なりにすくいあげて共感し合うのって、私は好きですね。

初夏ちゃんが好きな人とのことについて書きまくる日を楽しみにしてるよー。

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